世界自閉症啓発デー
毎年4/2は、世界自閉症啓発デーです。
今日から約1週間ほど、
街がブルーライトで照らされます。
各地のランドマークがブルーライトに点滅される
意味をどれほどの人が知っているのでしょうか?
少なくとも私は、自分の子供たちが
“自閉症スペクトラム”と診断されるまで、
発達障害という名前すら知りませんでした。
今ではあの日街で見かけたあの人も、
小さな小さなヘルプを出していたのかなと想像し、
胸が痛くなる日々です。
まず、“発達障害”と聞いてみなさんが
イメージするものはなんでしょう?
発達障害や自閉症スペクトラムという言葉も、
イメージが付きにくい、いいイメージが
湧かないのもひとつの理由なのかも知れません。
イメージは時に残酷だと思います。
作るその人の価値観のみで作られたものが
そのまま言葉に、姿勢に出てしまうから。
もちろん、発達障害に限らず
他者と関わる上で必ず付きまとうもので
良くも悪くも変化するものです。
だからこそ、なによりイメージが
大切にされる項目のひとつなのだと思います。
唯一私が一つだけ伝えられるとするならば。
伝えたい想いがあるとするならば。
知らない。で終わらせず、
疑問や不快に感じたその先の“知る”ところまで
どうかたどり着いてほしい。
泣きわめいている子供とお母さんの
やりとりの、その先を。
飛び跳ねている心のその先を。
大きな声を出して恐怖と不安に苛まれている
姿のその先を。
その場面の、その心のその先をーーー。
私が思うに、まだまだ“知るきっかけ”が
少ないことが1つの理由だと思っています。
例えば、“ヘルプマーク”ーーー。
一言でヘルプマークと言っても
様々な幅広い理由で使用しています。
個々に違う“ヘルプ”があるわけです。
それを知るためにはヘルプマークを
裏返して読まなければ行けません。
理由を書く人も少ないのでは、と思っています。
マーク1つじゃ何も知ること は
出来ません。
要するにその人の「困り事」は
その人の「ヘルプ」は、
見えているものからかなりの
情報を想像し、
汲み取らなければいけません。
かなりのハードルと想像力が必要で、
支援する側も困難だと思うのです。
助けて、と声を出せるようになるにも、
個々の困り事が目で見て分かるような
こちら側の“寄り添い”が必要だと感じます。
その為にも「視覚化・可視化」が
なによりも重要だと私は感じています。
互いが互いを認め、尊重し合うためにも
「共に寄り添う姿勢と心」が必要です。
そのために出来ることはなにか。
知るためには何が必要かーーー。
毎年この日になると深く考えさせられます。
そんな場が、いつか
どうか生まれていきますように。
互いに共通認識を生み、
支え合う世界になりますようにーーー。