「偽りの目醒め」か「本当の目醒め」かの違い。
本当の目醒めと、偽りの目醒めがあります。これを確かめる方法としてお話しをしたいのですが、ただ、はじめにここには優劣はないことを前提にお伝えしたいと思います。
なぜなら全ての人が本当の目醒めを経験したいわけではないからなのです。
そして、本当か偽りかのどちらかに振り分けられるものでもなく、これも一人一人のパーセンテージの違いになるため、あえて本当の目醒めと、偽りの目醒めかという表現をしていますが、目醒めてはいるけれど、行き先の違いなのだと思っていただければと思います。
「本当の目醒め」と「偽りの目醒め」をチェックしながら、ぜひご自身と照らし合わせながら聞いてくださればと思います。もし、現在「偽りの目醒め」かもしれないと思ったとしても、決して否定することではないです。
否定する必要はなく、認められたらその柔軟さがむしろ素敵なことなのです。その方が精神性が高く、カッコいいことなのだと知ってくださいね。
全て過程であり、そこに学びがあり、そしてそれさえも自分で選べるのだということを知っていてくださればと思います。
そこで望まれるのなら「偽りの目醒め」から「本当の目醒め」へと移行していけば良いのです。そのため、この動画では本当の目醒めにいくための話をしますね。
目醒めた後にも、いろんな行き先があり、目醒めの中にも、いろんな濃度があるのです。今世では目醒めの体験を入り口までと決めて、来世で本当の目醒めを体験するというのも魂の一つの素敵な計画なのです。
このチャンネルを聞いてくださっているということは、今世で本当の目醒めを体験したいと望んでいる方がほとんどではないかと思います。
この時、偽りの目醒めとなっている方が周りにいたとしても、その人のことをジャッジメントしないことも大切です。正そうとしたり、この人は違うからダメ!とジャッジメントしていると、目醒めとは反対の方向になるので、行きたいところに、それぞれ行っているんだなと捉えてみてくださいね。
ここで、まず先ほど少し触れた「濃度」についてお話ししたいと思います。
まず「偽りの目醒め」か「本当の目醒め」かの違いは、意識領域の違いとなります。
そして意識領域の区別は、密度の違いとなります。
つまり、光・愛の量・神の素粒子の量の違いとなります。
この粒子の波が広ければ広いほど密度は緩(ゆる)くなり、それは意識の在りかたが拡大してゆく、ということです。粒子の波が狭ければせまいほど、密度は濃くなり意識の在りかたは狭まり、低くなってゆくということになります。
偽の目醒め意識は、粒子が少ないため、自身の意志や選択をもって創造する、ということがより制限されてしまいます。
いっぽう、神意識は、粒子が多いため、自身の意志や選択で自ら創造することがより可能になる、ということです。
この違いが、どのように、このホログラムである現実の創造にあらわれるかというと、粒子が少ない偽の目醒め意識は自身の意図よりも、集合意識に影響されやすい・拘束されやすいく、情報過多でいっぱいになってしまうため、頭でっかちになってしまい独自の現実を創造するゆとりがなくなってしまうのです。
いっぽう、神意識は自身の意図をより反映させることができるため、集合意識に触れてもそこに疑問を抱くことができます。つまり、集合意識に囚われにくい、ということ。なおかつ自身の見解や気づきを活かし独自の現実を創造、結果、その影響をまわりにも及ぼしてゆきます。
では、ここで「偽りの目醒め」4つのチェックポイント
1つ目
何かに生き詰まり、挫折や人生が上手くいかなくなることが起きた時、心の問題なのではないかと書物に手を伸ばしてみることやネットで調べてみたり、身近な人物からスピリチュアルな観点・在りかたに触れるようになり、そうした生き方に傾倒していく流れになった方も多いのではないでしょうか。
しかしながら、ご存知のように、スピリチュアル観というのは、価値観など人によって受け取り方がさまざまであることもあり、自分にとって都合の悪いことは聞き入れなくなってしまうこともあります。
結果、自分にとって都合のよい、心地のよい、安心できるような言葉や体験を探し、ネットを巡ることや、書籍などを探すこと占いや鑑定に依存してしまい、結果依存させようとする占い師を引き寄せてしまう事にもなりかねず、やめることができなくなってしまうこともあります。
ここで勘違いしないでいただきたいのが、占いやヒーラーに頼ることがダメだという意味では決してありません。頼ることも愛であるため、必要な時は頼ることです。ただ、それが自分軸を失ってしまうような依存になっていた場合、しっかり見極める必要があるのです。
もしくは、自信が持てないことから有名な人であれば全て正しいに違いないという思い込みから、受け取りかたに偏りが生まれ、その内容に気持ちが左右されてしまうことも多くなります。
その場合、一人の人がこう言えばそのように感じる、こっちの人が違うことを語れば、それが正しいようにも思え、触れるものふれるものに心揺らされ、自分の見解というものを確立することを難しく感じられることでしょう。
チェックポイント
・依存になっていないかどうか?
