「人を知る」ということ。
日本を出てもうすぐ2週間。
この間にいろいろなことがありすぎて濃い毎日を過ごせていると思う。
でもその中で、今回は自己内省ができる時間が多めにとれているというのが大きい。
予定を埋めるのはすごく充実感があって、
「すべての出来事が間接的であっても自分を形作るものである」と認識している私にとって、たくさんの予定があることは嬉しいけれど、一人で整理したりする時間が少なく情報の洪水に押し流されまくって自分を見失うことはすごくもったいないと思う。
だからこそ普段の生活においても自分を見つめ直す時間も取りながら、クリエイティブに思想のインプットと展開を繰り返すことができるようにしたい。
世に蔓延る偏見や差別をなくしたい。
そのためには人をもっと知ることが大事だと思った。
小3の時スーダンから来た転校生をいじめたアイツらも、多分その子のことをよく知らなかった。
文化の違い
宗教の違い
厳然としてそこにある壮絶な人生を知っていたら、決していじめなんてしなかったと思う。
もっと「人を知る」ということを知ってほしい。
もっと他の人の人生を身近に感じてほしい。
「人を知る」とはどういうことか、もっと考えるきっかけを創りたい
気付いたらそう考えるようになっていた。
アートワークショップを考え、イベントを考え、試行錯誤を繰り返す。
その過程の中にこそ、本当の意味で自分が創りたいその世界のカタチは見えるのだと信じて。
私にとって「人を知る」とは、関わる面積を増やすことだと思う。
関わる時間の多さと関係性の深さという指標によればその面積が多い方が「人を知る」事ができていると思う。
その関係値、面積というものをイベントを通して増やしてほしいと思う。
偏見や差別はなくならないかもしれない。でも自分が気づかぬうちに持っている偏見というものに気付ける日が来てほしい。
まあ、人生を共に長く生きた人に対してなら、「知る」ということは完全ではないにしてもできるかもしれない。
しかし、一時的なイベントでその人を知ることはできるのか。
そんな問いがすっ飛んできた。それに対して私は
そのきっかけを創るところから始めたい。
今まで名前だとか肩書だとか今やっていることだとか、名刺交換の時に交わされるような自己紹介の会話を
これからの人生についてとか、幸せとは何かとか、今の悩みとか、そんな個人情報とまではいかないものの、その人のこれまでの人生もここからの人生も一緒になった「その人」についてを知りたいし、そんな出会いをしてほしいと思う。
50人規模のイベントをやれば、50人の人と連絡先を交換したいと思うかもしれない。
でもそれよりももっと大事なのは、自分の目の前や近くにいる4人を大事にすることだと思う。「インスタ交換しましょう」じゃなくて、「今度飯行きません?」とか、「いついつ会いませんか?」とか、今後しっかり関係性が続いていくやり取りをしてほしい。
私だったら、一つ一つの言葉の定義を聞きたい。
「幸せ」とか「人生」とか「学ぶ」とか、その人が何を求め、どんな人生を送ってきたのか、今何を感じているのかがわかるから。