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絵を描く上で必要な「才能」。それを構成しているものとは何なのか?
先日Twitter(X)で「絵を描く才能が無い者はどうすればいいんだ」という嘆きに対し、現役のイラストレーターがコメントしているところを見かけました。どうやら大本の呟きは生成AIに関するものだったようで、これに対して現実的な意見が飛び交っていました。
自身も絵描きの端くれとして、現役イラストレーターの厳しい声には頷くほかなかったのですが、ここでふと疑問がわきました。そもそも「絵を描く才能」ってなんなんだ?と。
一般的に「才能のある人」と言うと「持ち前の能力を活かしてその分野で活躍する人」を指すことが多いと思いますが、Twitter(X)を始めとしたSNS上での批判に用いられる「才能」には生まれたときからその分野に長けていて、大した苦労も無く活躍している人のような、やや侮蔑的なニュアンスが含まれているように感じます。
ただ今回の記事では「才能」という言葉に含まれる「意味」ではなく、「才能」を構成している「様々な能力や適性」を紐解いてみる記事になります。一言でまとめられがちな「才能」ですが、その実を一つずつ掘り下げていくことで、今の自身に足りないものや上達に必要なきっかけを見つける良い機会になればと思い、今回書いてみることにしました。
自分のこれまでの経験を踏まえた上で整理してみたので、もし良ければ流し見でもして貰えると幸いです。
●「絵を描く才能」に必要なもの
・継続
継続…前から行っていることをそのまま続けること。また、そのまま続くこと。
最初の項目ですが、自分は絵を描く上でこれが最も大事で、かつ維持するのが最も難しい能力だと思っています。
興味の有無・得意なジャンル・練習の質や量など、絵を描く上で大事とされるものは沢山ありますが、とにもかくにも続かないことには始まりません。
飲み込みが早くて短期間で目ざましい活躍を見せたとしても、何かをきっかけにやめてしまえばそこで終わりです。例え成長が遅くても、飽きずに何年も継続できる方がより良いと自分は考えます。
人は何でも短期間で結果を出そうとしがちですが、実際のところそう上手くいくことは非常に稀です。むしろ上手くいかない時間の方がはるかに長いもの。
しかも続ければ続けるほど壁が何度も立ちはだかるし、乗り越えるごとにどんどん高くなっていきます。心が折れる機会も両手で収まらないなんてザラでしょう。
絵に関するどんな話をするにせよ、まずはお絵描きを続けられること。これが絵を描く上で最も基礎的かつ重要な才能と言えるでしょう。継続は才能の心臓部と言っても過言ではないです。
・反復練習
反復…同じことを何度も繰り返すこと。
練習…[名](スル)技能・学問などが上達するように繰り返して習うこと
自分は今年でお絵描き4年目ですが、最近になってようやく反復練習の重要性に気付きました。遅すぎる
反復練習はどのジャンルにもあります。野球ならバットの素振り、相撲なら四股を踏む、音楽なら発声練習や同じ曲の反復…といった具合です。
一見するとどれも単調な動作で大した意味が無いように見えますが、反復の積み重ねはめちゃくちゃ大事です。
少し専門的な話になりますが、動作を反復することで「手続き記憶」として大脳基底核と小脳に動きが記憶されます。特に小脳には細かい動きに関する記憶が行われており、目に見えないようなほんのわずかな動作の差異なども小脳で調整されています(※1)。この細かな調整に反復練習の積み重ねが大きく作用します。
絵描きを例えに考えてみます。
お手本と同じ動きをしているつもりでも、結果が全く違っていた経験はありませんか?
