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人類が神に戻る時代が来ました。

神を崇める時代から今は内なる神と繋がる時代です。

神意識、超意識と繋がるいった事です。

”外側の神の存在に認められていないと”と思ってしまうことで、知らずに人は「神様に認められないと」と思い込んできたのです。

もちろん私自身もそのうちの一人です。
以前はそう思っていました。

「神様に見られている。
だから良い行いをしないと罰が当たる。
良い子でいないと嫌な事が起きる。
幸せになれない。」

などと思っていたので、いつも何かに見張られているような感覚で生きていたのですが、その窮屈さにも気づいていなかったくらいです。

このような場合、あるがままの自分ではなく、エゴで優れた人であろうとすることや、人の役にどれだけ立てるか?といったことや、認められるかどうかがとても気になります。

人のために役に立てるかどうかと考えているものの、実は自分のために人の役に立とうとしていることになってしまいかねないのです。

自分とは別の外向きの神となります。

本来、神様に認められることではなく、自分と繋がることなのです。

自分と繋がることが神と繋がることであり、すでに神の一部であることに気づくことなのです。

ただ、この時に人間の優劣を付けた価値観の中で「神は偉大で凄い、偉い存在」となっていた場合、「神の一部である私は、優秀で凄いんだ」となってしまいます。

この場合も”私という人間の価値を高めたい”という思いからの勘違いとなります。

本来「神の一部である」ということが、「ただそうである」といった感覚となります。

この時、外の神様に認められる事だと思っていると、神様の取り合いになることがあります。

スピリチュアルの世界や、精神世界、神事の世界に精通している人であるからこそ、どの神様と繋がったといったことを人と比較したり、誰がどのレベルだといったことを争ったり競っていた場合、それは神様の取り合いをしているようなもので、優れていると思いたいがための優越感の場合があります。

ですが神は外ではなく内側に在る存在ですので、一人一人が内なる神と繋がれば、神の取り合いになるはずがないのです。なぜなら共にあるからです。

図のように外ではなく内です。

そして何か目に見えない力を習得しようと思った時、「技術」として術を学んでいた場合、習得したかどうかといった結果に拘り、それが自身のレベルだと勘違いしてしまうこともあります。

どのようなことであれ、このような術というものは価値ではなく、その最中こそが学びであり、心を学び成長していく、それが術となるのだと神意識はお伝えしています。

心とし学んだものは、いくら時代が変われども風化することなく、その時その時、流れに沿って変化していけるものとなりますが、習得といったことや、術を与えられるといった何か価値のように捉えていた場合、知識やスキルといったものになりやすく、このように知識やスキルの場合は、時代の流れが変わったり風潮が変わった場合、その変化に対応できず風化し古いものとなってしまいやすいのだそうです。

これからは外の神様に認められることではなく、自分と繋がり内なる神と繋がることなのです。

そうすれば、誰も争う必要がなくなり平和な世界が広がっていくのです。

何かに対して「憧れ」を抱くことによって、つい「あの人みたいに」と何か習得したり追い求めてしまうことがあります。

一見すると何も問題のないことであって、むしろ素敵なことのように感じられるかもしれません。

ですが、このような場合の「憧れ」は、「自分と違ってあの人みたいに」と思っていることが多いので、自己否定となっているのです。

そのような心境で学んだことや努力は、自分を好きにはなれないのです。

なりたい自分になろうとすると、苦しくなります。

なりたい自分と思った時、その対象が自分の外になるからです。

今の自分はダメだから、なりたい自分になろうという考えからくるものなのです。多くの場合、憧れる相手は自分にないものを持っている人です。

だから憧れるのですが、この憧れは、自分にあるものに気付けなくなってしまうのです。

以前の私もそうでした。

憧ればかりで、「あの人みたいになりたい!」といつも頑張っていました。例えば、頭が良いエリートで優秀な兄や、いつもハッキリと自分の考えを言える強い女性や、自分から積極的に知らない人に話しかけることができる人や、手先が器用で絵の上手い人など自分と真逆の人です。

「なんて私は勇気がない人なんだ」
「努力が足りない!」

と責めていました。

ですが、このように憧れの人になろうとすればするほど、上手くいかないし、改善しようとしてみるのですが、少しはできるようになっても全然克服できないのです。

努力が足りないのではなく、向いていないからだけであって、短所でもなんでもないのです。

むしろ努力はしているのですが、向いていないから上手くできないだけであって、努力が足りないわけでも、能力の問題ではなかったことに気づいたときがあったのです。

例えば、犬に猫の鳴き声を出せということや、猿に空を飛べと言っているようなもので、無理をさせているということなのです。

「憧れる」という語源をご存知でしょうか?

「あくがる」という意味であり、「本来の場所を離れて彷徨う、心から離れる」という意味なのです。つまり憧れとは、「本来の自分から離れる」とも言えるのです。

憧れを抱き理想的な自分になっているときのイメージをしてワクワクすることもあるかも知れませんが、理想的な自分になっていないと感じた時にギャップを感じて落胆すると言ったことを繰り返していませんでしょうか。

理想と現実に揺れ動き、苦しむ事になりかねないのです。

理想の人みたいに向かっている時のあなたは、自分に対して優しくなっていますでしょうか。厳しくなってしまっていませんでしょうか?