ただ、冒頭でもお伝えした通り、悪いわけではありません。それが必要な時もあるからなのです。そして、それが楽しいと思っているのならそれも選択となるため良いのです。もしも、本当の目醒めを体験したいと思われるなら、ここから抜けていくことなのです。
2つ目
最新のスピリチュアル情報や体験を求め、愛あるほうへと、優しいほうへと、自身の見解が向いている人の中にも、‘愛’という言葉に囚われ過ぎてしまい、正しい人間といった聖人君主のような人にならないといけないのではないかと勘違いしまうことがあります。
優しく、全てを受け入れ、愛せる人でなければならないと、他者を嫌うことや苦手だと思い事にも強く抵抗を覚えるため、逆にいきにくくなってしまうことがあります。
‘無償の愛’‘無条件の愛’‘自分はいつでも愛であるように生きる’‘愛しています’‘世界は愛で満ちています’
そうなると自分を愛せる自分でなければいけないと枠に囚われてしまうのです。ニセの神様に誤魔化されてしまっている事に気付かないのです。
闇はあってはならないと強く思うこともあるため、人をいじめるくらいなら自分がいじめられるほうがいいと、人を優先し自分は後回しになることや、その他ヒーローのような存在に憧れる傾向もあるため、自分の中の悪や闇を認めることが出来なくなってしまうことも起きます。
すると、ポジティブな自分しか受け入れられなくなってしまうため、ネガティブな自分に蓋をし、優秀な自分であろうとしてしまい、完璧主義になろうとすることや、例えば、優しくないところがある自分をいつまでも受け入れられなくなってしまうのです。
その他、この様なことも挙げられます。
共感することが良い人であるという同調圧力の馴染みによって、ネットやメディアで、残酷なニュースを目にした時、今の世のなかはなんてヒドイ世の中なのだろうと、悲しく、虚しい感情に浸ることです。この様な場合、意見すると何も問題ないように思えますが、実は知らずに残酷な周波数に同調してしまっているため、闇に加担していることに気づかないうこともあるのです。
例えば、もちろん戦争を肯定しているわけではありませんが「戦争が絶対に悪である」という固定観念を捨ててみると、見えてくるものもあり、歴史の中で戦争がもたらした恩恵も大きく存在している事実に気付くのです。コンピューター等の主要技術は、元々は軍事研究から生まれてますし、火力発電で使用されるガスタービンも軍用技術の転用です。太陽電池も初めは軍事用の宇宙開発から生まれています。
ただ「◯◯が絶対に善である、悪である」という固定概念があることは、新たな視点や発見を得づらくなってしまうと思うのです。
チェックポイント
・‘愛’という言葉に囚われ過ぎてしまい、正義や正しい人間であろうとしていないかどうか?
