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よき「完璧主義」と悪しき「完璧主義」
ちょっとうまく伝えられるかわからないけど、ついさっき、自分の中の一つの謎がほどけるような感覚があった。
こだわりの強い子供だった。
ひらがなや簡単な漢字のプリント、字の上からなぞるよね?
少しでもはみ出すことが許せなかった。これはちょっと親の影響があるかもしれないけど、でもきょうだいには全くそのケはないので、私の元来の性質との相乗効果な気がする。
あとは感受性の強い。
小学校一年生、入学したての音楽の時間に「翼をください」のテープを聴いて涙を流すような。
でも、何もかもに神経質で、何もかもに細かかったかというと違う。
だいぶ違う点もある。
朝に弱く、意地でも起きず、親に怒鳴られて布団をはぎ取られ顔に水をかけられても起きない、起きたと思ったらトイレで寝て洗面所で寝てまた怒鳴られまくるという誇り高い勇者のような面もある。
けどそこについて書きだすと長くなる(なった)ので割愛。
で、「完璧主義」について。
私が数年前に気づいた、自分では意外だった「よくない完璧主義」の面から説明する。これは今回の気づきとは別のもの。
私は、新しいことにチャレンジするのが苦手だった。
ひとつできたら十分、一歩前進、みたいな考え方がなかなかできなかった。
ゼロ0ヒャク100思考の持ち主だった。
完璧にやれないなら最初からやらない方がまし、みたいな、極論を言うとそういう部分があった。
チャレンジとかじゃなく日常的な部分でもそう。
ほどほどに掃除、しないよりはしたほうがいいから今できるところだけやっちゃおう、みたいなことができにくい性質だった気がする(今はだいぶ変わってしまったので記憶によるとだが)。
中途半端が許せないというか。
終わらせられないなら始めたくないというか。
しょぼい出来上がりに終わるなら挑戦自体したくないというか。
でもその時の私は自分自身のことを、怠け者だって思ってた。
怠惰で、腰が重くて、やる気がないみたいな。
でも違かった。私は完璧主義だったんだ。
最初の一歩目から完璧にできないなら、失敗とか中途半端とかは私のプライドが許しませーん。そんなの私はやりたくありませーん。って傲慢な態度の人間が私だった。
それにある瞬間はっきり気づいてから、
恥ずっ!ダサッ!何様!!!!!
ってなって、ちょっと変わったんだよね。
チャレンジも、失敗も、恥をかくことも、惨めさを受け入れることも意図してやっていこうってなったし、日常の家事とかでも、完全にできなくても一つだけでもやろう、逆に一つでもできたらOKっていう風にもなれた。
その「完璧主義」は全然よくないなって思ってる。
身動きをとれなくさせるもの。
「理想」の状況を手に入れられないなら最初からやらない方がまし、諦めた方が、望まない方がまし、みたいな考え方や生き方に繋がる。
でもここからは、今回気づいた「私が今まで自分によくないと禁じてきた自分のもともとの性質でもある完璧主義」について書く。
たとえば私は、服が好きなのだけど、服のデザインや素材や色味や、なんでもいいんだけど、それを構成する何かしらの要素が気に入らない場合、最後まで気に入らず、結局手放すことが多い。
ていうか毎回そうなってきた。
95点なんだけど、マイナス5点部分が嫌、みたいな。
でも以前は、100点のものなんかないんだから目をつぶるしかないって思ってた。我慢するしかないって。
それが妥当なやり方だといえなくもないし、服ならそれでもいいかもしれない。95/100点なら問題ないどころかかなりいい線いってるかも。
問題は、30/100点とかでも目をつぶろうとする姿勢が、人生全般においてのデフォルトになってしまった場合。
私はそうなっていた。
この世界のあらゆるところ、人間の歴史が戦争の歴史であることやインテリアや人の話し声の大きさ、照明の刺々しさなど細部に至るまで、あらゆる部分がほぼ例外なく神経に触るから、全てにおいて我慢が普通だから、逆に何もかもに感度を鈍らせて感じないようにしてきたのだと思う。
そして、他人や世界を受け入れることに焦点を合わせ、諦めることに力を尽くし、感じる心を必死に殺し、自分が何を感じているかわからなくなっていた。
私が自分で殺していた。
そして、「自分の気持ちがわからない」、
自分が何をしたいのか、何が欲しいのか、何が好きなのかわからない、ゾンビ状態になっていた。
彷徨える亡霊である。かわいそうに。
自分で自分の心がわからないというのは、かなり苦しい状態だ。
今はだいぶましになってきたけど、あの状態には戻りたくない。
それくらい、苦しい。
答えを求めてすがる、という表現がぴったりで、でも「そんなの自分自身にしかわからないよ」というのが答えで、それが真理なのだ。
自分を取り戻す旅に出るしかないのだ。
また話が横道に逸れてしまった。
(しょっちゅう逸れる。sorry)
(私が元来持っていたけども成長の過程で失った、自ら拒み捨て禁じたとも言える)よき「完璧主義」の話。
この「完璧」は、自分にとっての「完璧」という意味だ。
満足がいく、とか、好み、とか、しっくりくる、とか嬉しい、とか。
つまり「違和感がない」という意味での「完璧」だ。
それって大事な感覚じゃない?
