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酩酊心酔 2 親バカの妄想

裏帰山「超辛口+10 純米吟醸」
いい酒です。帰山は酸の強い「参番」が印象的ですが、これはすっきりの中にも米の風味と、「超辛」と言いながらも微かな甘みが絶妙。燗がおすすめということだが、常温でも全然OK。異なる味わいだが島根の「玉櫻」を連想させた。
山恵錦 55%精米 一升税抜き¥3,000 
あ、この酒で女子は口説けません。口説けたら、その女子はかなりの猛者です。ラベルからしてヤバいですよね。

・・・・・

                         (3200文字くらい)
酒飲みの妄想。
子どもが成人したら、一緒に酒を飲りたい。
そのためだけに、早く二十歳になってほしい。
選挙権は十八になったというのに、酒は二十歳からというこの不条理さよ。
え、そんなの一瞬だって?
酒キライかもしれないって?

まあいいじゃないですか。妄想なんだから。

生まれて初めて何を最初に飲むか。これば非常に重要な課題だ。
実は、ワインは大方決まっている。
例えばイタリアのヴェネト州、アマローネ・デッラ・ヴァルポリチェッラなんてどうか。
摘んだブドウをアパッシメント(陰干し)して濃縮した果汁から作られる赤ワイン。
ああ、なんという甘美。
底抜けに明るく、それでいて濃密。
「父ちゃん、これめっちゃウマイ!」
「おいおい、そんなにカパカパ飲むもんじゃない。最初はな、こうして色彩を愛でるんだよ。それから香りをば」
「いい色だねー、もう一杯!」
そうだろそうだろ。このワインがキライな人なんて世界中どこを探してもいやしない。そしてお前は記念すべき今日を境に、酒飲みへの道の第一歩を踏みはじめるのだ。これはお前の定められた運命。抗うことは叶わない。

私自身、記憶に残る最初の飲酒は小学校2年生の時、友達の家にお泊りに行ったときにそこの親父さんに「飲んでみるか?」と言われたときだった。
ちゃぶ台を囲み、夕食を御馳走になった時、ほろよい加減の親父さんのロックグラスに注がれた黄金色のビールを皆で回し飲みしたのだ。
友人の隣に座っていた私は、回し飲みの二番手。
一番手の彼は一口飲んで「うええっ」て感じ。
こりゃマズい次々ってもんだ。
そして二番手の私、千載一隅のチャンス。こりゃ飲まなきゃ一生の不覚だろ。ノドめっちゃかわいてるし。いけえ。
「ゴクッゴクッゴクッ」
「おい!飲みすぎだ!」(友人父)
「プハー!」

友人父は、多分私がビールを飲みすぎたのがヤバいと思ったのではなく、自分の分がなくなるのを恐れたのだと思う。
「そんなに飲むな、俺のが無くなる!」
正直、あまり味は覚えていない。
だが、多分スカスカの味だったのだ。もしかしたらビールではなかったのかもしれない。なにせ昭和50年代の話だ。そしてこの時私の、誰もが羨む溢れんばかりの才能が、つぼみを形成していたのだ。
そう、酒飲みの才能。
友人宅はボロ屋だった。でも、皆生き生きとしていて楽しい時代だった。
暗部も同量存在していたのであろうが。

私自身の家庭は、酒を一滴たりとも飲まない家庭環境だった。
全くアルコールを受け付けない体質の父親を持ったためであったのだが、その実飲むことができたら飲みたい派なのだと思う。
それに対して母親の親戚筋はのん兵衛ばかりで、特に爺様は常時片手にワンカップを持っているという、大変恵まれた家系だった。
酔っぱらって、親子で(爺様VS叔父)手を上げてケンカをしている場面にも遭遇した。
だが、不思議とそれは嫌な思い出ではなく、今となってはなんだか安心ほのぼのした風景でもあった。本当は仲良しなのが分かっていたからだ。おっと、これは記憶が上書きされているのか?まあ、周りの当事者は大変だったと思う。
そんなわけで、善良なる酔っ払いには昔から理解がある。

