新しい年に振り返るオタク遍歴とか(しがらみは全部捨てちまえ)
2025年という、この新しい年の始まりに何故振り返り?と思われそうだけれども。何だったら振り返りなんて去年の内に済ませときなさい、と思われそうだし、自分でもそう思いますが。
2024年はしっかりとオタクでしたし、2025年「も」相変わらずオタクです。
オタクと一口に言えども各ジャンル、好きになった経緯や「推し」達に対してどういう気持ちを寄せていた(いる)か、彼等の言動をどう思っていた(いる)か、というようなことはそれぞれ違うので、「○○オタク」というラベルを云十年とずっと引っ提げてきたついでに、2025年の頭に自分の中でそれ等について、内省の意図も以て、かつ未だに残っている澱の総清算も兼ねて、詳細に文章化していこうかな、と思い付きました。
ちなみに私は通って来たジャンル数はそれなりに経ているものの、最終的には以下3ジャンルのオタクとしていた時、いる時が非常にハイテンションなオタクだった、と言えると思うので以下3ジャンルについて書こうかな、と。
宝塚
(半)メン地下
Vtuber(NIJISANJI ENを筆頭ににじさんじ)
ちなみに以後も、文中にてそれなりに頻繁に出てくる「テンション」という言葉は「熱量」に近いニュアンスのワードとして読んでもらえれば良いと思います。
1.宝塚
宝塚歌劇団は、観たことが無いという人も勿論沢山いるだろうけれども、恐らくは名前も知らない、という人はある程度の年齢以上には存在しないはず、と思っている。
そんな私の宝塚初観劇は2004年東京宝塚劇場にて、宝塚90周年演目のひとつだった花組公演「La Esperanza(ラ・エスペランサ)-いつか叶う-/TAKARAZUKA舞夢(マイム)!」でした。
「名前しか知らない」、「大羽根背負ってるイメージしか無い」、「ベルばら」というようなイメージのみをお持ちの人の為に補足をすると、上記の「/」の左側が芝居(ストレートプレイではなくミュージカル)、右側がかの「The 宝塚」、終盤(フィナーレと呼ばれる)で大階段を降りる時にトップが大羽根を背負うショー。
宝塚の演目は大概この2本立て(芝居とショー、ただイレギュラーで和物ショーと短いミュージカル、という構成の時もある)、もしくは「一本物」と呼ばれる本編にフィナーレが付いたもの(主に海外ミュージカル、例えば帝劇でも上演されたエリザベートやロミオとジュリエット、スカーレット・ピンパーネルのような、あと有名なベルばら、上演時に話題になっていたポーの一族や、るろうに剣心なんかも一本物です)になる。余程のイレギュラーもイレギュラー!みたいなことが発生しない限りは、大体このいずれか。
更に私が「東京宝塚劇場にて」と書いたのは、宝塚歌劇の本拠地は兵庫県宝塚市にある「宝塚大劇場」だから。
阪急グループ、そして宝塚歌劇創始者・小林一三翁が小さい温泉街・宝塚にやって来るお客の為の娯楽として作ったというのがこの劇団の始まり。つまり基本的には西の劇団、ということ。ただ、通年公演が出来るように東にもハコを設けたので、今では関東圏の人間もチケットが取れさえすれば宝塚を気軽に観に行ける。
さて、2004年が初観劇ということはストレートに数えると今年21年目のヅカオタ、ということで…自分でもびっくりしてしまう。
宝塚を好きになった経緯は、とにかく育った環境が寄与していて母、母方の叔母、とごく身近に熱心なヅカオタがいたからだ。
