釣り人語源考 アイの一族(前編)
「アイナメ」はアイナメ科アイナメ属のスマートな体型の底物魚で、仲間にクジメやホッケなどがいる、冷たい海を代表するロックフィッシュだ。何気に側線が5本あったりする変な魚だ。
ルアーに果敢にアタックするので北国のロックフィッシュゲームの好対象魚だが、生物だったら何でも食べるので虫エサでの投げ釣りやカニのぶっ込み釣り、延べ竿雑魚狙いで小磯釣行での最高大本命だったりする。
「カブセ釣り」と呼ばれる牡蠣を餌にした落とし込む釣りでも狙える。
かつては広島県には沢山のアイナメが生息していたが、海水温の上昇が原因なのかすっかり居なくなってしまった。 YouTubeで大型のチヌやイシダイ、コブダイを釣って有名になったカブセ釣りだけども、元は養殖カキを食べに寄ってくる大型アイナメを狙う釣法であった。
また「ブラクリ」やら「ブラー」と呼ばれる仕掛けも、元々はアイナメを釣るように工夫されたものだったが、現在はテトラ穴釣りなど色んな魚を釣る仕掛けに進化している。
アイナメと言えば"美味しい高級魚"でとても味の良い白身の魚の代表みたいに喜ばれる。『鬼平犯科帳』の平蔵の好物はアイナメの煮付けであると池波正太郎は書いている。
アイナメはかつて釣り人が釣法を色々研究していった魚の代表で、一升瓶のサイズが釣れたら「ポン級」と呼ばれ、一流の釣り師になった証として仲間に自慢出来るわけだ。
さて我々釣り師の界隈では「アイナメ」の当て字として「鮎並・鮎魚女」とか漢字で書くのは結構知られている。
海の根魚なのに川の魚の漢字が使われて、こんな当て字の魚は他に例が無いし興味深く面白い!
「鮎に姿が似ているから」というのが「鮎並」の由来とされているが、姿はそんなに似ている?と疑問… 顔は唇が分厚くてなんとなく似ているかもだが…。
それよりもアイナメのオスが繁殖期にナワバリを持って、互いに噛み合って争う習性があるので、アユのナワバリ争いを連想してしまう。
似ているのは性質の方だという事ではないか。
やっぱり太古の日本人は、アユやアイナメの習性やナワバリ行動をよく知っていた…そうとしか考えられない。
しかしなぜ「アイ」ナメなのに「アユ」なのか?
早速アユを調べてみよう。
日本古来の川の魚で、食料として最も重要で親しまれてきたのはおそらく「鮎」だろう。
現在でも河川の漁獲量のおよそ20%を占めている。
漁法は投網や刺し網といった網漁や、簗で川を下る成魚を獲ったり、鵜飼漁によって観光化していたりする。
日本の夏を代表する魚で、その爽やかな独特な香りによって大人気。なので「香魚」と書いたりする。
キュウリウオ目アユ科の「アユ」は、秋になると成熟し「落ちアユ」は川を降って下流域で産卵する。
「氷魚」と呼ばれる稚魚はウロコが無く透明な身体で、更に川を降り河口付近の汽水の海域でプランクトンなどを食べながら回遊し成長する。
春になると少し大きくなった若鮎に細かい鱗が生えて川を遡上出来るように変化する。
川の中流から上流部に辿り着いた幼魚は歯が櫛状に変化していて、主食が岩に付着する珪藻や藍藻類になるのだ。
大きくなったアユは藻類がよく生える岩を「縄張り」とし、他の個体を激しく体当たりして攻撃する。
「鮎の友釣り」はナワバリ行動する習性を利用した釣法としてとても有名だ。
最近はアユの姿のルアーを泳がせて攻撃するアユを引っ掛ける「アユイング」なるものも登場した。
我々ルアーマンとしては、先輩鮎師たちの並々ならぬ情熱と財力によって「カーボン素材」や「新素材ライン」が発展した背景があるので、そこは鮎釣りには一定の敬意を表するべきと思う。
日本古来の魚の名前を漢字で書く場合、古代中国の漢の文字を輸入したものを日本の魚に当てはめるケースがあったり、日本独自の漢字…「国字」を作る場合や、日本語の読み方に漢字の音を当てはめる「当て字」とする例がある。
古事記などでは一年で寿命を迎えるので「年魚」と書き「安由」と万葉がなをふる。日本書紀では「細鱗魚」とある。
「鮎」という漢字は、元々古代中国では「ナマズ」の事であったが、日本では神功皇后の故事にちなんで「アユ」と表す事になった。いわゆる「国訓」である。奈良時代くらいから"鮎"が定着する。
神功皇后が佐賀の松浦に進軍した時、三韓征伐の誓約として針を曲げて鉤とし服の糸を抜き取って竹に結え、米粒を餌として「川の魚を釣らせ給え」と願うとなんとアユが釣れた。「こりゃ珍しい!」と皇后が言ったので「めずら」が訛って「まつら」の地名の元となった…という話だ。
確かに釣り人からするとアユを米粒で釣るなんてマジスゴイ! ハヤしか釣れないんだけど(T . T)
古代日本における神事の「誓(うけい)」の魚であるので、「占う魚」が変化し「鮎」となった。
また天皇の即位儀礼に用いられる「万歳幡(ばんぜいばん)」という旗には五尾の鮎と厳瓮(いつへ、祭事に用いたつぼ)が描かれているが、これも神武天皇が建国を占った伝説に由来する。
アユの語源として、先に述べたように神事に関係が深く神に供える魚であるとされて、「饗」が語源だとする説がある。
またアユの生活史で触れた秋の落ち鮎にちなんで「落ゆる」からという説もある。
しかしこれらはいわゆる"諸説"で、音が似ている言葉からの「中らずと雖も遠からず」の俗説だろうと思われる。
アユの地方名や古語と推察される名称…「あい、あいなご、あいのいお、えのよ、ああ」等から、古くから鮎は「アイ」や「エイ」と発音されていたと知られている。
古代日本ではアユは「アイ」だった…
だから「アイナメ」は「鮎並」と書く訳だ。なるほどね!
