愛着ある無用の長物達へ
長年使い続けてる鞄がある。鞄というかリュックだが。吉田カバンのPOTERのタンカーで、30年くらい使っていてもうボロボロで朽ち果てそうだ。もはや身体の一部になっている。後ろ手でチャックの位置も正確に分かるし、というかむしろ身体の方がこの鞄への物の出し入れや背負う際の可動域に適切な進化を遂げている。
使いやすいというより身体がこのカバンに完全に順応してしまったのだ。腹話術人形に身体を乗っ取られてしまった腹話術師のように。養蜂というシステムにその生態ごと委ねてしまった蜜蜂のように。
この鞄が朽ち果てた瞬間、僕のこの歪な骨格や筋肉、変なクセのついた関節の可動域すべてが意味をなさなくなる。これまで積み上げてきた負債への返済を迫られ借金のカタにすべて持ってかれてしまう訳だ。
という一切はもちろん比喩で、この鞄みたいに長い年月をかけて凝り固まった人間関係や環境、思考は人を不自由にしてしまう。突然梯子を外され慌てる前に、今一度身の回りを見まわし、知らず知らずのうちにこうした鞄のような不良債権を抱えていないかチェックしてみることをオススメする。