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感想文:暖かさを忘れる前に(檎陽『SNOWWITCH』)


『SNOWWITCH』
檎陽(@gohi_nyan),2022,COMIC MARKET 101


いつからだろう、自分の体調が全快に戻らないことを知ったのは。

高校生くらいの頃は、どれだけ疲れていても寝てしまえば、あの全能的な体調を取り戻せていた気がする。

大学生の後半には、すでにその予兆はあった。

三十代を迎えた今では、夜通し遊ぶだなんて、一日の時間が36Hにでもならない限り不可能だと思う。

体調だけではない、心の調子もそうだ。

寝て起きれば、嫌なことは忘れられた。

誰かと一緒に過ごせば、楽しい記憶で塗りつぶせた。

そういう自己治癒能力が薄れていき、少しずつ心身を蝕んでいく。

しかし、特定の原因は分からない。

ある意味では満ち足りていて、ある意味では不満を感じる。

心身を蝕む原因は、大きい原因は見当たらず、小さい原因なら数えきれないほどある。

しかしどれも間接的で、直接の原因は分からない。

わたしが辿ってきた人生と、その延長線上が何となく見えてきたとき、わたしは人生に小慣れ始め、心身を蝕む小さな原因を処す方法を身に着けた。

それと同時に、心身を蝕む音に敏感になった気がする。

中途半端に積んだ人生経験のなかで、わたしは、心身の全能感を対価にして、処世術と心身のメランコリーを手に入れたのだ。


さて、前置きが長くなった。

わたしがこんなことを書くのは、大学時代からのわたしの友人である檎陽氏が書いた小説『SNOWWITCH』を読んだせいである。

『SNOWWITCH』は艦これの同人小説でありながら、今のわたしの心身の状態を、まるで矢で的の中心を射る正確さで捉えている、そう感じた。

失血の原因が分からない時雨が、心身が蝕まれていることに気がつき、その原因は分からないまま放浪する。

「海から遠いところに行きたい」

p.50

そう時雨は言う。

時雨は艦娘であり、艦娘は海に現れる深海棲艦と戦う。

日々、海に出て訓練として軍事演習を行い、実際に深海棲艦と海戦する。

彼女らの労働は、ある意味で日常的にルーチン化していて、代り映えのない毎日が繰り返されているのではないだろうか。

檎陽氏は、時雨の艦娘としての日常業務を次のように表現する。

今日の演習は簡単で、定期的に実施されているものだった。事前に資料も配布されており、複雑な演習では執務室で説明を受けるが、今回はドックに直接集まるよう指示が出ている。

p.18

まるで会社員のような日常だ。

複雑な業務であれば、会議や打ち合わせで事前にすり合わせを行い、簡単で定期的な業務であれば、資料の配布で済ませる。

そういう日常のなかで、時雨は突然に原因不明の発熱と繰り返す鼻血に苛まれる。

先ほど引用した「海から遠いところに行きたい」というのは、日常的で会社員的な生活から離れたいということなのだろうか。

かくして、時雨は、想い人の山城とともに、鎮守府を抜け出して、温泉旅館に出かける。

平日の温泉旅館は来客も少なく、まるで非日常そのものであった。

温泉の効能に期待し、非日常のなかで心身を癒す。

しかし、檎陽氏はそういう単純な物語を書かない。

想い人と二人きりで、非日常の温泉旅行に出かければ、ひとは誰もが「心身の回復」を連想するだろう。

現実のわたしたちも、バカンスという言葉や、旅行という言葉、長期休暇という言葉から、リフレッシュあるいは心身の回復を連想するだろう。

しかし、やや強めに言えば、檎陽氏はその欺瞞を暴露する。

つまり、時雨の体調はそれで回復しなかった。

鼻血は止まらず、おそらく熱も下がらない。

休暇や、非日常、バカンス、旅行によるリフレッシュによって、わたしたちの心身は、もはや全快しなくなっている。

結局、僕の体は何も変わっていなかった。変わっていなかったのではなく、もとに戻らなかったという方が正しいのかもしれない。

p.57

時雨の心身は回復しない、このメランコリーは消えない、心身に降り注ぐ矢を、その痛みにすら慣れてしまって、もはや何も感じられなくなってしまった。

それを癒すことはできない、その覚悟を支えたのは山城の体温だけであった。

周りの寒さや雪の冷たさは何も感じない。だけど、僕の唇に触れた山城の唇だけが、とても暖かかった。

p.60

このラストシーンにある種の美しさを感じることができるのは、わたしが心身の全能感の喪失と引き換えに、つまりそれを対価にして、不治のメランコリーを手に入れたからだろうか。

きっといつの日か、最後には体温すら失うだろう。

その前に、わたしはこの不治のメランコリーを楽しむことはできるのだろうか。

あるいは、終いには、あの暖かさを忘れてしまうのだろうか。

この小説のラストシーンで時雨が見ていたであろう景色を、今はまだわたしは想像することができる。


おわり

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