人を捌こうとするマインドも出てきてしまうため、ジャッジメントとなります。この場合、善悪に囚われていないかをみてみられてくださいね。
3つ目
自分自身がスピリチュアルな世界の達人であり、自分こそがマスターだ、とするなど自分を誇示する傾向が強まりることがあります。
「自分は、あるいは自分たちは、選ばれた人間だ」といった選民意識となり、自分の正当性を誇示してしまうのです。
高次の存在に依存することになってしまい、私は凄い人間なのだと誤認識してしまうのです。すると主張したい思いなどが先行してしまうのですが、自分は凄いのだと過信している状態は、自信の無さからくるものであり、心の現れであり、偽りの目醒めとなります。
また、自分とは相反する見解を示す人や自分を批判、非難するように感じてしまうことも多くなるため反撃をしないではいられない、という傾向も強くみられます。
人の粗探しなどをする方も誇示となります。自分の正しさに囚われているのです。それは実は不足に目が向いているからなのですが、それに気付いていません。アドバイスと人を正そうとすることは周波数が違いますよね。
猟奇的な宗教のトップや世間の人々を扇動する傾向にあります。
その他、時代の最先端を生きている、と感じることで、他者よりも進んでいる、優れている、というような優越感に浸ることで、自分を保つこともあるでしょう。これらも偽りの目醒めとなります。
チェックポイント
・自分を誇示するマインドによって、優越感になっていないかどうか?
スピリチュアルマウントを取る方となります。本当の目醒めを経験している人は、神の一部であるということが自然体であるため、自分を誇示する必要がないのです。
4つ目
眠ったまま、現実だけ良くなるように計らうことを願っている場合、目醒めの体験を現実を良くするためになっていませんか?例えば、現実をよくするため目醒めや統合や瞑想になっている場合、必死さが出てくるのです。
すると、現実が変わらないことにヤキモキしたり、人に対してもなぜ変わってくれないんだと言いたくもなってしまうのです。
優先順位が大事です。
本当の目醒めは、現実をよくするために必死にやることではなく、ただあなたを思い出すこと、愛に戻っていくこと、あなたを感じること、その先に現実が変わるのです。
つまり眠ったまま現実だけ良くしようとすることと、自分が「無限の可能性に」目醒めるために内側にフォーカスを当てるのかの違いとなります。眠ったまま、現実だけ良くなるように計らうことを願っている場合、都合の良いことだけ受け入れ、自分と向き合う大変だと感じることは後回しにしてしまうことで、「頭ではわかるのだけど」と言い続けることになってしまいかねないのです。冒頭でもお伝えしましたが、これがダメなわけではないのです。ただ、本当の目醒めを体験されたいのなら、必要なこととなります。
今からでも決して遅くはありません。
この様なことから本当の目醒とは、、、
全てに美しさを心から感じることが出来ているため、地球や自分のことが好きと感じている感覚となり愛に戻っています。そのため、クヨクヨしなくなっていき未来にワクワクします。
何度も言いますが、この状態になっていないと本当の目醒めではないということではありませんので誤解しないでくださいね。限りなく100%に近づいていくとのお話となります。
私自身も、まだプロセスの過程にいます。
目に見えない世界こそが本質であり内側が全てを創り出すことに疑いがなく、スピリチュアル情報においても自分の現状を冷静に見つめるだけの、拡大した観方、高い意識から日常を生きることができるようになります。
スピリチュアルという世界観は、自身の本質そのものであることを感じます。ゆえに、自分の生き方考え方感じ方と、スピリチュアルな世界観、という区別がなく、この場合‘スピリチュアル’という言葉の枠さえない状態となります。
人間には闇の側面があることを容認し、光の側面と闇の側面を理解し自身のバランスをとること、意識を高めてゆくことを意識されている方となります。
こうして、自身や他者に働きかけながら気づきを増し意識を拡大し、想念をも変えてゆけるほどにまで内なる創造を進めてゆける人なのです。
これまでの既成概念や一般常識など、人々を拘束している世界から抜け、まったく新しいものの見方、考え方をしていくことが出来るため、過去の栄光や実績などにもこだわることなく、毎日新しい自分として生きることを意識されていることだと思います。
過信するでもなく、過小評価するでもなく、常に自分の内側へと向かうことを知っている人は本当の目醒めを体験されている方と言えるのではないでしょうか。
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