ではどうすればいいか?

憧れは自分を知ることで手放せます。

実は日本語の「諦める」と「明らか」は語源が同じだと言われているのをご存知でしょうか。これは「物事の真実の姿を明らかにすることで諦められる」という意味が含まれているのです。

諦めるというのは、「今のダメな自分のまま諦める」という意味ではなく、自分を知れば憧れはむしろ必要のないことに気付くことができ手放すことが出来るという意味です。

では自分を知ると手放せるという意味をご説明したいと思います。

あなたが普段から自然に出来てしまうことや、やってしまうことはありませんか?

例えば、食べ物を食べるときに、つい何が入っているかを考えてしまうと言ったことや、つい人の話し方を観察していると言ったこと、手間を掛けずに簡単に掃除が出来る方法を考えてしまうと言ったことなど、自分にとっては当たり前のこと、これはあなただから無理なく出来ることなのです。

それが頑張らずに出来てしまうことなのです。

もしも魚に陸で呼吸しろと言ったとしたら、魚は苦しくて仕方がありません。

しかし水の中に入った途端に頑張らずに無理なく生きることが出来るのです。

その他にも、このようなことがあります。あなたが人をまとめるのが苦手だったとします。

人をまとめるのが得意な人を見て憧れ、私もそうなりたいと頑張るものの上手く出来ないと落ち込む事になりますが、人をまとめるのが苦手だからこそ、むしろ個々に合わせて対応する臨機応変さがあるということだったりするのです。

ですが例えば、他の人は出来るのに自分だけ人をまとめることが出来ないと思い、そこばかりフォーカスを当てていたとしたら、自分は無能だと感じてしまうのです。

あなたは魚なのに、猫だと勘違いして猫のように生きようとしているから「なぜ私だけ上手く歩けないのだろう?」と悩んでしまっているようなもの。

つまり「諦める」ことで、あなたの本来の姿が「明らか」になるのです。

猫のように4本足で歩くことではなく、実は魚だったことを思い出しヒレを使って広い海の中を泳ぐことだったのです。

このように、周りが出来て自分だけ出来ない場合は特に、私がダメなんだと思ってしまいますが決してそんなことはありません。

あなたが自然に出来てしまうことや、やっていることなので逆に優れたところに気づいていないだけなのです。

すると、あなたはあなたの姿を思い出すことができ、誰と争うこともなく比較することもなく生きれるようになり、自分と繋がることが出来るので、神意識とも繋がることが出来るのです。

まとめ

神を崇める時代から今は内なる神と繋がる時代です。

外の神様に気に入られようと頑張ったり、認められようとするがあまり、優れた人であろうとしてしまうことがあります。

その場合、認められることで私は正しい優れていると言ったことを証明できるという思いから、どの神様とつながったと言ったことで競争したり、優越感に浸ってしまい、知らずに精神世界に精通しているのにも関わらず、自分は凄いんだと競ってしまうのです。

神様の取り合いです。

神は外ではなく内側に在る存在ですので、一人一人が内なる神と繋がれば、神の取り合いになるはずがないのです。

共に在るのですから。

すると争いはなくなります。

神様の取り合いになっていると、目に見えない力を習得しようとした時、何かを得たような与えられたように思い、「得る」といった事に意識が行ってしまいやすいため、結果に拘り自分のレベル、イコール価値だと思ってしまうのです。

本来、その学びの過程に心や精神を学ぶと言った本質があることを忘れていませんでしょうか。その場合は思い出す必要があります。

心とし学んだものは、いくら時代が変われども風化することなく、その時その時、流れに沿って変化していけるのです。

「憧れ」を抱くことによって、つい「あの人みたいに」と何か習得したり追い求めてしまうことがよくありますが、「憧れ」は、「自分と違ってあの人みたいに」と思っていることが多いので、自己否定であることがほとんどです。

憧れは自分を知ることで手放せます。

あなたが普段から自然に出来てしまうことや、やってしまうことはありませんか?

内向的だからダメだと思い、外交的であることだと思っていた場合、外交的な人に憧れ自分を否定してしまいますが、内向的だということは、気さくに話をする事や、人とたくさん交流を持つことは苦手かも知れませんが、内向的だからこそ、本を読むのが好きで文章力はあるかも知れませんよね。

でも内向的がダメだと思うがあまり、克服しようと、人とたくさん関わる仕事をしたところ、周りの人たちの外交的な性格に愕然とし、「私は人と上手く付き合っていけない」と落ち込んでしまうのです。

ですが文章を書くことは、やってみたら人より難なくスラスラと書けてしまうかも知れないのです。外交的な人は逆に文章は書けないかもしれず、落ち込むこともあるかもしれませんよね。

つまり、あの人がこうだからと言っていたらキリがないのです。

このように「諦める」ことで、あなたの本来の姿が「明らか」になるので、あなたがあなたであることで輝くことが出来るのです。

すると、あなたはあなたと繋がることが出来るので、神意識とも繋がることが出来るのです。

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