再録「あのときアレは高かった」〜待望の折れないバット・金属バット8000円
「あれ、欲しい!」
そう思うが月々のお小遣いでは到底手が出ない。恐る恐るおかんに相談してみたら、「そんなのおとうさんに言いなさい!」とピシャリ。
そりゃ、直接言えるのなら、おかんに相談しませんわな……。
と、そんなわけで、クラスの中の金持ちのボンだけが持っているのを横目に見ながら、泣く泣くあきらめたあの日の思い出。
そう、あの時あれは高かったのだ。
昭和の、子どもには「ちょっと手の出しにくい」ベストセラー商品。
当時の価格や時代背景を探りながら、その魅力を語る。
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怪優・竹中直人の往年のギャグに「笑いながら怒る人」というのがあったが、小学生の時の私がその場で経験したのは、さしずめ「笑いながら同情する人」だった。
たぶん1974(昭和49)年ごろのことだったと思う。
私は「バットを新しく買った」という友人と放課後、近所にあるバッティングセンターに行った。野球少年であった私たちは興奮していた。お小遣いを貯め、やっとの思いでお気に入りのバットを手に入れた私の友人の興奮はなおさらであった。
友人は上気した顔で、「じゃ、俺が先に打つね」とゲージに入った。貴重なお小遣いが投入され、友人はバットを立て、田淵幸一型に構えた。じっと見守る私。
マシーンから放たれた第一球、友人は思いっきり振った。バキッと鈍い音をたて、新品のバットは根元から折れた。
バットの木片が、場内でカラカラとバカな音をたてた。
あまりの衝撃にその後のことはあまり覚えていない。ただ、その「事故」のあった翌日、ガムテープでぐるぐる巻にした「いびつな」バットを持った友人が公園に現れ、「いや、それムリでしょ」と思ったことをかすかに覚えている。
そんな子どもたちの「悲しき思い」が伝わったかどうかは定かではない。このころ、金属バットが発売された。
価格は軟式用で4000円前後。現在の価格に直すと約8000円である。
もちろん、私たちは先を争ってそれを買い求めた。
その金属でできた「新しい」バットは折れなかった。友人はフォームを高田繁型に変えた。子どもたちは、「折れない」力強さを手に入れ、少しだけ成長した。