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劣化

                       (9200文字くらい)
飛騨地方は冬に向かってまっしぐらであります。
先日、北アルプスの奥穂高岳山頂を中心に、うっすらと雪を確認することができました。毎年この時期、穂高連峰や乗鞍岳に雪を見つけると、
「ウヒャッホー」
と雄叫びをあげずにはいられません。
山の雪を確認するタイミングは、ほぼ100%クルマの運転中なので、いくら叫ぼうが自由なのです。
そう。現世でフリーダムなのは唯一ひとりぼっちの車内、あるいは誰もいない山中だけなのですね。
本当に生きづらい世の中です。
ま、それはともかくとして、今年もせっかく雪が確認できたので、noteを始める前に書いた今年3月のスキーに関する文章をご紹介いたします。
noteを始めるにあたり、今まで書き溜めた文章があるので、しばらくはコピペすりゃいいや、と楽観的に思っていたのですが、実際やってみるとwordとnoteに表示するのでは、ずいぶんとリズム感が違ったり、仲間内でしか意味が分からない文章だったりして、そんなのをいちいち直してヘンになるよりはイチから書くかみたいなことになり、結局ネタ帳くらいの役にしか立たないことが分りました。徒労ですな。
今回はゲレンデスキーの話ですが、徒労はもうイヤになったので、殆ど修正を加えておりません。私は趣味性の強い話も極力誰でも分かるように書くことを旨としておりますが、そういう訳でスキーをされない方は非常に分かりにくい箇所が多々あるかと思いますのでご了承ください。
あ、それと基本的にバカ話ですので、怒らないでくださいね。
私言いましたからね。

あらすじ

私とクーロワール髙田と石見堂と諌山の4人は、山とスキーとホルモンを共通の趣味とする悪友同士である。
エクストリームな渓流釣りを身上としていた石見堂は、ここ最近「テレマーク」というジャンルのヘンタイスキーに魅せられ、沼っている。
どれだけヘンタイかと言うと、下記の記事を参考にされたし。高速道路の脇に糞をまき散らすとか書いてある。

そして石見堂は今シーズン最後の3月、遂に聖地、志賀高原へ合宿に行こうと言い出したのだ。
その顛末やいかに。



1 志賀高原への道のり


三月も、はや四週目だというのに昨日からの大雪は、飛騨高山から信州志賀高原へと向かって爆走する車のフロントガラスを凍てつかせていた。大ぶりだが比較的乾燥した雪の結晶は、量こそ少ないものの、この時期としては異例の天候に期待が高まる。仕事の都合がつかずに参加できなかった諌山は、「雨で微妙なテンション」とか「リフト代がボッたくりでビビる」だとか悪態をたれていたのだが、どうやらそれは杞憂に終わりそうだ。
ただ、いつも思うことなのだが、スキーの面白さというものは、コースが長いとか単にパウダーが残っているとかいうことではなく、何か複数のプラス要素が偶然一致したときに突如として出現するものなのだ。
「なんかしんないけど妙に面白かった」
的な。
ただ悪天候は基本的にマイナス要素だ。まれにパウダーを食い尽くした後に一時的な暴風雪となり、リフトもゴンドラも止まって完全に雪面がリセット&面ツル状態になって、また一からやり直せるなんて僥倖も無いわけではないのだが。だがそんなことがあったのは過去に二回だけ。
一度は、今は無き上宝高原温泉スキー場の最終日。
そしてもう一度は八方尾根だ。
この話は長くなるので別の機会にあずけるとして、悪天候は基本的にゲレンデでは人口密度を低下させる効果と、シェルの性能評価を行えるくらいの有難くない外的要因でしかない。
あるいは自作カレーを作って喰らっていて、クローブの粒を噛み潰したときのような、あの苦虫を噛み潰した的なマイナス要素が自虐性とのマリアージュによって、昇華されるという事も無きにしもあらずだが、大半は後日の反省会であまり面白くない議題に挙がる程度のものである。
志賀高原で最も標高の高い横手山に向かう車からの景色はどんよりと視界が悪く、鉛の色で、その毒に蝕まれつつある心を「雪質」というキャッチーだが実のところ百五十円くらいのトッピング・・・例えるならば、まずい中華そばに追加する背脂のような・・・でもって胡麻化そうとする心理を否定することは困難であった。
だが、事態は意外な要因によってあっさりと幕を閉じる。
横手山スキー場の入口までたどり着くと、名古屋ナンバーの白いアルファードが雪にはまり込んで立ち往生している。とても三月とは思えない雪の量で道幅は狭くなり、状況としてはデス・スターの溝のようになっている。路面はろくに除雪の予算をつけてもらえない貧乏雪国で鍛え上げられた百戦錬磨のドライバーでもない限り、近寄ることすら許されない有様である。名古屋ナンバーの、そんな重量級二駆アルファードなんか誰も押してやる気にならないので、ガン無視でスキー場に入ると、目の前に長さ10メートルほどの雪の急坂が現れた。ダウンヒルではなくヒルクライムだ。その先にはロッジが見えている。
「これ、登れってのかなあ」
「いけいけ、チョロいチョロい」
石見堂はアクセルを踏み込んだ。クルマはジェットコースターが最初に勢いをつけるための恐怖の登り坂のような姿勢になった。
「モモモモ、モモモモモモ」
あまりの急坂に空転するタイヤがうなりを上げる。
同時に日産エクストレイルの2リッター4気筒DOHCエンジンが吠える。
「モモモ、モモモ、モモモモモモモモ」
いけ、登れ、登り切れ。
だが、坂の中腹まで登ったものの、残念ながら登り切ることは叶わず、その急坂は実は道路ではなくゲレンデだと気が付いたとき、アウエーであるこの地に、今まさに洗礼を受けているという事実に気が付いた。ここは地元の流葉でもなければ平湯でもない。聖地、志賀高原なのだということを。
伊勢神宮はいきなり内宮に行ってはならない。最初は外宮から参拝しなければならないという厳然たる順序があるのだ。それを端折って横手山という志賀高原最高峰へいきなり向かうという愚行に気が付いたとき、我々の敗北は既に決定事項であった。降りしきる雪はあざ笑うかのように視界を奪い、横手山をホームとする地元スキーヤーは軽蔑の笑みを浮かべ、もはや我々は名古屋ナンバーのアルファードと同じ下賤な身分にまで凋落していることを認めざるを得なかった。予想外の事態に困惑した我々は、さらし者となり、この場に留まることすら叶わず、それでも未練がましく国道292号を登ったり下ったりするものの、遂にこの横手山スキー場に、駐車スペースすら与えてもらえなかった。
敗北感とともに国道を下ってゆくと、雪はやがて雨に変わった。
諌山の悪態が現実のものになりつつあった。