その上、母はなつめさん、こと花組トップ男役だった故・大浦みずきさん、叔母はヤンさん、ことやはり花組トップ男役だった安寿ミラさんのファンで前者は「会」と呼ばれる非公式私設個人ファンクラブの会員として地方公演の度にあっちこっちと飛んで行き、入り待ち出待ち(宝塚は入り待ち出待ちは全く問題無い)からマチソワ観劇まで余裕でこなし、後者に至っては会スタッフでヤンさんにお弁当を作ったりもしていた、という歴戦の花組男役オタク。宝塚を観るようになることも、初観劇が花組であることも、ある意味では当然の成り行きだと今でも思っている。
(ちなみに、これは余談だけれども宝塚は現在、花組、月組、雪組、星組、宙組の5組、そして組に属さず横断的に公演に出演するプロフェッショナル的な男役・娘役が所属している専科があって各組は本当に個性が違う。
花組と、例えば星組だと全然カラーが異なる。どの程度異なるかと言うと、あくまでも例えだし、良い悪いという話ではなくホロライブとあおぎり高校くらいには違う。)
しかも、運良く下手側最前席で観た私は、幼いながらもその美しさ、煌びやかさにひたすらに圧倒されていた。
当時の花組トップ男役は尋常ではない歌唱力で、歌の神様に愛されていたとしか思えなかったおささん、こと春野寿美礼さん、トップ娘役はふづき美代さん。そしてこの90周年公演は、本当に90周年という節目の年らしく特別出演として他組のスターさんも出演されていて、月組、そして後にその月組でトップ男役にもなるきりやん、こと霧矢大夢さん、宙(そら)組、後に組替え後の雪組でトップ男役になるちかさん、こと水夏希さんが出演していた。更に、後年、雪組の人気男役スターとなった彩吹真央さん、随分と経ってからだけれども花組トップ男役になった蘭寿とむさん、星組でトップ娘役になった遠野あすかさん、その他にも愛音羽麗(あいね はれい)さん、未涼亜希さん、華形ひかるさんや霧生園加さん、とトップにならずともスターさん目白押しの組がその時期の花組で、歌唱力もダンスも、演技もトータルで考えると、とてもバランスが良くて完成されたステージを見せてもらえたんだな、と今振り返るとしみじみと感じる。
正に「絢爛豪華」の世界に目が眩んだ私は、あっという間にヅカ沼に引き込まれ、2012年に壮一帆さん(元雪組トップ男役)という最大の贔屓(宝塚では推しのことを贔屓と言う)にも出会えて、幸せだった。
壮さんの会に入ってトップ就任プレお披露目の名古屋公演(今はもう存在しない中日劇場)のために日帰りで名古屋に行ったり、大劇場に遠征したり、入り待ち出待ちに行ったり、お茶会(公演期間のファンミ的なもの、東京だと帝国ホテルだったり赤坂プリンスホテルだったりの大きな宴会スペースでお茶とケーキを囲むのでこの名称)に行ったり、恐らくはあの時期がヅカオタとして最もテンションが高かったと思う。
壮さんの作る舞台が大好きだった。壮さんは特に日本物の作品に恵まれて、美しい着物の着こなしや殺陣、端整な和化粧が印象深い。凛とした目線が、刀や槍、扇子を追うその軌跡は今でも忘れることが出来ない。実はダンスは上手くなかったし(むしろ下手と言っても良い)、歌も飛びぬけて上手い、というわけでは無かったけれども芝居の時の役としての佇まいはいつでも存在感があって、しっかりと芝居のストーリーに引き込んでくれるスターさんだった。しなやかな青竹のように爽やかで清潔感のある男役姿が、この上無く好きだった。
壮さん退団後も、壮さんの「ちぎちゃん(壮さん退団後の雪組トップ男役、早霧せいなさん、何故ちぎちゃんなのかというと本名が千北さんだから)の雪組もどうぞよろしくお願いします」という言葉を胸に、雪組をメインで、そして花組もそこそこの頻度で観劇する中で、雪組で新たに、そして久し振りに贔屓の男役が出来て、また会にも入ったりした。とは言え、摂食障害が原因で出待ち入り待ちをする体力も無くなり、観劇に行く気も起きずに塞ぎ込んでしまう期間があって、その際に会の更新を止めてしまったけれども。
