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再録「あのときアレは神だった」〜丹古母鬼馬二

テレビアニメ、漫画、スポーツ、アイドル歌手などなど。
実在の人物から架空のものまで、
昭和にはさまざまな「キャラクター」が存在した。
われわれを楽しませたあの「神」のようなキャラクターたち。
彼ら、彼女たちの背後にはどんな時代が輝いていたのだろうか。
懐かしくて切ない、時代の「神」の軌跡を振り返る。

(2016年より、夕刊フジにて掲載)


丹古母鬼馬二(たんこぼ・きばじ)。これほどすさまじい名前があっただろうか。

今でこそ、テレビをつければ、「ベッキー」だの「とにかく明るい安村」だのいろいろな名前があるが、「丹古母鬼馬二」の、あの当時(昭和50年代あたり)の、「え? なにそれ、名前?」的な衝撃といえば、相当のものだった。だって、タンコボもタンコボだし、キバジもキバジ。まさに、変名の「神」だ。

繰り返すが、いまはすっかりへんな名前に慣れてしまっている。

「姫星」と書いて「きてぃ」と読むキラキラネームや、日本人なのに英語の綴りとか、もはやどこの人だか問う気にもなれない「厚切りジェイソン」など、もちろん、全部本名ではないにせよ、へんな名前が巷にあふれている。

だが、昔はみんなそこまでの度胸(なんの度胸だか)はなく、変わった名前というのはあくまでも、落語家とかコメディアン(三遊亭とか、トニー谷とか)、あるいは本物のガイジン(E・H・エリックとか)などの、ものすごく一部の人の専売特許でしかなかった。

要するに、名前というものは好き勝手つけるようなものではなく、個人の裁量ではいかんともしがたい、いわばその人個人の背負っている「業」のようなものという感覚があった。だからこそ、長門裕之の8ミリフィルム姿が懐かしい往年のヒットテレビ番組『特ダネ登場!?』(日本テレビ系)内の「珍名さんクイズ」コーナーの存在意義があったのである。

丹古母が思いっきり鬼馬二していた1970年代。日本は戦後の困窮から復活し、世の中は少しずつおもしろいほうへと傾き始めた。わたしが(お堅い印象の)共産党の元書記長「不破哲三」がペンネームだと知ったのは、わりと最近のことだ。

名前だってエンタメの一要素。あとは番号制でよろしく。近年導入のマイナンバー制度は、来るべくして来た制度なのかもしれない。 =敬称略 (中丸謙一朗)



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