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智慧と方便

「仏教」という言葉はよくきくが
お坊さんが何を勉強しているのだろう?
と考えると、
一般の人々はなかなかピンとこないのが現状だろう。

考えてみると、自分自身もインドに来るまでは
「仏教って、仏陀、お釈迦様が説いた宗教」
くらいしか思っていなかった。

先日のダラムサラツアーに参加して下さった方々や
こちらの友人達との会話で
『一緒に居させてもらった授業で当たり前に習ったことも、もしかすると新鮮なのかもしれない』
と思うようになったので

今回は
智慧と方便のお話し。


チベット仏教のお坊さん達は
仏陀になるための方法を詳しく論理的に習う。

修行して意識のステージをあげるためには
何が必要か?
心の状態や、何を瞑想するかなど、
事細かく波羅蜜の授業で習う。

この中で、
修行の基本ツールが「智慧と方便」。

修行をして心のステージ(段階)をあげていくことは
鳥が左右両翼で空を飛ぶ姿に例えられる。

二つ両方の翼がそろわないと
空は飛べない。

その二つの翼が
智慧と方便。

智慧とは「空性を悟る智慧」。
方便には、それ以外の修行が全部入る。
よく説かれる菩提心(皆を助けるために自分が仏陀になる!と決心した心)も、主に方便に分類される。

空性の説明は学派によって違うけれど、
ここでは中観帰謬論証派をもとにして
「わたし達が『こうだ!』と思っているように、
ものごとは有るのではない」
としておく。
「非実在」と表現されることもある。

わたし達の意識にものごと○○が映った時点で
それは、ものごと〇〇の方から存在(実在)しているように映り
それをわたし達はそのまま受け取って「○○だ」と認識しているが

「○○」とはわたし達の意識がそう捉えているだけで
そのものとしての「○○」は無い、
ということが
空性=実在の欠如。

これをどれだけ心に慣れさせて、
直接感じられるかによって
心のステージが上がっていく。

それが左翼の「智慧」の部分である。

この空性というものはなかなか難しく
納得することもままならぬ場合がある。

特に「因果応報」や「善きこと」に対しては
「それが真実(実在)でなければ、
悪行をせずに善行をすることが
意味なくなるやん。」
と思う場合もあるので、
どういう教え・説明に巡り合い、
どう考えるかも
その修行者の持ってる運にかかわる場合がある。

外れると残念
ということだ。

この巡り合わせに、福徳が関わってくる。

正しく空性を理解するためには
その後ろ盾に、膨大な福徳が必要になる。
それをコツコツ貯めていきながら
人によっては特定の神仏に祈願しサポートを得て、
利率高く、正しく、福徳貯金を増やし使えるようにする。

智慧に関していえば、文殊菩薩が有名だが、
文殊菩薩を心から信じ、祈れば
正しい知識を、
他者の役に立つよう使えるようになるという。

高度な知識を持ってはいても、
それを他者を害するために使えば
「壊れた知恵」と呼ばれるのだ。

皆を苦しみから助け出すために仏陀になろうと頑張る菩薩は
先ず皆のために頑張ると決心し(菩提心・方便)、
施しをしたり、自らを律したり、忍耐したり、精進したり(方便)、
更に瞑想をして集中力をつけ(方便)、
同時に正しく空性を学んで、何度も考え、瞑想し、
空性と自分の心を一つにしていく(智慧)。

「自分の心に映っている『○○』は、
自分の心が○○だと認識しているから○○なのだ」
と知ることで、○○からのとらわれから離れ
自由に自分の働き(利他行)に携われるようになる。

他者を利すればそれは自らに返る。
福徳がますます増える。

そうして福徳を積みながら智慧を深め、
全てのとらわれが、
その微かな滓とともに全く消え去った時に
仏陀になるのである。

こんな風に、仏の道を進む者は
智慧と方便が支え合ってステージをあげていく。

右と左でバランスを取りながら
飛んでいく。

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