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坊ちゃんの「美人」描写の秀逸さ

青空文庫のアプリで久しぶりに夏目漱石の「坊ちゃん」を読みました。主人公のまっすぐで正直な‘竹を割ったような’性格に、実のない虚飾のカッコつけをこき下ろす痛快な喩え悪口の数々。こんな気持ちのいいやつとぜひ友達になりたいと嬉しくなりました。

坊ちゃんの前に読んだ「銀の匙」は言葉も古風で密度が高く、それと比べると読みやすさが段違いで、面白いようにするする読み進められました。気に入った表現はそんなに見当たらなかったのですが、それでも一つだけハッとさせられる文章がありました。
場面は、「坊ちゃん」が数学教師として赴任した田舎で、マドンナと呼ばれる周囲の憧れの的の女性をはじめて見たところです。

おれは美人の形容などが出来る男でないから何にも云えないが全く美人に相違ない。何だか水晶の珠を香水で暖ためて、掌へ握ってみたような心持ちがした。

小説でよくある女性の描写としては、《黒く艶やかな髪》だとか、《潤んだつぶらな瞳》だとか、《小鳥のような透き通った声》のように、視覚や聴覚を通して表現されたものをよく目にします。しかし、ここでは皮膚感覚や嗅覚を通した表現になっています。
そしてさらに言えば、目撃した女性自体の描写ではなく、【女性を目にして沸き起こった感情の触感】なのです。私は小説でここまで婉曲的な「美人」の表現を目にしたことがありません。対象との距離が近すぎず遠すぎず、大学を卒業した年齢とは思えないまるで少年のような素直な感想です。ここの純粋さも「坊ちゃん」の人間的魅力だと思いました。

この文章の後はすぐに別の展開へ移っていくので、これ以上ベタベタとマドンナを表現することはなく、そこのあっさり具合も気に入りました。「坊ちゃん」が思いを馳せるのはただ一人、育ての親とでも言うべきおばあさんの「清」だけです。夏目漱石の小説は男女関係なく、ある程度他人を突き放して見るところがあり、根底には「こころ」に見るような薄い人間不信があると思います。太宰治ほどの濃さではなく、甕(かめ)に張った氷のような薄っすらとしたものです。そこが読者からすると読んでいて嘘がなく、心地よい距離感だと感じました。

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