話は現在に戻って。
先日、家族旅行に行った先のホテルのレストランで夕食を楽しんだ後、部屋に戻る途中、酔っぱらって大声で悪ノリしている数人のあんちゃん達に遭遇した。
「うわ、最悪」
娘のヨッパライに対するアレルギーが芽生え始める。
さらにエレベーターに乗ると、中には複数の男女がぐでんぐでんになって、べろんべろんになっているではないか。ヒー、いいねえ若人よ。
部屋に戻ると娘はこう言った。
「エレベーターにいた女のヒト、パイセンやさしいですねーとか言って男のヒトにくっついていたよ」

むむ、これはマズイ。
まあ酔っ払いなんてそんなもんだし、暴力沙汰になってないだけまだマシだし、いわんや新宿駅みたいに✖ロ吐きまくってる奴もいなそうだし、ごく普通の光景なんだが、これは今ではない。今見せることではないだろ。
だが思えば私だって子どもの頃から酒臭い酔っ払いを見てきたし、そりゃ若かりし頃は✖ロまみれの路上で清々しい朝を迎えたこともたびたびだった。
・・・家でもうちょっと飲んで酔っ払った風を見せたほうがいいのか?
そうか、俺様普通すぎるかもしれない。
この恵まれた才能のおかげで子ども達は、父親がシラフの時と酔っぱらったときの区別がついていないのだ。ああ、恨むべきはこの才能よ。
「父ちゃん顔赤いよ」
「え、そ、そうか」
まあ、こんなことも、たまにはあるものさ。
酔っ払いへの接し方も人生経験だ。

それはそうと、初めて飲ませるワインはいいとして、困ったのはこいつだ。
バースディビンテージを買っておいて、子が成人したら一緒に飲ろうというコンセプトの日本酒だ。

古酒蔵の達磨正宗「未来へ」10年以上経過して、いい感じの色がついてきた。澱もだいぶ溜まっている。これウイスキーじゃないですよ。最初は無色透明の日本酒がこのように変化します。

生まれてきてくれてありがとう!
赤ちゃんが生まれたら購入し(またはご出産祝いとして贈り)、室温で立てて置いておくだけで、美味しいお酒が出来て、20年後に乾杯できるお酒です。

達磨正宗HPより

古酒は素晴らしい日本酒文化だ。
そして、達磨正宗は陽の古酒だと思っている。陰ではなく陽。
飲んで、楽しい気分になれる古酒。最高だ。
だが、酒を飲んだことのない人間が、初めて飲む酒が、日本酒の古酒という選択は果たしてありえるのだろうか?
古酒を旨いと思えるのは、酸いも甘いも噛み分けて老成の域に達した私のような限られた者のみぞ知る禁断の世界に凄む聖人レベルの高みに昇りつめて召天してしまわれた変人だけなのではなかったのか?
20年古酒ってさあ、まあまあレアなものですよ。
買ったのオレだし。
でも思い出した。
そう言えば昔、行きつけの酒場でうちのカミさん、レアな茶色い古酒を旨そうに飲んでたこともあったっけ。娘の好物は干し柿で、しかもこの前熟れ熟れのシブ柿を、木からもいで旨そうに食っていたっけ。
酒飲みの遺伝子は事あるごとに雄弁に語りかけてくる。
こりゃ、私以上の天才かもしれないな。
親バカの期待は暴走する。

とはいえ、この瓶を開けるのはまだ当分先のことである。
そんな未来のことなど誰にも分からないし、生きているのかすら怪しいではないか。まあそんなことに一喜一憂するのではなく、この達磨正宗の実力に期待を寄せよう。なに、娘がまずいと言って飲まなくてもよい。この手の日本酒は開封したところでそう簡単に劣化するものではないのだ。
20年経って半分味見。
30年経ってもう半分。
40年経ったら・・・俺何歳だ?
そういう楽しみ方ができるのが、(限られた)日本酒の特徴だ。
そしてそのくらいの年月が経てば、あわよくば娘も老成し、価値がわかるようになっているのかもしれない。
そういえば、達磨正宗の杜氏さんが言っていた。
熟成してレッド(色味に赤の要素)が出てくるのが日本酒の特徴なんだよ、と。
だが、今のところレッドはまだ出ていない様子だ。
遠くない未来、ほんのり現れたレッドを解説しながら、娘とこの酒を開封する時は本当に来るのだろうか。

訳もなく、なんだか心配だ。

追伸 子どもへのアルハラを奨励するものではありません。
  親バカの妄想と思って暖かい目で読んでいただけると幸いです。

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