それでもなお、宝塚に対するテンションはそこそこ高かった。仕事がどれだけ忙しくても、宝塚観劇のために頑張ることが出来た。
宝塚は、正に「夢の世界」だった。「だった」という過去形で書いているのは、結局現在進行形でそうではない、ということ。では、このテンションが少しずつ下がっていったのはいつだったか。
コロナ禍の影響は大きい。当然、宝塚も公演中止を余儀なくされたし実はこのコロナ禍の時期、次項で詳細を書く(半)メン地下のオタクを始めたので、そう意味で相対的に宝塚へのテンションが下がり、(半)メン地下へのテンションが高まっていった、というのはある。想像に難くないだろうが遠隔サービスでの供給量は宝塚より断然(半)メン地下の方が多かったからだ。更に2022年10月頃以降は、最後の項に書くVtuberのオタクも始めていた。
でも、何よりも決定打だったのは。
恐らく、2023年9月の宝塚のこの醜聞。
宝塚は過去にも96期のいじめ問題もあったし、例えこんな風に話題にならずとも、劇団内では「指導」という名でのいじめに近い行為は数多あるだろうことは想像に難くなかった。長いオタクであればあるほど、歌劇団の生徒間の関係性は、「単なる厳しい上下関係」だけで成り立っている、なんて流石に思っていなかったんじゃないか。でも、この時に問題となった行為は、社会人として、否、単純に「成人」としてあまりにも過剰だったし過剰だということに誰も、いわゆる歌劇事業部の偉い人達含め誰ひとりとして気付けなかった、なんて。そして、その後の一連の対応は企業として、いかがなものかと心底がっかりした。
人の足を挫くのは怒りではなく、強い呆れと精神的疲労なのかもしれない。
今でも、応援したいと思えるスターさんはいる。
宝塚歌劇自体も好きだ。でも、もうあの頃のように「夢の世界」だとは思えない。
以下、私がよく聞かれる質問と私の回答です。
Q. なんでこんなこと(劇団員の自殺)起きたの?原因は?
A. これは単なるファンとしての考えですが、音楽学校時代から「宝塚の男役とは」、「宝塚の娘役とは」、「舞台人の心得」のようなそれそれで大事なのだけれども、一方であまりにも浮世離れしたことしか、教えてこなかったからだと思います。要は、シンプルに、適切な道徳教育みたいなものをろくに教えてこなかったことが原因だと考えています、私は。
何せ、年少で中学修了、年長でも高3、その程度の年齢の女の子達しかそこにいなくて皆親元を長く離れている状況で、舞台に出る為の演劇や歌唱、茶道・華道、お琴の授業やら、予科生はそれに加えて校内環境の徹底した美化(あの有名なお教室のお掃除ですね)やら、想像するだにとにかく日がな一日忙しくて。その忙しさの実態は明らかに一般的な中学生や高校生の忙しさとは乖離していて。
この事件は想像力の欠如故と言う指摘もあるし、それも最もだけれど想像力の前提として、私はあくまでも現実的な視点が必要だと思っていて、その視点を欠いた教育しかしておらず、そもそも「現実」を適切に捉えることが出来ない仕組みが歌劇団入団前から、そして歌劇団入団後も依然としてあるからこそ、このようなことが発生するのではないでしょうか。
Q. あの人達レズなの?
A. そうだとして、で、何?
そりゃべらぼうな美人が全国から集まってますし、ご存知の通り、「男役」と「娘役」という特殊な在り方をしていて、皆さんそのロールに忠実に則った言動を常日頃からしていますから、やっぱりゆらめくことはあるでしょうし、真剣にお互いを想うこともあるでしょうし、実際にセクシャルマイノリティの人もいるでしょう。だから、何?
