「何かを楽しむ」というのは高価な投資である

ダラダラと「勝負事」に対して愚痴をこぼしているわけだが、ゲームを含めたエンタメ全般について考える時間が増えている。結果、何かを楽しむために考えている時間が増えている、とも言える。

例えば無料で遊べるゲームの場合、この考える時間というのは後からやってくる。とりあえずダウンロードして、やってみて、合わなかったら辞めてしまう。そして、歳を重ねて、自分で使えるお金が増えて「とりあえずやってみるか」のハードルが下がっている。「積みゲー」とか「すぐ辞めたゲーム」というのは、ゲームを手に入れる手段が"おこづかい"と"親にねだる"しかなかった時代には、ほとんど存在しなかった。どれだけつまらないゲームであったとしても、ひたすらやり続けていたように思う。元から味がついてないガムを、ひたすら噛みまくっていたようなものだ。

1年の中でゲームを手に入れられるのが誕生日とクリスマスくらいしかなかったわけだから、そりゃーそうなるわな。

ところが、大人になって「とりあえず買ってみる」のハードルが下がった結果、4,000円のゲームであったとしても、味がしないと思った瞬間に吐き出すようになった。FPSに手を出して辞めたわけだが、ApexやValorantが有料だったら辞めてないかもしれない。いや、そもそも手を出してないかもしれない……。

新しいゲームをやるならば、ソフトを購入するための資金というハードルが一つ存在し、それは各々の経済状況によって左右というか、上下する。少し不思議な表現だが、これも"投資"だ。

と同時に、大抵のゲームを楽しむためには、"知識"と"技術"が必要だ。センスという曖昧なものもあるが、知識と技術を得るには大抵の場合"時間"を投資しなければならない。そして、天性の才能というものがあるとすれば、その才がもたらすのは、この"時間投資"が極めて短い、という結果である。

よくあるランク制のゲームで言えば、あっという間にゴールドまで行く人間もいれば、いつまで経ってもブロンズから抜け出せない、という差だ。

RPGの場合、この時間投資というのは、ゲームの体験と同時に行われる印象だ。ストーリーを進めるために時間を使えば、ある程度同時に知識と技術が身について、倒せない敵が出てきたら少し止まって時間を投資することでレベル上げを行う。ゲームによってはレベルを上げるためにひたすら雑魚敵を倒す、という経験すら必要ない場合もある。

しかし、FPSや格闘ゲームの場合、対戦の場に出るまでに時間が必要だ。そして、私が思うに、FPSよりも格闘ゲームの方が顕著のように思う。

FPSの場合、とりあえずマウスをクリックすれば弾が出る。よくわからないけど、眼の前に敵が出てきたらクリックすれば良い。運が良ければ相手を倒すことができる。しかし格闘ゲームの場合、その弾を出すという行為にすら知識が必要で、どのボタン押すと、どの攻撃が出るかを把握しなければならない。もはや、鍛錬だ。

そして、その鍛錬の時間がハードルだし、そして、未体験の人間を引き付けているように思う。

今日で5月が終わる。いよいよ、新しいことに挑戦する時間がやってくる。

ということで、ストリートファイター6を楽しむことにする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?