旅を奪われた世界で、旅に出る理由に気づかせてくれた本に出会えた話
人生で初めて旅に出たのは、いつのことだったろう。
きっと、岡田さんに言わせれば、それは小学校の日常的な普段の登下校から既に始まっているものなのかもしれない。そう言われればそんな気もしないでもないけれど、今日は僕なりに素朴に考えてみたい。そもそも旅って、何だろうか。
あまり胸を張って言うことでも無いのかもしれないが、筆者もご多分に漏れず旅が好きだ。というか、"旅が好きだ"という体で今まで生きてきた。
中高生の時には沢木耕太郎の深夜特急に憧れ、大学に合格していの一番に、バックパックに出かけようと決めた。"僕、バックパッカーなんです!"ととにかく周りに言いたかった。動機は特にない。世界を見たかったなんて高尚な何かがあったわけでもない。ただただ、旅に出たかった。旅に出ている自分がカッコいいと思ってた、それだけだったのかもしれない。絵に描いたようなイキる大学生であり、もはや穴があったら埋めたいレベルである。
とにかく何かに急き立てられるように、義務感のように、気づくと僕はがむしゃらに旅に出かけていた。東南アジア、中央アジア・中東、ヨーロッパ、中米カリブ。数が全てとは思わないけれど、思いつく限りそして時間の許す限り、旅には出かけた方だと思う。基本的には一人旅ばかりだったけれど、それこそバックパッカー用のユースホステルにしか泊まらなかったから、その旅路では夜を語る仲間にはいつも尽きなかったし、時には大学の同期と旅を共にしたこともある。
確かに旅はいつも不確定な要素が多くて、全然思う通りにいかなくて、時にはトラブルに巻き込まれたりして、それなりに思い出は尽きないのだけれど、でもどうして中々、これまでの自分の旅を振り返ってみる度に、いつも妙な違和感にかられていた。どれもほとんど記憶にないのだ。もちろん、いざ何かを語れと言われれば、それなりに経験してきた出来事を語れるくらいには、脳裏のアルバムには一通りの写真が揃っている。きっと多分、飲み会のつまみになるくらいには、普通じゃない経験はそれなりにしてきたとも思う。でも、そうなんだけど、なんと言うか。うーん。そしてそんな消化不良が、毎回僕を次の旅に突き動かしていたのだった。
そんな僕がふと自分の本心に気付いたのは、つい最近のことだった。ある日突然、外出が制限される世界になって、僕は気付いたのだ。家から出ないで済む世界に居心地の良さを感じる自分に、気づいてしまったのだ。こたつの中でYoutubeをダラダラ見ていることが是とされる世界。え、忘年会?いやいや、こんなご時世なんで欠席するッスと言いながら、家で一人でちびちび呑んでいる。そっちの方が断然楽しいことに気づいてしまった自分。パンツ一丁で寝落ちするまで呑めるなんて最高じゃん。そんな素の自分に気づいた時にふと、なんで自分があんなにも旅に出たがっていたのか、その理由がなんとなく分かった気がした。中高生の時にあんなに憧れていたバックパックの一人旅。泣き止むことのない赤ん坊のように心から溢れる旅への渇望。大学生の時のみならず社会人になってからも、僕をあそこまで突き動かしていたものの正体に、今更ながら気づいてしまったのだ。
たぶん、本当は旅になんて出たくなかったんだ。
考えてみると、僕はとにかく、帰りの飛行機の機内が好きだった。どんな旅でも例外ではなく、無事に旅を終え、今回もいろいろなことがあったなあ、としみじみ振り返りながら、余韻に浸り、疲れはてて瞼を閉じて、今までの日常に帰っていく、あの感覚。幾度となく僕を旅路に突き動かしていたものの正体は、他でもない「旅を終えて我が家に帰る」という行為そのものにあったのだ。
"0メートルの旅"で岡田さんは、旅を次のように再定義している。
