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痛すぎる話 前編

                         (4200文字くらい)
小学校6年生の時に、埼玉から岐阜に引っ越しをしたのだが、その年は八方ふさがりで踏んだり蹴ったりだった。
まず、夏休みの直前、大宮の友人達ともうお別れだというときに、慢性的な腹痛に襲われ、虫垂炎になって開腹手術をし、一週間入院した。退院した時には既に夏休みに入っており、その後抜糸を無事終えた。
縫い合わせた箇所に傷みがなくなるや否や、今度は親戚と箱根旅行へ行くことになった。
楽しいはずの旅行1日目、あろうことか、ロープウエイの駅舎で階段を踏み外した。
痛みに悶絶する私を見た親戚のおばさんは、ただごとでは無いと判断してすぐにタクシーを呼び、病院へ運ばれた。骨が折れていた。二泊三日の予定が一泊だけして帰ることになってしまった。
夏休みが明けて、岐阜の小学校で転校生として自己紹介をさせられたとき、私はギプス&松葉杖で武装しており、衝撃的なデビューを飾った。
このあたりの顛末は自身の卒業文集の冒頭に描かれていて、これがなかなかの傑作なので、そのうち紹介いたす。というか、今の文体とあまり変わらない。小6から全然成長していないことがバレてしまう。

何故こんな話を書いているのかというと、今現在、腹痛で仕事を休んでいるからだ。痛いときに痛い話を書けば、面白い文章が書けるかもしれない。
単純にそう思ってPCに向かっている。
でもこのnoteが職場でバレたら、すげえ怒られそうな気もする。まあいいや。本当に腹が痛いのだ。それでも書くぞ。
一応言っときますが、「痛車」のようなイタイ話ではなく、肉体的にマジ痛い話なので、そういう話が苦手な方は読まない方がよろしい。画像無し、文章のみ。よいですか、私警告しましたからね。さあ始まるざますよ。
イテテテテ、腹いてェ

ーーーー ここから先は痛い話 0円 残り3500文字くらい ーーーー

転校してすぐ、親友ができた。ここでは「まこちゃん」(♂)と呼ぶことにしよう。奴とはサバゲーとか花火の分解大実験とか、その手の面白いことばかりやっていた。やりすぎて一度死にそうになったことがある。あまり詳しく書けないので止めておくのだが、人様に迷惑をかけるようなことはしなかった。多分。特にスキーは、奴に散々下手糞だとバカにされたお陰で本格的に取り組むことになった。これは感謝だな。今では離ればなれで全く連絡も取っていないが、ちょっと前に、魔改造したホンダS660を自慢しにやってきたのが最後だ。

22歳で私の飛騨行きが決まったとき、奴が引っ越しを手伝ってくれた。
木工への道に進むため、飛騨に行くことを決意したのだ。
引っ越しが終わると、ついでに観光をしてゆこうということになり、ラーメン屋に入った。飛騨は細ちぢれ麺の醤油ベースが御当地ラーメンなのだ。
そこで奴はあることに気が付いた。
ラーメン屋の大将の指が欠損しているのだ。
小指ではないので、恐らく反社ではない。何かの事故で失ったのであろう。
ラーメンをすするも、なんだか指の味がしてくるようで、鶏がらのダシも、隠し味の煮干しもその輪郭がぼやけてくるのであった。
その後、奴はゆく先々で地元民の指が気になってしょうがないのか、陣屋とか観光なんかそっちのけで、指の観察に始終していたようだ。そして、ついに、何人かの「指の短い」おっちゃんを発見するに至り、「飛騨人はかなりの確率で指が欠けている」という恐ろしい事実を目の当たりにした。

・・・飛騨に観光に来られる皆様、そんなところ見なくていいですからね。

これはあくまでも推測なのであるが、指の短い飛騨人は、木工関係か林業の現場作業で労災にあっていたのが大半ではなかろうか。
私は木工をやっているので、若い人も年寄りも、指の短い人は大勢知っている。
今では考えられないことなのだが、木工を始めた30年前、私の師匠はその昔、「指を落として初めて一人前」などど、それはそれは恐ろしいことを、さも当たり前のように言われて木工を学んだと言っていた。飛騨人は結構ブラックジョークが好きで、「子どもができて一人前ではない。親の葬式を出して初めて一人前になるのだ」とか、すごいことを言う人もいる。
木工業や林業が盛んな土地柄なのである。
一人前の職人の指が全員短いのであれば、そりゃ街中でいくらでも見かけることができるだろう。
今でこそ安全管理が徹底されてきて、指を落とすような労災は激減していると思われるのだが、それでも年に何回かはひどい怪我の噂を聞く。
常に危険と隣り合わせの仕事なのだ。

過去に、後輩が指を落としたことがあった。
丸鋸盤(昇降傾斜盤)で80mm角くらいのカエデ材を縦割りしている際、材料が鋸刃を挟み込み、はじき返されたはずみで左手の中指を切断した。
私はたまたまその場にいなかったのだが、携帯に連絡が入って、救急車で病院に運ばれたという連絡を受けた。現場では常識なのだが、落ちた指を氷でくるんで持ってゆくよう、指示をするのを忘れなかった。万にひとつでも、くっつく可能性があるからだ。
遅ればせながら救急病棟に駆け付けると、後輩は既に左手を包帯でぐるぐる巻きにされており、私に気が付くと立ち上がるや否や、
「申し訳ありませんでした!」
とデカい声で謝りながら、涙を流していたことをよく覚えている。

