菩提心の称賛《宝珠の灯》第145偈
145)大乗菩提心の地に、
世間人と、声聞と、
部行と、犀のような独覚の
殊勝な思いが、どう到ろうか。
「声聞」は、まず自らの解脱を達成する修行者で、
仏陀などの師に教えを仰ぎ、
修行をして結果を得る者。
チベット語直訳では「聴き朗誦する(thos sgrog)」。
声聞の昇名で、仏陀の教えを聴聞し、朗誦するように他者へ広める故に、そう呼ばれる。
「独覚」も、自らの解脱を先ず追及するが、
独覚の果(阿羅漢果)を得る最後の転生では、
他者にあたる仏陀などの師に依拠せず、独りで覚醒する。
彼らにも二種類あり、
最初は声聞の道に入り、声聞加行道を経て独覚の道に入る
「部行(集団で修行する/tshogs spyod)」と、
孤独が好きな「犀の(角の)ような(se ru lta bu)」独覚がいる。
「世間人」とは、一般の人々である。
彼らも更に幸せになるために、
求道を極めるために、
ことさら優れた思いを持って、目標達成に臨むけれど、
彼らが到達するのは、
彼らの目的地。
全ての衆生が、全ての苦しみを無くし、
全ての功徳を具える幸せの境地に至ることはない。
いや、至ることはあるけれど、
回り道をするので、
時間がかかる。