"旅とは、そういう定まった日常を引き剥がして、どこか違う瞬間へと自分を連れていくこと。そしてより鮮明になった日常へと、また回帰していくことだ。"
なるほど、と思うと同時に、自分がこれまで旅に一体何を求めていたのか、ようやく分かった気がした。僕はとにかく家が、この日常が、好きだったのだ。よく考えてみると、行きの空港で飛行機の出発を待っている時が、旅のワクワク感のピークだ。なんなら飛行機を降りて目的地の空港に着いた瞬間に、帰りたいと思ったことさえある。もちろん、楽しくない旅なんてなかった。どの旅も大切な最高の思い出として僕の心に灯っている。その気持ちに決して嘘はない。でも実際、バックパックをやったことある人ならわかるだろうけど、というか何なら普通の旅行でさえも、旅に出かけるのって結構びっくりするほど地味にめんどくさい。僕の場合は計画も決めないし、泊まるところも最初の目的地だけで、宿は現地で調達するものだから、トラブルだらけとなることもめんどくささを助長する。これは自信を持って断言できるのだけれど、治安だって、日本より安全な国なんて多分この世にない。そんな分かりきっためんどくささを乗り越えて、無我夢中で行程をこなし、様々な出会いと別れを経て、目まぐるしく過ぎ去る日々に浸るヒマさえなく、それこそフワフワした気分で、宝なのかゴミなのかよくわからない両手でも抱えきれないはちきれんほどの思い出を抱えて、そして帰路につく。その瞬間が、たまらなく僕を突き動かしていたのだ。ああ、帰りたいーーー。
そうまでして帰りたい日常はというと、蓋を開ければなんてことはない、日々眠い目をこすり渋々起きて満員電車に揺られ朝から晩まで仕事して怒鳴られて頭下げてクタクタに疲れ果てて再び満員電車に揺られて帰る。寝て起きたら、また仕事。唯一の土日は惰眠を貪って潰す。そんなくだらない日常でしかない。そんなうだつのあがらない日常にでさえも、僕はこんなにも帰りたがっていたのだ。
忙しさに埋もれてしまった日常の大切さに気づくために、この地球のどこかに帰る居場所があるということをその全身に感じるために、僕は旅を求め続けていた。確かにきっと、旅から帰ってきた後に戻る日常は、これまでの気怠い何かとは、どこか眼に映る何かが、朝の空気の匂いが、雲の高さが、空の青さが、毎度変わっていたように思う。
日常、時々、旅。時にはまさに天気のように、あるいは日常を噛みしめるためのスパイスとして、僕は旅を欲し続けている。旅をして、旅をして、そして家に帰る。家に帰らない旅は、僕にとって旅ではない。
日常は日常を続けていく。それは意識してようがいまいが、残酷なまでのスピードで流れ去る。そして過ぎ去った日々は、もう二度と帰ってこない。僕らの日常は恐らくきっと何かで溢れていて、見過ごされている何万という"何か"があったはずで、その何かを見つけたくて、あるいは噛み締めたくて、何なら拾い食いでも良いのかもしれなくて。その大切さを決してどこかに置き忘れてしまわないように、僕は旅を続ける。旅は場所でもなければ、行為でもない。普段の日常に気づき、大切にしようと思うことそのものだったのかもしれない。
"どこへ行こうとも、予定も目的も固定観念もすべて吹っ飛ばして、いま目の前にある0メートルを愛すること。"
さあ今日も、旅に出よう。そしてちゃんと、家に帰ろう。
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本書は、地球の最果ての南極から始まり部屋の中に至るまで、筆者である岡田悠さんの様々な"旅"を記したエッセイです。読んでいて、大切な何かを思い出させてくれました。何より本を予約したのなんてたぶん生まれて初めてです。買った初日に我慢できずに深夜まで読んでしまって次の日の朝イチ会議マジで大変でした、どうしてくれる。(ありがとうございました。)