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変化するもの・しないもの

誰でも同じだと思うが
修行する時には
ちゃんと効果の出ることをしたいので

その基礎として
世界の構成やあり方を
正しく知ることが大切になる。

仏教徒も同じこと。

特に大乗の仏教徒は、
信じられない程何度も生まれ変わって修行を続け、
頑張って頑張って修行を完成させた(イメージ)仏陀に続こうと腹を決めた人々。
それも今目の前にいる、
苦しむ衆生を救いたいという強い動機がある。

長い時間がかかるだろうと知ってはいるものの
早く皆んなを助けられる存在になりたいという
ジレンマがある。

したがって、
間違った情報に惑わさせながら
修行をしている暇はない。

正しくものごとを認識して、
それに対応した修行をしようとする。

正しい認識が修行の基礎になる。

我々が生きる世界は
いろいろな「あるもの」が組み合わさって
存在しているが、

あるものには、
変化するものと
しないものがある。

人は生まれて、育ち、死んでいく。
これは変化するもの。

10歳の時の「誕生日ケーキ」は
その時に食べられて 
消化されて
力になって
大人になればその時の細胞ももうない。

それに対して、
思い出の中の「誕生日ケーキ」は
いつ思い出しても
その時のケーキのまま。

時間の経過に従って、
食べられて消化されて血肉になって
今ではその細胞も新陳代謝されて、
と、
実際の変化にともなって「誕生日ケーキ」のイメージが変化することは無い。

思い出のなかのイメージは
変化しないものなのだ。

このように、
目など五感で認識できる対象は
「変化するもの」に分類されて、
思い出などの思考の対象は
「変化しないもの」に分類される。

で、実際わたし達が
多く関わっているのはどちらかかというと
五感の対象である
「変化するもの」だ。

変化するものは、
時間とともに変化する。

普通にしていれば
時間は止まらないから、
変化も止まらない。
常に変化し続けることになる。

これが無常。
「常に」が無いのだ。

変化することは、
良いことでも悪いことでもない。
ただ状態が変わるだけ。

それを仏教では、
「輪廻のものごとは変化するから、
それに執着すると苦しむ」
と苦しみの理由に使うこともあるし、

「変化して結果をもたらすから、
結果につながる修行をしよう」
と特定の結果につながる修行をしたり、
「変化するから、仏陀になれるのだ」
と、モチベーションを上げるために使うこともある。

いずれにせよ
イメージの中のものに慣れてしまうと、
一瞬一瞬変化していくものに
対応できなくなることがある。

今まで、
良いことも悪いこともあった。
これからも、
いろんなことがあるだろう。

その中で
最適な方法を選ぶには、

イメージではなくて
目の前のことを
しっかり見ることが大切になるのだろう。

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