2 板が細いだの太いだの


その後、横手山に門前払いを食らった我々は、真反対の焼額(やけびたい)スキー場のゴンドラに揺られていた。
志賀高原の向かって右奥が横手山だとすれば、左奥が焼額ということで、わざわざプラス一時間ほどかけて出直したのだ。5時集合9時ドロップインする計画は打ち砕かれ、既に少し早い昼メシ時になりつつある。天気は相変わらず鉛色をした空に時折強風を伴った大粒の雪がゴンドラを叩き、おっさん連中のピンク色の吐息は内側をべっとりとくもらせて外の様子が皆目分からない。湿った空気は意気込んでここまでやってきたモチベーションを義務という名の大義名分に変えつつ、それを認めまいとする葛藤が皆の口を堅く閉ざすのであった。
ゴンドラの外にスキーを運搬するために刺す穴は、ファットスキーが出はじめたころから改善されていないのはどこのスキー場も同じだ。石見堂の2代目フォルクル・ゴータマはもちろん刺さらず、俺様のライン・ブレードオプティックも一本づつしか刺さらない。クーロワール髙田は相変わらず愛用のロシニョール・バンディットを使っているのだが、こちらは余裕で入るものの、チリと呼ばれる博物館に寄贈した方が良いと思われるバインディングからケーブルが護送中に落下する恐れがあるということで、念入りな仕舞い方をしていた。
このバンディット、私が髙田と初めて会った24歳くらいの頃には既に乗っていた覚えがある。
それ以来、北海道の大雪山をエトリクスにガイドしてもらった激パウの時も、乗鞍トヤ谷遭難未遂事件の激パウの時も、八幡平のツアーコースで長大な雪庇の大崩落に巻き込まれたものの激パウだった時も、いずれも底なしの深雪でヒドい目に会う時に限って必ず奴が履いているのが、このバンディットなのだ。デビュー当時は過激な幅広という触れ込みであったようだが、今となってはヴォラント・スパチュラV2を頂点とし、その配下にK2ポントゥーンを従えるファットスキー・ロッカースキーの面々と比べれば、はっきり言ってその巾など、きしめんの前の細ちぢれ麺に等しい。

