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第二十一話 関東大震災

 大正十二年、八月九日。待ちに待った辞令が十河信二に下った。
 「支那ヘ出張ヲ命ズ」
 出発予定は、九月二日。アメリカ視察から帰って、すでに五年の歳月が過ぎていた。
 ところが、この男の人生は、よほどどんでん返しが好きとみえる。ここぞという肝心要の大事なときに、いつも邪魔を演出する神様が現れて、事を成就させない。そのことがこの男の人生に独特の愛嬌を加味してもいるのだが、このときの邪魔は、邪魔というにはあまりにスケールが大きかった。

 九月一日。午前十一時五十八分四十四秒。
 マグニチュード七・九の大地震が帝都を襲った。
 十河信二は、鉄道省二階の会計課長室にいた。
当時、鉄道省は呉服橋にあった。木造二階建ての仮庁舎である。その日、三井銀行員から中国出張のための旅行小切手を受け取り、次いで訪ねてきた滝脇宏光という子爵と歓談中に、突如、大地が鳴動した。
 ドオォォーーーーン!
 すさまじい大音響。大激震。ふたりは机の下にもぐり込む。そしてなお大地の動揺収まらない中を、東京駅の駅前広場まで走って逃げた。
 「……ああ、ぶつかる!」
 余震のたびに、できたばかりの丸ビルと郵政ビルがバリバリッと触れ合わんばかりに傾き合う。心底肝を冷やした。


震災直後の京橋周辺
「報知新聞」(大正12年9月5日)

 激震がおさまると、半壊した鉄道省の十河課長の室に、まず種田虎雄、ついで太田圓三が駆け込んできた。その場で、会計課長、旅客課長、建設課長による緊急対策会議となる。目前の急務は、罹災民と食料輸送の足を何としても確保することであった。一刻も早く、復旧せねばならない。もはや、中国出張どころではない。
 とりわけ種田旅客課長の責任は重大である。
 この大自然の一瞬の咳払いで、首都機能は壊滅する。
 箱根以東の鉄道は壊滅状態にある。至る所で線路は曲がり、道床は流れ、橋脚は崩れ落ち、駅舎は倒壊し、その多くが焼失した。東海道、中央、常磐、総武の各線は全線不通。東北・上越線のみ川口以北でかろうじて運行を続けていた。

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