ちなみに、あくまでも噂でしたが「専科の○○さんとお付き合いしている」と言われていた(デート姿の目撃情報もあったそうですので、実際在団中はお付き合いしていたのかもしれない)某男役さんは、退団後に男性とご結婚なさいました。閉ざされた特殊な空間に長らくいたから、(その感情は決して嘘ではないにしても)一過性の恋情を抱く、ということもあるのかもしれないですね。
Q. 各組、何がどう違うの?
A. 全組を観ると、本当にカラーが違うことに驚くと思います。勿論、その時のトップ男役さんの持ち味次第で「伝統的な組のカラー」とは違う雰囲気が出ることもありますが。個人的には各組、以下のようなカラーだと思っています。
花組:正統派。宝塚創設当初からある組で歴史も長く、端整な男役芸と品の良さが特徴。黒燕尾の着こなしにはこだわっている様子。娘役も美しく、品良く、そして男役をより美しく見せるプロ、というイメージ。なつめさん、ヤンさん、チャーリーさん(匠ひびきさん)、まゆさん(蘭寿とむさん)、と名ダンサーさんが男役のトップになることも多い一方で、ぺいさん(高汐巴さん)やたもさん(愛華みれさん)、おささん、と歌唱に秀でたトップ男役時代もあった。真矢みきさんも花組のトップ男役でした。
月組:「芝居の月組」と言われるくらいには高い演技力、魅せる芝居、が多い。落ち着きがあって、個人的にはいつでもはずれが無い舞台を見せて頂ける組、というイメージ。天海祐希さんや涼風真世さん(90年代のアニメるろ剣の剣心)、真琴つばささんや紫吹淳さんのような近年テレビでもよく見かけるような人達が皆、この組のトップ男役。
雪組:「日本物の雪組」と言われる和物が多い組。とは言え、ここに関しては本当にトップの持ち味次第かもしれない。でも、やはり雪組にいるとこの「日本物の雪組」の矜恃が皆あるのか、いざ日本物をやらせた時の身のこなしが、男役娘役ともども、断トツで美しい。ちなみに娘役が可愛くて好き。AQUA5としてテレビに出ていた男役5人は全員この組の人達。退団後はテレビより舞台で活躍されるトップスターさん達が多いけれども、紺野まひるさんはこの組のトップ娘役だった。それから以前、紫綬褒章等も受賞したたーこさん(麻実れいさん)はこの組のトップ男役です。
星組:パッション。熱い。ひたすらパッション。ぎらついている。なので、初めて観た組が星組だと、次に他の組を観た時に薄く感じる程度には熱い。でも初めての人ほど、観ていて楽しいと思う。何故なら男役・娘役ともに「自分は見られている」という意識が良い意味で高くて、ショーでは客席からの視線に気付くと、突然ウインクをくれたり、にっこり微笑んでくれたりするから。私も以前、若手男役さんに指差しウインクを頂いたことがあります。ときめきを貰える組。
宙組:「コーラスの宙組」と言われる組。最も近年に出来た新しい組。コーラスに厚みがあって美しいのは恐らく、初代トップスターのずんさん(姿月あさとさん)が本当に歌が上手い方、圧倒的歌唱力の持ち主の方だったことが影響しているんじゃなかろうか。全体的にモダンでスタイリッシュな雰囲気を有している。ずんさんが高身長(172㎝)、次のトップだったたかこさん(和央ようかさん)も高身長(174㎝)なので、背が高くて足が長くて顔が小さくて、股下何メートル?級のスタイルおばけの男役さんが多いイメージ。
2.(半)メン地下
コロナ禍、私はぼんやりとYouTubeの海を漂っていることも多かった。
舞台が好きな人であれば、あの時期の公演中止ラッシュのやり場の無さは特に実感があるかもしれない。
摂食障害で体調を崩しがちだったこともあり、宝塚も公演中止に追い込まれ、私は「夢中になれるもの」を無意識に探していたんだと思う。