必要な感覚じゃない?
自分にとって違和感のない、安心できる、寛げる、これで完璧だ!好き!!って思える状態の「完璧」。をわかる感覚。
それって、自分の望むもの、求めるかたち、大事にしてる状態や必要条件を、感覚的に掴んでるってことでしょう?
逆にそれがわからないと、自分に合わない環境や場所や人の中で、不調和を感じながら、むしろ自分自身が不調和を生み出しながらうろうろして、消耗して、何も得られず、相手や環境からも迷惑がられて、いろいろ不毛な時間を過ごすことになるじゃん。
最悪。
でもわかる。それやってきた自覚あるから。
この意味での「完璧主義」は、自分(の求めるもの、欲するもの、必要とするもの)をわかってる、ってことなんだよ。
自分を知ってるってこと。
自分にとってのYESと自分にとってのNOを、知ってる。理解している。認めている。
この最後の「認めている」は大事。
否定してたら、結局また「わからなくなる」のループに入っていくことになるから。
自分にとっての「完璧」を知ってるってのは、自分を知ってることと同じだ。
この意味での「完璧主義」は「自分主義」と同じ。
でも思い出して。
私は、この世界に絶望して、その自分の感覚を「ないものとする」というやり方で身を処していこうとした。
全部が自分にとっての「完璧」から程遠すぎるように感じられて。酷い有様だと感じて。
こんなの絶対無理、感じるなんて、受け入れるなんて、と幼き日の私は思ったのだと思う。それくらいなら感覚を凍らせた方がまし。心は死んでも身体は生きられる、とでも言語外に思ったかもしれない。
私は、「変えられない」と思った。
変えていいとも思わなかった。世界を。
変えられるというのは、変えていいと思っている人の発想だ。
私は、自分が部外者でよそ者で後から来たものだと無意識に感じていた。
要求するなんて考えつきもしなかった。
そんな、厚かましいこと。
でも案外、そういう感覚の人ばっかりじゃないと最近気づいたんだよね。
変えていいって、当たり前のように思っている人もいる。
「自分に合わせて」だ。
世界の側を、「自分にとっての完璧」に合わせて。
ちょっとびっくりした。
でも、私も世界の一部なんだと思った。
世界は確固として私の外側に、完全に別個に存在しているわけじゃなく、私もその世界の一部なんだ。
みんながそれぞれ一部で、別であるようで完全に別ではない。
だからといって、私はやっぱり「世界を変えよう、私の感覚(完璧)に合わせて」という風には思わないし思えないし、それは気持ち悪いと思ってしまう。
が、世界は確固とした存在や事象として自分とは完全に別個の存在として存在していて、私は後から来たよそ者だから邪魔にならないように変化もなるべくもたらさないように気を使いながら隅っこで小さく生きているべき、みたいな感覚や考え方も、めちゃくちゃ変だし歪だなと思うようにはなった。
前は、意識も言語化もしてはいなかったけど、まさにそういう感覚だったから。うん。確かにそう感じてたと思う。
今は、「変えよう」とも「変えようとしてはいけない」とも思ってはいない。
私は私にとっての「完璧」を求めていいんだと思う。
そうはならないかもしれない。
30点が頑張って70点になるだけかも。
でも、現状30点にしか見えない、もしくはマイナス5点の世界に対して絶望して、自分の心を殺して、自分の好きなものがわからない迷路に迷うような茶番劇はやめようと思う。
まず、世界は広い。
マイナス5点の場所もあれば75点の場所だってある。
なんたって、この「完璧」は、あくまで私にとって、だから。
わざわざマイナス5点の場所で頑張らなくてもいい。
75点の場所に移動してから、80点に変える(自分の半径数十メートルでもいいではないか)努力をすれば、まずはいいと思う。
betterを重ねるのも、「完璧主義」の一環だ。
今がbest(100点満点)じゃないから最初からやらない、諦める、のは悪しき「完璧主義」の方だ。
自分にとっての「完璧」がわかってて、それに向けて(自分自身のために)できる範囲でたゆまぬ努力をするのがよき「完璧主義」。
いっこいっこ好きなようにつくり変えていくことは、この世界の一部である私たちに与えられた喜びのような気がしています。
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