Xジェンダー不定性 ステレオタイプと違う辛さ
1つ前の記事で、生まれ持った身体は女性でありながら、女性の行動原理を理解できないことに対する辛さを吐き出しましたが、そのことについて、先日友人に相談しました
友人は僕のセクシュアリティを理解してくれていて、何でもお互いに包み隠さずに言えるので、こういう時に相談できるのは本当にありがたいです
彼は僕がどうして苦しいのかということも理解してくれたうえで、周りと違うことがあっても、それはそれでいい(気にする必要はない)と言ってくれました
彼は、おそらくカテゴリ分けするならアライになると思うんですが、でもきっと「アライなんて括りはいらない みんながアライであるのが本当は適切」なんて言いそうな気がしています(本当にそうだったらいいのにね)
「気にしないなんて、できるかな……」と思いつつ、とても勇気の出る言葉に救われました
また、今回は女性の行動原理という切り口でしたが、僕が生まれ持った身体(女)の性別「らしい」行動ができなかったり、行動原理に共感できかねるのは昔からなことなので、本当は「今さら……?」といった感じではあるんですけどね
それでも、ふとした瞬間に、そういった己のマイノリティな部分に気づいて、1人で傷付いてしまうんですが
ちなみに、僕が生まれ持った身体(女)の性別「らしい」行動ができないという具体例を挙げれば、歩き方が“がに股”になってしまうとか、すぐ肘をついてしまうとか(支えるのは頬ではなく頭です)だと思います
あるいは、咄嗟の驚いた時のリアクションだって「らしさ」で言えば完全に男だし、どうしても、本当にちょっとした所ですぐに素が出てしまうようで、他人に指摘されたこともあるし、自分で気づいてしまうこともあります
これを書きながら、喜びより驚きの方が人は素が出やすいのかも……なんて思いました
うまく表現出来てるか分かりませんが、1日の時間の中で1人で過ごしている時は、「今、俺どっちだっけ」と思う時がないでもないんですが(この場合、無意識に頭の中で「俺」と言ってる時点で男)、ふと「この人は根っからの女性だ」と思う人と話した時など、「あ……やっぱり俺、Xなんだわ」と思ってしまうことがたまにあります
やっぱり、そこにはどうしても超えられない「女性」という壁があり、でも、それに気づいてるのは基本的には自分だけで、たまに、そういうことを敏感に察する人には、「あれ?」と見抜かれてる(かもしれない)……
生まれ持った身体は確かに他の女性と変わらないけど、どうしても、民族の違い、あるいは星の違いと言わんばかりに超えられない、「女性」という壁
そんなものが確かにあると僕は感じています
それと同時に、時としておのれの身体の性差のわかる特徴を嫌悪したり、男になりたいと思ったりする日も、不定期で訪れます
1つ前の記事を書いた時は、「男になりたいわけではない」と書きましたが、それも結局、日ごとの話であり、ある時は「身体を変えて男になりたい」と切望するときだってあります
(とうとう、最近、夢の中で、見知らぬ病院の診察室で、ホルモン注射やらオペの説明を受けていました)
思うままの言葉を吐き出していたら、なんだか脱線してしまいました
きっと、これからも、こうした「壁」を感じる度に、僕は1人で傷付いて無力感を感じるのかもしれないけど、とにかく「俺はそういうものなんだ」と、いい意味で諦めて受け入れていけるようにしようと思います