ちょうどこの時期に知ったのが、私のnote内でも数回は触れている「前主界隈」、あまり詳しく書いたことは無かったけれども実は(半)メン地下だ。
(半)と付けているのは、そりゃあスターダストや旧ジャニーズに所属しているような有名アイドルでは無いけれども、案外大きな会場でライブをしていたので。過去形なのは、彼等が現在無期限活動休止(実質的な空中解散だと思っているけれど)中で、実は無期限活動休止を発表する前に、私の、彼等を応援するモチベーションもテンションも下がり切っていたからだ。
そんな(半)メン地下の彼等を、知ったきっかけは歌ってみた。
正直7人の内3人しかストレートに歌が上手い、と言えるような人はいなかったし、この7人の内の3人とて、その中の1人は異常に歌い方の癖が強くて全然聞き易くはない。
でも彼等はとても「見せ方」に拘っている、という印象が残った。どう見せたいか、どう見えるか、を考えて工夫している人達なんだな、と。
そんな彼等の中で、私の目を惹いたのが彼。
画面右、この動画ではブラウンの髪の彼。
歌ってみた動画でこのグループの「見せ方」に興味を持った私は、彼等のYouTube内の公式チャンネルを漁り始めて、いくつかの踊ってみた動画も観る中で彼のダンスそのものに「表情がある」ということに気付いて、そこから一気にオタク化が加速していった。
指先まで神経が行き届いているのに、ちゃんと抜け感も出せる。軽やかで、柔らかで、でも軸がしっかりしたダンス。そこに、曲の世界観がちゃんと存在していた。
「私、この人のステージが見たい」と心から思ったのは、この「CocktaiL」の踊ってみたを見たからだった。あっと言う間の「沼落ち」である。ちなみに当時、コロナ禍でなかなか対面特典会もままならず事務所的には苦肉の策だったんだろうが、これがファン的にはとんでもない福利厚生の良さだったのが、金曜日の夜に推しから電話が架かってくる、という非対面特典会。確か金曜の20時から、23時頃までだったか?事前に申し込んで、当選すると当選者たちに整理番号が振られる。メンバー達は、金曜日の夜のその決まった時間帯に事務所貸与のスマホを使って、順々にファンに電話を架けていく。それなりの人数に電話を架けるので、1人が話せる時間は正味1分半か、むしろ1分と少しだったかもしれない。それでも推しと直接話せる貴重な時間だった。
この金曜日の夜の電話、初回(と言うとホストのようだけれど)のみ、抽選とは言え、まさかの無料だった。すぐに申し込み、当選した私は、右耳から「もしもーし!こんばんはぁ!」と彼の声が聞こえてきてからの記憶が無い。
そして翌日の土曜日の朝、私はもうFCに入ることを決めていた。
私の推し、メンカラが青のダンサーの彼は、優しかったし言ってみれば規格外アイドルで、その規格外っぷりがかえって面白かった。室内で1人でスイカ割りをするアイドルとか、連続100日ツイキャスを敢行するアイドルとか、私はこの男以外には知らない。
彼はファンの名前と顔を覚えることも早くて、あっと言う間にファン達のSNS と、電話で話したり、徐々に再開した対面特典会やオンライン対面特典会で顔を合わせたりするファン本人達とを一致させていて、それぞれの気質や接し方に合わせて対応を変えるような人だった。今振り返れば随分としっかりと「個」としてファンを認識していたんだな、と思う。
彼はやたらとエゴサをすることも相俟って、私も当時書いていたお気持ちブログはうっかり本人に見付かり、彼に散々読み込まれ、そしてあまつさえは金曜の夜には私がブログで書いたことをベースに話された。当時から喋ることが下手な私にとっては、それはとても有り難いことではあったけれども、当然、気恥ずかしさはあった。
