癌治療の涙は強さに。女をあきらめない。
私の記事を読みに来てくださりありがとうございます。
初めて投稿します。
使い方もまだマスターしてないので、読みづらかったらごめんなさい。
私は38歳で『浸潤性小葉癌』を患いました。
乳がんの仲間で、小葉という場所に癌が広がる病気で、進行も早くリンパにも転移していて 発覚した時はすでにステージ3でした。
『浸潤性小葉癌』の発生頻度は約5%で,近年,増加傾向にある。 浸潤性小葉癌は,浸潤性乳管癌と比べて,ホルモン受容体陽性の割合が高く,組織学的グレード3の割合が低いことが知られている11)12)。 予後は比較的良好とされているが,浸潤性乳管癌よりも晩期の再発症例がやや多いとの報告もある11)。<乳癌診療ガイドラインより抜粋>
【がん治療歴】
2019年2月 発覚告知
2019年3月 左胸全摘 リンパ節郭清 同時一次再建
2019年5月~抗がん剤1種類目 FEC療法 4回
2019年8月~抗がん剤2種類目 ドセタキセル 3回
ドセタキセルが体に合わず、白血球が下がったままになってしまい最後の1回はパクリタキセルという抗がん剤に変更し投与しました。
すると次の日にアナフィラキシーが全身に出て即入院。抗がん剤治療もそこで中止となりました。
2020年1月~ホルモン療法開始 以後10年間予定
(ノルバデックス服用と、生理を止めるためのリュープリン注射)
2020年7月 二次再建でエキスパンダーとインプラント入れ替え再建手術
がん治療が始まり、その壮絶さを目の当たりにし
絶望に落ちました。
「なんとかなるやろ、いけるやろ。」と思って挑んだ自分を殴りたい。
完全にがん治療を なめてました。
まず胸がなくなり、
抗がん剤が始めると 髪だけでなく まつげや眉毛もなくなり、副作用で水分が体に貯まり どんどん太って 醜くなっていきました。
肌も黒ずみ、爪もボロボロ。
毎日鏡を見るのがつらかった。
そこに映るのは女でも、
もはや人間でもない ただの 妖怪 でした。
その辺を歩いている髪のある人を見るだけで
妬ましくて涙が出る始末。
対人恐怖症のようになり一時は
外出もできませんでした。
乳がんは女の一番大切なものから奪っていきます。
体の変化よりも、もっともっとつらかったのは
女としての自信がまったくなくなってしまったこと。
一緒に泣いてくれる友達も
親身に寄り添ってくれる看護師さんも
傍で心配してくれる家族も
周りには支えてくれる人がたくさんいるのに なぜか気がつくと
孤独と絶望の中にいました。
私は闘病用Instagramをはじめました。
前向きな言葉を見ると心がしんどくなるので
とにかく私は今のありのままの気持ちを言葉にすることを大切に投稿していました。
不安や恐怖、愚痴や弱音。
吐く場所がある事に、まず救われました。
そして一番心を打たれたのは
こんな絶望的な困難に、
同じように立ち向かっている人が
世の中にはたくさんいるんだと言う事実。
これが私の励みになりました。
そして気が付きました。
闘病をするにあたって 一番必要なもの、それは
同じ境遇にいる人の存在。
そして次に、当時リリースされたばかりの
LINEオープンチャットで、
乳がんのコミュニティを作りました。
同じように孤独に絶望の淵で闘っている仲間を一人でも多く救いたい。
今なお新規メンバーが絶えず参加してくださり、サバイバー同士日々励まし合いながら各々の闘病を続けています。
(今年の入室承認は締め切りましたので、
ご希望の方はこちらをご一読願います。)
だけど世の中にはまだまだ自信を喪失し、
孤独にこの恐怖や不安と闘ってる人がいる。
絶望のどん底で一人で苦しんでる人がいる。
私に出来ることは何かないか、ずーーーっと考えていました。
コミュニティのメンバーや、周りの人たちの後押しもありこの度、事業を立ち上げようと決意しました。
すべてのがんを患った女性のためのお店です。
これを今ここから実現させていこうと思います。
私にかできないこと、今の私だからできること。
がん仲間の辛い時期に流した涙を
私が形にすることで少しでも報われるのなら。
それがまた治療真っただ中の誰かの希望や勇気になるなら。
そんな素敵なことはないと思っています。
もう自分の病気の生存率なんて調べたりしない。
今を大切に、今しか出来ないことを全力でやります。
今後はこちらで私自身のこと以外にも
お店ができるまでの準備やプロジェクトの様子など発信していけたらなと思っております。
今闘病中の方へ。
大丈夫、あなたは一人じゃないよ。
一緒に乗り越えていきましょう。
【本日の写真は、初めての抗がん剤前日の私です】
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