プロの動きと同じように線を引いても結果が全然違って見えるのは細かな調整が不足している、すなわち反復練習が足りない可能性が考えられます。こちらはまだ数日しか練習していないのに対し、プロには何十年もの目に見えない地層のような積み重ねがあります。
我々はすぐに結果が出せるtipsをつい探してしまいがちですが、上手くなるためには地道な反復練習が欠かせないと言えるでしょう。
先述の通り、自分は最近になって反復の重要性に気付きました。
これまではちょっと描いてはすぐ休憩…を繰り返していて集中力が長続きしませんでしたが、線を引く反復練習を半年ほど続けてからはずっと長い時間描けるようになっていました。
すぐ結果には結びつかないけれど、地道な動作を黙々と繰り返せる。これも絵を描く才能の一つと言えそうです。反復練習は才能の芯を鍛え上げる、地味でも非常に大切な積み重ねです。
・反省と改善
反省…1 自分のしてきた言動をかえりみて、その可否を改めて考えること。
2 自分のよくなかった点を認めて、改めようと考えること。
改善…[名](スル)悪いところを改めてよくすること。
上達に必須の能力で、これが出来るか否かで明確に実力差が生まれる要因でもあります。
絵は描けば描くほど自然と上達するものとイメージしがちですが、絵を描くことはほとんど上達に寄与しません。絵を描いて振り返りを行い、それを基に改善することで初めて上達します。「描きっぱなしは良くない」と言われるのもこれが所以で、描いて満足してハイ終わり!ではずっとそのままです。
才能の可否が分かれる原因として、反省と改善ってほとんどの人にとっては楽しくない地味な作業なんですよね。絵を描くモチベーションのピークは絵が完成した時で、そこからは蛇足というか、やる必要が感じられないものです。
「完成して気持ち良くなったし、また絵を描いて気持ちよくなろ~」って思うのが普通で、「反省と改善」フェーズは上を素通りされることが多いです。重要なフェーズだけど、面倒くさいしスルーされがち…
だからこそ反省と改善が出来る人は絵描きの才能がある…というより、上達の才能があると言えるでしょう。
自分の粗と向き合い、それを正していく行為を欠かさず行える。一見修行のようですが、目先の「快」に捕らわれずにやることをやれるメンタルは特筆に値します。反省と改善の徹底はレベルアップするために必要不可欠な適正です。
・余裕
1 必要分以上に余りがあること。また、限度いっぱいまでには余りがあること。「金に—がある」「時間の—がない」「まだ席に—がある」
2 ゆったりと落ち着いていること。心にゆとりがあること。「—の話し振り」「周りを見る—もない」
ここでは1と2の両方の意味での余裕を指し、特に余裕を「精神的余裕」「時間的余裕」「金銭的余裕」の三つに分けます。
三つに分けましたが、どれも文字通りの意味です。「精神的余裕」はメンタルに余裕があるか、「時間的余裕」は時間に余裕があるか、「金銭的余裕」は貯金や収入が余裕があるかどうかを意味します。
そしてこれらの余裕は互いに相関関係にあります。もしも貯金があれば働く時間を減らして余裕を生むことができますし、メンタルも安定します。もしも時間に追われることが無ければメンタルも安定するし、支出の判断にも余裕ができます。
逆を言うと、これら三つのどれかが欠けると一気に崩れます。借金を抱えていたら精神的に余裕が無くなるし、返済のために時間も削って働かないといけません。
環境や立場などの運も絡みますが、これら三つの余裕を確保できるのも、絵を描く基盤を整える上で必要な能力と言えるでしょう。余裕は才能の質を上げるビタミンです。
・反骨精神
反骨…権威・権力・時代風潮などに逆らう気骨。
才能の中では一割にも満たないような小さな要素ですが、正直これがあるか無いかで絵描きとしての生死が決まる適正だと思ってます。
世間は何でもかんでも目に見える成果を求めてくるのに対し、絵描きは鑑賞に耐えうるクオリティになるまで結構時間がかかります。飲み込みの早い人はすぐ結果が出せるかもしれませんが、大半の人は子どもの落書きのような絵しか最初は描けないものです。
子どもの頃なら周囲の目も暖かいものですが、成人した途端に世間は厳しくなります。「今でこのクオリティなら才能無いよ」「社会人にもなってまだやってるの?」「下手くそなんだからやめれば?」「そんなことしてないで早く働きなよ」等々、平気でちくちく言葉を飛ばしてきます。環境にもよりますが、周囲の理解が得られないのは日常茶飯事かと思います。
そんな時に重要なのが反骨精神です。
ちくちく言葉を言われた時に「やっぱり自分は才能無いのかな…」となるより「舐めやがって、ぜってー見返してやるから今に見てろよ○ス共が」と鼻くそを投げつけるぐらいの気概を持つことが大事です。言ったら駄目よ?
