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マリア様はご機嫌ナナメ 6 夏休みのお勉強
その年の夏休みは最悪だった。僕はバイト先の配慮で指定された曜日の午前中、一人の天使と一人の悪魔のお勉強の相手をすることになった。もちろん、天使はヒナコちゃんで悪魔はマリアだ。天使は良いけど、悪魔が聖母マリア様では洒落にならない。しかも四六時中不機嫌だ。
勉強は午前九時開始だ。僕は至福のスポーツ新聞とモーニングサービスのコーヒの時間を失った。八時半には三人とも揃った。
そんな僕の救いはヒナコのママだった。絵に描いたような山の手育ちのお母さんで所作も言葉づかいも僕の母とは真逆だった。
「さあさあ、召し上がれ」
ヒナコのママはトースト、ハムエッグ、コーヒーを三人の前に置いた。コーヒーの香りはいつもの喫茶店のものとは段違いで、その香りは応接室に充満した。
「ママの淹れたコーヒーは違うのよ」
ヒナコは自慢気に僕に言った。黒魔女のマリアもそれに首を縦に振ってうなづいた。
ハムエッグ、トーストをおいしいコーヒーの朝食を終えて、僕は二人に言った。
「さあ、勉強の、お時間ですよ~~」
と僕が宣言すると、
「キャー」と二人は叫ぶ。
八時だよ全集合というドリフの人気番組がある。人気アイドルを含めたコントが面白い。やれやれ、全員集合のコントじゃ無いんだから。それに学ぶ者がこの態度か、と僕は心の中でつぶやき勉強が始まった。
勉強中、ヒナコは僕を「カイ君」と呼び、黒魔女のマリア様は「おい」とか「お前」とか「おい、カイ」と呼ぶ。
「お前、ヒナコをヒイキ(贔屓)してるやろ」
マリアが時々吠える、
「そうじゃありません、マリア様。神のもとでは何人とも平等です」
僕はふざけて言った。でも心の中では、
「でも神様だって素直でかわいい子には優しく、ひねくれた子には厳しくしますよ~~だ」
そんなことは勿論、口には出来ません。神様にも自分を守る権利があります。
そんなこんなで、お昼になる。僕は研究社の英和中辞典と三省堂の国語辞典をカバンに押し込んだ。十二時になったら、そくさくと風間家を後にした。
「あ~やっぱりここの方が落ち着くわ。この町の臭い、最高や」
本屋のバイトに戻った、カズオさんもタカオさんも既に昼ご飯は済んでるという。「ご飯に行ってきますわ」僕はカズオさんにそう伝えて、いつもの大衆食堂へ行った。本屋からすぐのところにその大衆食堂はある。和・洋・中華、寿司とオールマイティ。ただし味はどれを食べても似たような味付けだ。しかし、本屋とは永年の付き合いで、バイトの僕一人で行ってもツケで食べられる。
腹を満たしたら、さあ仕事、仕事。昼からは配達の残りと返品作業だ。
午後三時頃になるとオヤツの時間だ。たいていは商店街にある回転焼き、肉屋の揚げたてのコロッケ、たまには甘味処のトコロテン。割とメニューは豊富だ。オヤツを買いに行くのも僕の仕事だ。中学生までと違って本屋のバイトを始めてから商店街のお店の人たちとも親しくなった。それはそうだ、毎日のオヤツ当番だから。
「よ、本屋の兄ちゃん、頑張ってるな。おまけしとくな」
僕はこの下町がやっぱり好きだ。飾り気のない優しさが好きだ。夫婦喧嘩をしてる店もあれば、ダンナが競馬新聞片手に赤鉛筆を走らせ、おかみさんが旦那のお尻を蹴とばす。泣いたり笑ったりするこの町の人々が好きだ。