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他空派の宗論⑨

第三項[共通の定義]において、[双入][自性の種(仏性)][勝義の界を説く]の三より、

第一項[双入]とは、勝義の法界は、世俗である主客が欠如しており、勝義の法性が欠如していない、双として入る我性を持つものである。

第二項[自性の種(仏性)]において、[種(仏性)の特性][定義][分類][言葉の説明]の四より、

第一項[種(仏性)の特性]は、菩薩の六処の特性、或いは法性。一つ一つその継続が続いてきた。無始の時を持つ。法性によって得た等である。

第二項[定義]とは、原初より心の本質としてとどまる全ての良質を具えた内側の知覚である不変の智慧であり、それを対象として修行道に努めれば(心の)汚れと離れることができ、果てしない功徳を実現できる無為の善。種(仏性)の定義。
事相は、資量道菩薩の心相続のアラヤの智慧のごとくである。

「双入」とは、
二つ(双)の性質が
一つの基体にともに入っていること。

それぞれの性質は別の拠所があるのではなく、
法界という一つの実質に
①世俗である主客の欠如
②勝義の法性をもつ
という二つの性質が同居している。

「菩薩の六処」の「六処」とは
内に属する感覚器官で、
目・耳・鼻・舌・身体と意の感覚器官である。

[定義]の項にある「無為(むい)」とは、
原因や条件によって起こっていないもので、
定義は「生まれていない」。

一般には
恒常で全く変化しないものを指すが、
ジョナンの先生に質問したところ
ここでのニュアンスは少し違う。

本項での「無為」は、
無始の昔から常にその本質としてあり続けているので、
一時的な原因や条件によって
以前無いものが新しく起こるものではない。

その意味で「生まれていない」
「無為」である。

「事相」とは、具体的な例のこと。

「資量道」とは、
仏道修行と結果の、五の意識段階で、
①資量道(しりょうどう)
②加行道(けぎょうどう)
③ 見道 (けんどう)
④修道(しゅうどう)
⑤無学道(むがくどう)
といい、
最後の無学道は
それぞれの結果(大乗修行であれば仏陀)を得た時の、意識のステージである。

ここでの「アラヤの智慧」は
注意が必要な言葉である。

唯識の説明とは異なる意味がある。

唯識での第八識、阿頼耶識(アラヤ識)は、
有情の知覚で最も微細、安定しており、
潜在的にカルマの種を保持して
輪廻転生を繰り返す主体となる意識である。

ここでの「アラヤ」は、
「全ての基(kun gzhi)」の意味となり
法界を示す。

大乗修行入門者の心にある、
全てに遍くいきわたる
法界と不別の智慧が、
種(仏性)の具体的な例となる。

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