よくある話ですが、これから何かを始めようとした時って「お前には絶対無理だからw」と鼻で笑われがちです。実際に言われてなくても、大抵は内心そう思われているものです。
丁寧に説明して理解を得ようとしてもほぼ無意味なので、結果で黙らせるのが一番手っ取り早いし、一番効果てきめんです。「お?^^俺は結果出したけどお前はどうなん?^^お?^^」と煽り返せるぐらいが丁度いいでしょう。
反骨精神が無ければ心が折れるのはあっという間です。実際に牙を向く必要はありませんが、馬鹿にしたやつらを全員見返すぐらいの気持ちで過ごした方がずっと続けられそうです。言うまでもありませんが、結果を出さないことには馬鹿にされて終わりです(
また、馬鹿にされて生まれた怒りを創作に転換できるのもある種の適正と言えるでしょう。反骨精神はメンタルの大黒柱と防衛線、そしてモチベーションを生み出す原動力です。
・折れないメンタル
心が折れる…心の支えを失い、意欲がなくなる。障害にぶつかってくじける。
[補説]近年になって「心折れる」から意味が転じたとみられる。2000年代半ばからスポーツ選手が多用し、一般に広がった。
「折れないメンタル」としましたが、具体的に言うと「折れてもまた立ち上がる根性」です。
令和の今時に根性論~?と思われるかもしれませんが、そうです。早い話が根性論です。
「反骨精神」の項でもお伝えした通り、現代社会で絵を描く人に対する障壁は腐るほどあります。社会の目が厳しい、勉強すればするほど壁に突き当たる、自分が描く必要性が正直無い等々。特に最近は生成AIの発展で、ますます自分が描く必要性が無くなりつつあります。
SNSも神絵師が溢れかえっていて尚更です。ネットが普及するまでは「井の中の蛙大海を知らず」がまかり通ってきましたが、インターネットが普及した現代はそう上手く行きません。そんな現代社会だからこそ、根性orガッツは老若男女問わず大事になってきてきます。
社会から必要とされていない、絵が全然上手くならない、他の人は上達しているのに自分は下手なまま……と一度心が折れたとしても、また立ち上がって絵を描き続ける。
根性は現代社会を生きる上で必須級の蘇生スキルです。
●「絵を描く才能」のまとめ
何年も継続し、反復練習をコツコツこなし、絵が完成したらいつも反省と改善を行い、あらゆる余裕を確保しておき、馬鹿にされたら心を煮えたぎらせ、何度メンタルが折れてもまた立ち上がる……これが自分の考える「絵を描く才能」の内訳です。
自分で書いておいてなんですが、修行僧か何か?
宮沢賢治の『雨ニモマケズ』並みの理想像です。これがすんなり出来たら苦労しないんだよなぁ…(:3[___]
●「楽しく描けること」も才能の一つだが…
ちなみに、楽しく描けることを才能と呼ぶ人を見かけますが、自分はそこまで重視していません。楽しく無くても絵は描けるし描いていいと思ってます。
楽しく描けること自体は素晴らしいと思いますが、万人に必須の才能ではないですし、何よりあたかも楽しく描けない人は才能が無い、と言うような論調はあまり好きじゃないです。
「楽しく描ける人は絵を描く才能がある」と言うなら「楽しくなくても描ける人はまた違った絵描きの才能がある」でしょう。まあ単に自分が楽しく描けないからそう自分に言い聞かせてるだけですが
●「絵を描く才能」をこれから身につけるには?
特に難しく考える必要はありません。
・いきなり高いハードルを設定しない
・簡単なことから始めてみる
・なるべく毎日継続する
・出来ることを少しずつ増やしていく
これらを実践するだけでも徐々に身についていきます。流石に「余裕」はそう簡単にどうにかできるものではありませんが、それ以外は地道な積み重ねで身につけられます。
これに加えて目先の「快」にとらわれず、長い目で物事を考えられるようになると続けやすい上にメンタルが安定するでしょう。慣れないうちは中々難しいですが、少しずつ意識できると確実に才能を身につけることができると思います。
才能は一部の限られた人間だけの先天的なものではなく、後天的に身につけられると思っています。年単位で時間はかかりますが、根気よく続けることでいつか身につく日が訪れるでしょう。
ちなみに現在、自分がこれまで紹介した諸々を実践中だったりします。まだまだ時間はかかりそうですが必ず結果は出したいと思っているので、どうぞご期待ください!
ここまで読んでいただきありがとうございました!
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●参考サイト
(※1)手続き記憶 - 日本学術会議