菩提心の称賛《宝珠の灯》第6偈
6)欲望に端を発する障りから解放され、
真如と一切と内学を知る、
智や解放などの八の功徳を具える、
聖者衆が、誰の帰依対象でないとなろうか。
「真如」とは勝義、「一切」とは世俗にあたる。
「内学」とは、仏教の特別な(内々の)修行道を示す教えのこと。
「智」は知っている意識、「解放」とは苦しみが無くなった状態。
これらを具える聖者の集団、ということで、
既に空性を直覚で悟った聖者衆を、「僧伽」とおいている。
空性を直覚したことがあれば、その方一人で僧伽となるが、
それをしていない者であれば、比丘が四人そろって初めて僧伽になる。
なので、チベット僧院で出張の法要を行う時は、
お坊さんを四人派遣することが習いだ。
空性を直覚していなくとも、空性を対象にした三昧を得ていれば、
人々の病を癒したり、その他の神通力を得る場合もある。
それだけでもスゴいのだから、
もっとスゴいのだ。
滅諦と道諦を得ている者、
それが僧伽であると、
クヌラマリンポチェは言っている。