菩提心の称賛《宝珠の灯》第17偈
17)如意樹の根元へ行き
祈れば、その如く望みが叶う。
菩提心も、衆生の
望みを自在に満たすもの。
チベット語一行目の始めから、修辞学で「如意樹」を二通りに表現している。
第一は「ことごとく集まる(yongs ‘du)」、
第二は「地に到達した(sa brtul)」、あるいは「地を貫く(同)」。
第一第二とも「如意樹(dpag bsam gyi shing)」を示す。
「望み」も直訳では「欲す意味(’dod don)」。
四行目も直訳なら「欲す意味を完遂させることに自在である。
(‘dod don rdzogs par byed la dbang)」となる。
不老長寿の薬を求めて、海の果てまで捜索隊を派遣する王や、
永遠の若さを求めて膨大な時間とお金を費やす富豪や、
豊かな生活を求めて働き続ける人々も、
如意樹が一本みつかれば、その根元で祈れば良いだけ。
でもその如意樹は何処にあるのだろうか。
菩提心は、自らの心で生じさせることができる。
如意樹の如く、全ての幸せをもたらしてくれる菩提心が自分の中に見つかれば、
遠くまで探しに行くこともない。
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