翌日、私はお見舞いに行こうと思い、仕事を済ませると、食い物を適当に買って一人暮らしである後輩の家にバイクで向かった。
まあまあ雨が降る夜にもかかわらず、クルマではなく何故かカッパを着て愛車の単車、ヤマハ・TRX850で走り出したのは今でも最大の謎である。
雨の中、国道を突っ走る。ビッグツインのTRXは、排気量の割に軽く回るエンジンで、ダラララララと軽快なビートを刻みながら、雨を切り裂いて走っていった。
ライダーならば誰でも知っていることだが、雨の日の夜はヘルメットのシールドが曇り気味になり、打ち付ける雨粒がクルマとは比較にならないほど視界を悪化させる。それでも細心の注意を払い、雨を避けるためカウルに伏せながら巡行していた。その時。

一瞬の出来事だった。

左からいきなり軽のワンボックスが飛び出してきて、進路を塞いだ。
慌ててブレーキを握る。続いてフロントタイヤがロックする。
心拍数が跳ね上がる。
ザーっとフロントが滑る感覚があったものの、路面のμが低いせいか、そのままの姿勢を保ち、殆ど減速しないままワンボックスのリアタイア目がけて垂直に突っ込んだ。
ドン!という音とともに、私の体は10mほど宙を飛び、地面で一度バウンドした後ザザーっとアスファルトに擦りつけられた。
動くことができなかった。
気を失うことはなかったものの、全身の感覚が全く無かった。
このまま雨に打たれながら、死ぬのかと思った。
放心状態のまま突っ伏していると、衝突音に驚いた近くの住人がワラワラと寄ってきた。そのうち救急車のサイレンが聞こえてきて、救急隊員がワーワー言ってるかと思うと、板みたいなものに全身縛り付けられ、ガチガチに固定されて病院へと運ばれた。
途中、救急隊員に下ろしたてのジーンズとゴアテックスのカッパをハサミでジョキジョキ切られて膝を丸出しにされた。
ああ、体は放っておけばそのうち治るが、切った布は切れたままだよなあ。
でも、体治るんかいな?膝いっちゃってんのかなあ。
病院に着くと、縛り付けられたまま台車に乗せ換えられて向かった先は見覚えのある場所だった。
何のことはない、昨日、指をちょん切った後輩が運ばれた救急病棟だ。
またここだ。なんでまた、こんなところに来てんだ俺。
なんだか笑いがこみ上げてきた。2日連続で救急病棟とは。
アイツ、今頃家で俺のこと待ってんだろうな。

結局、レントゲンやら何やら散々検査を受けた甲斐もなく、ヒザ小僧と腰骨のあたりをじゃみじゃみに擦りむいただけで、骨一本折らずに済んでいた。
お見舞いで持っていこうと思って買ったおでんは、袋が破れて汁が飛び出し、タマゴが潰れて黄身がはみ出ていた。
後から警察で聞いた話によれば、ぶつかった衝撃で相手のクルマは半回転、丁度私が飛んで行った方向には障害物がない状態になっていたそうだ。
まあ、奇跡ですよね。
相手はケガ無し。軽は廃車。何故かリアタイヤは両輪ともバーストしていたらしい。私のTRXは、フロントフォークがあさっての方をむいていて、おまけにパラレルツインエンジンは真っぷたつに割れていた。
今でも、私の代わりに真っぷたつになったのだと思っている。

翌朝、病院に行くと、待合室に指をちょん切った後輩が猛烈な痛みに顔を歪ませながら座っていた。私はことの顛末を話し終えると、彼は呼び出されて診察室に吸い込まれていった。私の怪我なんか、彼のに比べれば蚊にさされたようなものであった。後から聞いた話によると、あまりにも痛いので痛み止めを指に注射してもらったのだが、薬液が断面から流れ落ちてしまい、あまり効果はなかったということだ。

私はそれから日を改めて、おでんを買いなおし、見舞いに行った。今度はクルマで。バイクないし。
それで色々と話を聞いたのだが、やはり相当に痛いらしい。波はあるそうなのだが。酒でも飲ませてみようかしらん。
結局、拾って持って行った指の破片はくっつかず、そのまま盛り上がるのを待つしかないと。まあ、くっついたという話はほとんど聞かないが。
そして彼は、その指の破片をまだ持っているという。
曰く、「親にもらった体なので、無下に捨てられない」のだそうだ。
まあ、気持ちは分からんでもないが、いつまでもヘソの緒みたいに持っている訳にもいかんだろう。感謝の気持ちを込めて捨てれよ、と促した。
「見ますか?」
「お、おう」
白くふやけたその破片は寂しげで、何かを言いたそうな面持ちであった。

数か月後、半ば強制的に「一人前」の烙印を押された後輩は完全復活した。
フリーザへの怒りに触発され、スーパーサイヤ人となった梧空の如く、奴はその後怒涛の快進撃を始めることとなる。が、この話はまたいつかどこかで。

それからしばらくして、一通のメールを受け取った。
送り主は飛騨人の指にくぎ付けになっていた、まこちゃんだった。
内容はケガして入院。恐ろしい画像が添付されていた。

後半へとつづく。

イテテイテ、うおお、腹痛てェ。

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