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菩提心の称賛《宝珠の灯》第144偈

144)菩提心が、布施、持戒、
忍辱、精進、禅定、智慧の全てを、
成仏を得る原因にする。
波羅蜜の名をも得る。
 
 
 
「成仏」の部分直訳は「仏陀(sangs rgyas)」。
 
「成仏を得る」とはお亡くなりになることではなく、
仏陀となること。
 
「仏陀」というチベット語のつづりにも、
sang:(悪質を)浄化し
rgyas:(良質が)増大する
という意味がある。
 
布施:施しをすること
持戒:各々の戒律を守ること
忍辱:耐え忍ぶこと
精進:善を喜び努めること
禅定:心を集中し安定させること
智慧:ものごとをありのままに知ること
 
という六の実践は、
誰でも、どのような心持でもできる。
 
ただ、それを行う時の動機によって、
その結果も変わってくる。
 
同じ実践をしても、
来世の幸せを求めて行えば、来世の幸せを享受した時に効力は尽きる。
自らのみの解脱を求めて行えば、解脱を得た時に尽きる。
 
「皆の幸せを実現するために仏地を得る」
という目標を立てて実践したならば、
その結果を得るまで、
来世の幸せと、解脱を既に得ていたとしても、
その効力は持続する「成仏を得る原因」となる。
 
六の実践修行も、
菩提心がなければ、ただそれぞれの修行。
 
菩提心の後ろ盾があれば、
「波羅蜜=あちらへ行った(pha rol tu phyin pa)=彼岸を渡った」
の修行となる。
 
チベット語では動詞が過去形となっているが、
波羅蜜の授業では「彼岸を渡る」「彼岸を渡った」の二つの意味があると
丁寧に説明される。
 
同じことをしていても、

こちらに留まるものと、
あちらへ行くものに分かれる。

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