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「縁起」の使われるところ

「縁起」という言葉には、沢山の意味が当てられる。
日本では「縁起が良い」「縁起が悪い」と巡り合わせのような意味で使われることが多い。

チベット語の仏教テキストの中で使われる時には、
①十二縁起の「縁起」
②縁起生の見解の「縁起」
の、主に二種類の意味で使い分けられる。

チベット語で「テンデル(rten ‘brel)」といわれる言葉だけれど、
直訳すれば「依拠し関係する」。

これが仏教用語として使われると、縁(さまざまな原因・条件)によってものごとが起こる「縁起」となる。

この意味を通して、
輪廻の中で生を受ける場合の十二の段階を示す言葉を①「十二縁起」という。
無明・行・識・名色・処・触・受・愛・取・有・生・老死
の十二段階があるけれど、それぞれの意味はここでは割愛する。

もう一つ、②「縁起(生)の見解」という時の「縁起」がある。
この「縁起」とは、
「他に関わらず実在する『そのもの』は無い」ということの理由にあたり、
「縁(さまざまな原因・条件)に依拠してものごとが起こる、又は有る」
というもの。

これには三種類あって、
1)原因と結果の縁起:特定の原因から特定の結果が起こる。
無常(恒常ではなく変化するもの)のみに当てはまる。
例・リンゴの種からリンゴの木が生える。誰かに親切にしたら自分も嬉しいことが起こる等。
⇒仏教哲学の学派全て(毘婆沙部・経量部・唯識派・中観派)が承認する。

2)相互関係の縁起:互いに対応する何かがある相互関係。
常(恒常)・無常両方に当てはまる。
例・定義・被定義項(定義されるもの)。あちら・こちら。高い・低い等。
⇒主に中観派(中観自立論証派・帰謬論証派)が承認する。

3)概念作用で名付けられただけの縁起:「概念作用(思考)で概念や名前を付けることによってものごとは成立する」というあり方。
すべてのものごとに当てはまる。
例・車(沢山のそれぞれ異なった部品を組み上げて、出来上がった製品に「車」と名を付ける。)
しかしながら、「車そのもの(実在の車)」は、それぞれの部品にも、部品の間にも、部品の関係性等の中にも無い=無我

無我(無我は、無我という性質を持つ何かがあることによって成立する。
無我は、その性質に「無我」と概念づける・名付けることによって、思考で認識される。)
⇒中観帰謬論証派のみが承認する。

なので、「縁起」という言葉が出てきた時には、どの意味で使われているのか考えてみることも面白い。

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