でも、私はこのアイドルの彼を推している時が人生で最も自己肯定感が低く、その癖に自己承認欲求は高く、そして劣等感モンスターだったので、彼のその優しさ、アイドルとしての細やかな心配りみたいなものに、きっと随分と寄りかかっていたんだろうことが伺い知れる。
「現場に来られなくたって気に病む必要は無い」
「好きでいてくれるだけで、好きを伝えてくれるだけで嬉しい」
「だってこうして電話で話してくれるだけで嬉しい」
電話やツイキャス等、端々で発せられるそんな趣旨の言葉に自覚以上に救われていたようだし、多分縋ってもいた。半ばファンレター化していたブログを書き続け、明らかに推し本人が読むことを考慮してもいた。
とは言え、私なりに頑張ってもいたのだけれど。
何せ、彼はグループ内でそこそこの人気メンだったせいで彼の聖誕祭ライブ(3部制)は1部ぐらいは落選があるだろうと思っており、3部全部に申し込みをしたところ、3部ともうっかり当選したために結構な雨脚の日に、池袋で地獄の3部回しをしたこともあったし、対面の写真撮影会にも行って推しの彼だけでなく、当時仲良くしてくれていた遠方に住む友達の推し分も代行したりした。「代行です」感全開だったはずなのに、真摯に、そして朗らかに接してくれて有り難う、リーダー。特典会参加、あの1回きりでごめんね。
ある程度無理もしたけれどステージで歌って踊る彼の姿が本当に好きだったし、彼と話す時間も楽しかったから、人混みも、言ったことも無いような土地も苦にならなかった。
現場に行くと肌で感じ、そして聞こえてきたりもした、お互いを値踏みするような視線、きっと色々なニュアンスがこめられていた低いくすくす笑いだったり、SNS上で自覚の有無を問わず行われるファン同士のマウントの取り合いと、どこか冷めた「古参ファン」の投稿、「声が大きい」目立つファン達の挙動を陰でチェックしているファン…そういう物、ことに段々と気持ちは削られてはいたけれども、それでもどうにか耐えられた。周りには優しい人達が沢山いて、何より、推しが優しかったから。そして推しのステージが見たかったから。「耐えられる」という時点で既に、沼落ち当初の「ただただ楽しい」という感覚はもう無くなっていたんだな、と今なら理解出来るが。
でも、前述の通り、こんなにも大好きだった彼等と推しに対してのモチベーション、それからテンションは、実は一挙に下がっていった。そのきっかけは全国ツアー。確か3年程度前だった気がするが、春から梅雨入り直前までに行われていた当時の新曲の名前を冠したツアーで、私は東京公演2daysの初日に行った。
私が行かなかった2日目は記念すべき、そのツアーの最終日で、ファンから彼等へのサプライズがあったそうだ。ある曲中、示し合わせた歌詞のところで、一斉にファンがそれぞれのメンカラのペンラを持ち替えて、客席は虹色になったらしい。
比喩でもなんでもなく、彼等は泣くほど喜んでいて公式SNSで皆有り難う、というメッセージ動画を発信した。
嬉しかったのだろう。幸せな気持ちでいっぱいだったのだろう。
そのメッセージ動画の中で東京公演については、2日目についての言葉しか無かった。
多分、そこに深い意味・意図は無かった。彼等は特に何も考えていなかったはずだけれども。
「ああ、もう良いや」と。その瞬間に私は感じてしまった。
当時の精神状態の悪さと、推しに対する気持ち的な依存度が綯い交ぜにまり幼稚な疎外感で満たされてしまった私の中で、ぶつり、と何か糸が切れてしまったかのようだった。
多分、私よりも沢山の時間とお金と気持ちをかけた人達がいて、その人達はむしろこんな風には思わないのかもしれないね?
所詮、最低限の金銭と時間しか割かなかった底辺のオタクですから?
