囚われたゴシキヒワ
『ザ・ゴールドフィンチ』雑感。
Goldfinchとはゴシキヒワの事。山田五郎も大好きな絵と言っておるカレル・ファブリティウスの絵。(動画15分頃)
この映画『ザ・ゴールドフィンチ』は、メトロポリタン美術館で爆発テロが起こり、主人公テオが美術館にあったこのファブリティウスの絵をとっさに持ち去る(救出) 所から物語は始まります。1654年に実際に起こったデルフト市 火薬爆発事故で逃れた“ゴシキヒワ”の絵が再び映画の中で爆破事故に巻き込まれるというお話になってます。
ファブリティウス自身はデルフト市 火薬爆発事故がきっかけで亡くなっています。彼の“ゴシキヒワ”は長い年月の中、価値を知る人々によって大切に受け継がれてきたものだと映画の中のある人物によって語られます。まさに生き延びてきた絵。
絵の中の繋がれた“ゴシキヒワ”と同じように、主人公テオもまた過去(死んだ母親)に囚われ苦しんでいます。
【絵を盗んだという罪悪感=母が死んだのは自分のせいという罪悪感】
そこから脱出・解放されるには?
絵に関して中盤、あっ!というビックリ展開に うなる。
テオ自身もまたいろんな人々の出会いによって大切に受け継がれてきた(生き延びてきた)者なのだと思って生きて行くしかないんじゃないかのう と思いました。“ゴシキヒワ”の絵は罪悪感という象徴であり、テオ自身でもあった。
小説800ページを149分でまとめるのはやっぱり無理がある。時間を贅沢に使ってドラマで5~6時間で観たかった物件。
しかし映画とはいえメトロポリタン美術館を吹っ飛ばすって凄いよね…。東京国立近代美術館は吹っ飛ばないもん。
ではまた。