菩提心の称賛《宝珠の灯》第325偈
325)菩提心の偉大さを
述べようと、守護者がなさらぬならば、
世間人、声聞、独覚や
最高の聖者であろうと、如何にできようか。
全てを知っていても、
その性質、内容が
あまりに多すぎるため
あるいは言葉で説明できることを
超えているため、
それを説明しないことは
多々あるものだ。
われわれの守護者世尊であっても、
言葉で伝えると
伝えられた相手が受け取りきれなかったり、
誤解しそうな場合は、
言葉で伝えないこともある。
菩提心の偉大さも
その一つなのか。
「菩提心」は一つの名詞でも
その分類法はいくつもあり、
「世俗」と「勝義」
という名で分類しても
「勝義」の説明をするには
空性まで説かねばならず、
言葉も非常に多くなり、
実際のところは
言葉で説明できるものでもない。
仏陀でさえもそうなのだから、
それ以外の者は
言わずもがな。
とても物知りで、賢く、
皆を心から助け、
弁も立つ人がいたとして、
その人が、何かをとても大切に
持っているとする。
それはとても役に立つものだから
大切にしているのだが、
それについて彼が多くを語らない場合、
語り尽くせないほどの凄さを
彼は感じているのだ。