馬鹿みたいだけれども、こんな負の思考のループからさっぱり抜け出せず浮沈の「沈」の状態が続き過ぎて、結局当時のブログもXのアカウントも消してしまった。私は、いわばその界隈からはフェードアウトしたのだ。
彼等の無期限活動休止が発表されたのは、実はつい去年のこと。
その時には、私はもう感情のもつれを解す方法を私なりに見付けていて、
大事な人達が沢山増えていて、その人達を傷付けたくないという思いから、
自身を守る術や、エゴと劣等感を手懐ける術をどうにか手にしていて、何と言うか、あの当時から「解脱」した気分になっていた。
だからかえってもう、あの空間で味わい、そして交差していた感情には一切触れたくなくて結局あんなに夢中になった人達の節目の発表も、その後のイベントもスルーし続けた。
でもそんな風に、今や無期限活動休止となった彼等を追っていたあの時間は、確かに私のオタク人生の中の良い思い出のひとつで、彼に出会って実際に救われた気持ちになったことは何度もあったし、未だにあの時に出会った人達のご縁を断ち切ってはいないし、青いペンライトは捨てられないでいる。
3.Vtuber(NIJISANJI ENを筆頭ににじさんじ)
どういうわけだか、今やComfydantsで、そしてkindred。
でも当初からENを好きになったわけではなくて、入り口にじさんじの加賀美ハヤトさんだったりする。
実を言えば加賀美さんを知ったきっかけや、その後しばらく配信を追っていたふわっちについては、このnoteで以前にも書いたことがあるので割愛しようと思うけれども、いずれにせよこの2人がいてくれなければ私はVtuberになんて興味も持たず、ふーちゃんにも我が君にも出会うことは無かったし、NIJISANJI ENというコミュニティを知ることも無いままだったので、今もなお、とても感謝している。
では、どうして今やこんなにもENが、ふーちゃんと我が君が好きなのか、と言うと。
残念ながら、詳細を覚えていない。
自分でもびっくりするぐらい細かなことを覚えていない。
ただ、加賀美さんとふわっちが入り口だったので、加賀美さんとの歌ってみたを投稿していたアイキーや、ふわっちと仲が良くて時差も言語の違いも飛び越えて親しくなってしまったルカは、早い段階から知っていた。
そこからストレートにLuxiemに興味を持ったのか、と言われると実は違うのだ。時系列・認識をした順で並べるのなら、アイキー→ルカ(ただしこの2人はほぼ同時期)→シュウくん→我が君→ミスタだったと思う。
丁度私がENに興味を持った頃というのは、XSOLEILがデビューして半年経つか経たないか程度の時期で、新しくデビューしたグループには加賀美さんの「弟」がいる、ということでXSOLEILのメンバーで加賀美さんの弟・ヴェールの配信を少し辿っていた。
ヴェールの配信を見れば、すぐに同期のピオちゃんのことも知ることになる。
当時の私にとって、ピオちゃんの英語は随分と聞き取り易かった。
音の粒がはっきりしている、とでも言おうか。単語がひとつひとつ明瞭で、母語でない言語を聴き続けるストレスが格段に少なかったし、ぴょんぴょんした喋り方と、笑うと見える犬歯がとても可愛く感じられて(今でもピオちゃんは私にとってはいつだって可愛いマゼンタレトリーバー)、私はピオちゃんの配信も追い始めて。
多分、その辺りでふーちゃんを知ったはず。何せ、ふーちゃんとピオちゃんは歳の離れた親友なので。ふーちゃんを知れば、自ずと我が君にも辿り着く。我が君があの「俺は慣れ合わない…」、The高貴みたいな見た目に反した社交性の塊で、陽気な下ネタ鬼いさん、もといJimmyだったことで、彼を通してどんどんとNIJISANJI ENを知っていった、というのが粗方の経緯だろう。
NIJISANJI ENが私に手渡してくれたものは、どれもがとても眩しくて温かい。
互いを尊重する気持ち。
人を信じること。
丁寧に気持ちを言葉にすること。
そして、大事な大事な人達。
NIJISANJI ENに出会わなければ、見られない景色や得られない感情が本当に沢山あって、去年は何度もENに助けられた。
勿論、通年楽しいばかりでもなくて、卒業も多かったしひどい事件もあった。
静観するばかりの自分が何よりももどかしくて、でも、彼等がその中でも彼等自身の言葉で、彼等が今考えていることや、私には見えていない物事・事象の側面を伝えてくれたから私もまた、新しい動きを待てたし、「自分を大切にする」ということの意味を、適切に理解することが出来たんだと思う。
上述した、宝塚は今でも好きだし、(半)メン地下を推していたことに後悔は無いけれど、でもね。
今が一番、楽しいです!