アイナメの地方名を調べると、福島県から茨城県、千葉県、静岡県にかけて「あいな、ああな、えいな、ええなあ、あいめ、あえーなめ」という一群が分布し、東京神奈川周辺で「あいなめ」と呼ばれていたのが標準和名に採用されたようである。
アブラメ・アブラコは茶色に光る魚、ネウは根魚、シンジョやシジュウは「いつも根に居る」という意味の地方名である。
では魚の「アイ」の語源はなんだろう。
それはアイヌ語で「矢」を表す「ay(アイ)」というのが現在の定説となっている。
矢のように川を走る魚だからだろうか…それとも釣る事が難しいアユを銛で捕っていたからか…矢とアユの関係はよく分からない。
そこでアイヌ語「ay」の語源を調べてみた。
筆者は、アイヌ語と日本語両方に影響を及ぼした、縄文時代にやってきた言語の時から「ay」は存在したと思う。
古代日本語の元の一つであるオーストロネシア語では一つの音に意味があって、例えば「e」なら「恵み・美味しいもの」という意味、「miまたはbi」だと「曲がるもの・柔らかい」という意味だ。
なので「ebi」は「美味しい曲がる奴」となる。
さて「a」の意味を考えると「雨」「兄・姉」からすると「先の・上の」という意味だろう。上からの恵みでアメ。上の男でアニなんだろう。
「y」…は「役に立つ・重要な」である。
「ゆみ」とか「ゆび」は「よく曲がり役に立つ物」だ。
実際にアイヌ語で「ay」は矢の意味の語源である「人間を悪霊から守るトゲ」という意味である。
「ay」で「先の尖った・役に立つもの」となるはずだ。
アイヌ伝統の文様に「アイウシ」がある。
服の袖や襟などから悪い霊が入ってこないよう、「棘」の模様の刺繍を施して守る意味がある。
日本海の沿岸部、特に富山県を中心に「あいの風・あゆの風」という名前を持つ風が知られている。
日本海岸の各地域でその方角はまちまちであるが、なぜなら沖から浜に向かって吹く風の事だからである。
海藻や貝類はもちろんのこと、プランクトンが風で岸に吹き寄せられると小魚も岸に押し寄せ、それを狙う大型魚も接岸し釣りができる。
古代では「寄り木」と呼んだ流木が重要な建築資材であったし、「寄り鯨」といって弱ったクジラが漂着した時は浜の村々の大きな愉しみとなった訳だ。
時代が下がると漁船が浜に戻ってくる風、港に商船が入ってくる風の事となり、徐々に意味合いが変化していったが、「喜びが向こうからやってくる」という根底は変わらないものだろう。
柳田國男の『海上の道』によると「アユは後世のアイノカゼも同様に、海岸に向かってまともに吹いてくる風、すなわち数々の渡海の船を安らかに港入りさせ、またはくさぐさの珍らかなる物を、渚に向かって吹き寄せる風のことであった。」
「果実のよく熟して樹から堕ちるのをアエルといい、またはアユ・アユル・アエモノ等の語の古くからあるように、人を悦ばせ、おのずから人の望みに応ずるというような楽しい状態を表示するために、はやく生まれていた単語ではなかったろうか。」と語っている。
「あゆ・あい」という古代の日本語は「向こうからやってくる恵み」という意味だったかもしれない。
おそらく…原始の日本列島に住み着いた人々が真水の得られる川沿いに定着した時、いつもは危険な山奥や大海へわざわざ出掛けて魚を獲らねばならなかったであろうが、アユは毎年決まって大群で川を遡上し我らの住む村々の目の前までやってきてくれる大変ありがたい魚であったのだろう。
アユの語源は、神様のお供え物でも川を降るでもないが、同じ語源を持つもっと根源的な言葉である「向こうからやって来る恵み」を意味する「あゆ」である。
魚の「アユ」もお供え物の「饗」も果実の「落える」も全て、「先の方からくる・役に立つもの」が由来なのではないだろうか。
アイの一族(後)へ続く
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