そういえば、仏陀
昨日、Sさんから質問を頂いた。
2600年前にインドにおられた釈尊と
大乗仏教で説かれる仏菩薩の関係性を、
チベット仏教でどのように説明するのかという
ご質問だった。
そういえば、
仏陀や菩薩について話す時には
物語のように背景があやふやになってしまう。
質問を拝見して、
「自分にとって当たり前だからといって背景をはしょってしまうと、説明が分かりにくくなる」
と改めて知った。
Sさん、貴重なご質問ありがとうございました。
もしかすると、こんなことに興味を持たれる方もいらっしゃるかと思い、
今回はSさんのご質問に答える形で
ブログを書く。
先ず、
わたし達が親愛をもって呼ぶお釈迦さまと、
釈尊の意味は同じ。
お釈迦さまはゴータマ・シッタールダという名があるが、シャキャ・ムニとも呼ばれる。
釈迦族の聖者・尊者ということで、釈尊。
2600年前にインドに現れた釈尊についての説明は、パーリ語法統(小乗系)とサンスクリット法統(大乗系)で異なる。
パーリ語法統では、
この世界に仏陀は1人しかおらず、
修行の最終段階でルンビニーに生まれ
ブッダガヤーで修行を完成させた
それが釈尊。
釈尊が入滅(亡くなられた)後、
身体はもちろん意識の流れもなくなって、
仏陀の存在は文字通りなくなったと説明する。
今現在、仏陀は存在しない。
それに対してサンスクリット法統では、
釈尊はこの世界に現れるずっと前から既に仏陀になっており、
この世界に合わせて現れた
変化(へんげ)の姿であると説明される。
仏陀でない者が
仏陀になる為の方法を見せる為に現れた。
サムネの写真で、
「応身(おうじん)」にあたる。
釈尊は
わたし達の状態に応じて現れた応身で、
変化のもとになっている報身(ほうじん)がいる。
釈尊は亡くなられても、
もとの報身は輪廻が無くなるまで存在し続けるので、
今でも仏陀はいる。
ちなみに、仏陀の目に見えない部分として
「法身」というあり方もある。
仏陀の意識と、仏陀の意識の空性(非実在)を、
智慧法身と、自性法身という。
例えば、
デチェンの姿は目に見えるけれど、
デチェンの心と、デチェンの心の空性は目に見えないようなものだ。
さて、
今の刧(ごう:非常に長い時間の単位)は
賢刧(非常にありがたい刧)だといわれるが、
それは賢刧において千の仏陀が現れるから。
他の刧ではこんなに沢山仏陀は出ないし、
何なら全く現れない刧もある。
その千仏のおひとりが釈尊。
釈尊は人間に、
仏陀の顕かな教え(顕教)と
秘密の教え(密教)の両方を伝えてくれた。
千仏の中では、
三仏だけが顕密両教を教えてくれるという。
また、千仏の中でも
釈尊が稀少な白蓮のように讃られる理由は、
欲望が強く喧嘩っ早い
最もしょーもなくて他の仏達が避け倒した我々を
何とかしようと名乗り出てくれた故である。
他の仏陀達にも
「君すごい!尊い!」
と讃えられた存在なのである。
また、先日他の方から、
仏陀と菩薩はどう違うの?
とご質問があった。
仏陀は大乗の修行を完成させた結果、
仏陀の境地を得た者で、
菩薩は未だ修行中の者。
菩薩が修行を完成させると仏陀になる。
ここに記したことは、
チベット人の先生方から習ったことだ。
歴史的というより
物語的な説明も多い。
また、何十回も十万回(総計何百万回)の五体投地をなさった先生から、
「仏陀の現れは沢山あるけれど
仏陀は1つだ。」
とうかがったこともある。
わたし達が
いろいろな種類の仏陀を見ようとも、
ひとつの本質的な仏陀が
それぞれの人や状態に合わせて
いろいろな仏陀の姿として現れている、
或いは
いろいろな仏陀の形でその人の意識に映る、
という意味に解釈した。
ともあれ、
あなたにとって最善最適の方法で
仏陀は現れる。
なので安心して大丈夫。
Sさん、ご質問ありがとうございました!
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