細ちぢれ麺のバンディットでディープパウダーを攻めるクーロワール髙田。
コケているのではない。滑っているのだ。北海道・大雪山系のバックカントリーにて


問題なのは、髙田がそのスパチュラもポントゥーンも両方とも所有しているにも関わらず、ここぞという激パウの時に限ってその細ちぢれ麺を持ってくることなのだ。気持ちはよく分かるし、26年も履き続けているということはよほどのお気に入りなのであろう。
私もカービングスキーが登場する前の細板長板時代からパウダーを滑っていたので、今時の太板しか知らない若造には分からないのであろうが、あの時代の板で軽くて深いパウダーの表面をなめるように滑り降りることなど絶対に不可能であった。
そう、荷重と抜重というのは何もバッジテストに合格するための技術なんかじゃあなく、パウダーに沈んで進まなくなって立ち往生しないようにするための技術なのだ。踏んで沈んでスキーをしならせ足場を作ってそこから跳ねて浮き上がる。これがリズムに乗るといわゆるウエーデルン(ショートターンではない)になる。そうやってパウダーを攻略してきた。当然スピードなんて大して出ないしとんでもなく重労働だ。
ところが、最近RMUといういかがわしいメーカーからSR126バターナイフなぞという板が出現した。バターナイフだと?要はカリカリトーストにザザーっとバターを塗りたくるような感覚で滑れるということなのだろうか。そういえばスパチュラにもバターが溶けている絵が描いてあった。これらをどう解釈するべきか。脳ミソがとろけてしまうということなのか。あるいは映画「ハンニバル」のレクター博士が最後に飛行機で脳ミソ弁当を隣のガキに食わせていたような異次元感覚になるとでもいうのであろうか?ともかく、トーストにバターを塗る感覚なぞはアイスバーンにエッジを立ててガリガリやった粉がトンカツにもならないパン粉の屑になるくらいのものであって、決してほめられたものではないのだ。
大体、年に何回あるか分からないような貴重なパウダーを、表面だけなぞってスピードを出して、一瞬で終わっちゃって、何が面白いのかと思う。スピードを出したきゃキロメーターランセにでも出場したらいかがであろうか。
新雪の底まで踏んで、内部の感触まで味わい尽くして初めてパウダーを喰らうということではないのか。俺様はスピードなんか出さなくても、止まりさえしなければ首まで潜って体全体でパウダーを満喫したい派なのだ。名付けてサブマリン滑降法。誰かセンター60mmくらいの細いロッカーを作ってくれないものだろうか。いや、そのうち絶対流行るとこの場で予言しておこう。今は西暦2024年の3月だ。
では、クーロワール髙田が激パウ時に博物館行きのバンディットを使用することは正義であるのか?
否、否、答えは否だ。
なぜならば、第一に、彼がウエーデルンをしているところを見たことがない。第二に、彼は完全無欠の生え抜きテレマークスキーヤーであるということだ。それが何なのだ。
テレマークでもコブ斜面を優雅に滑り降りる達人はいる。
だが、アルペンターンとテレマークターンの切り返しを比較すれば、テレマークが素早い切り返しに不利であるということは、誰も言わないが誰だって知っている事実で、とりもなおさずウエーデルン向きではなく、豪快ロングターンのズラしでこそ、その真価、いや気持ちよさを発揮するということは分かり切っているではないか。
ということは、パウダーにおいてある程度(恐らくセンター最大100mm程度)までの太板はテレマークにこそ有利なはずであって、思い返せば次第に板が太くなってゆき、革靴からプラブーツに進化していった時期と、テレマークが盛り上がりを見せていたゼロ年台が、概ね一致しているのは道具の進化がそのあと押しをしていたと見るべきであろう。加えて言えば、テレマーカーは何よりパウダーを求めるバックカントリー率が高い。
そして、今回凝りもせずバンディットを選択したことに意義はあったのか。
あったのだ。
だがそれは翌日の滑りに持ち越される。

3 剥がれかけた親指のツメ


焼額の2本のゴンドラを制覇し、少し歩いて奥志賀、一の瀬ダイヤモンドまで足を延ばして1日目を終了した。面白い事と言えば、私が脇っちょに残っている残飯を漁ろうとして大ゴケ縦2回転してコース外の谷に転落したことと、クーロワール髙田も残飯漁りでフロントフリップを決めて「ぐう」とうめき声を上げ沈したことくらいであろうか。
昼飯も微妙な雰囲気であった。何故ならこのエリアもニセコと同様に円安とインバウンドとスタグフレーションというエイリアンの侵略に侵されており、何とカレーが2250円、ソースかつ丼が2500円と猛烈に暴利を貪っていた。今現在のレートは約1ドル150円。もはや日本人は全く利用することが叶わない。しかもそんな単価のくせに何とセルフサービスなのだ。まあカレーの肉はデカかったし、かつ丼の肉もちゃんとロース肉ではあった。私が学生時代にスキー部の合宿所・・・あれは万座温泉スキー場・・・で泊まっていた宿の牛丼なんかは上から見ると飯の面積の方が肉よりもはるかに大きい上に、極太の輪ゴムをさっと湯がいたかのような謎肉が乗せられていた。甘辛い味付けのそれは常に飢餓状態である十代後半の我々にとっても実に満足のゆくものではなかった。
肉を噛みしめた我々はその後も滑り続け、3時過ぎに脚も終わった頃、どういう訳かそれまでの悪天候が嘘のように晴れ渡った空を眺めていた。
所謂午後4時のバカッ晴れである。

石見堂セレクトの宿は、よその資本が入って改装が進んでおり、非常に快適であった。驚いたのがフロントも食事の給仕も全てアジア系の外国人で、結局日本人の従業員には一度も出会わなかった。日本語がイマイチ何を言っているのか分からず困ったのだが、それでもそれなりに日本語を勉強して働きにやって来る彼らの底力には、ある種の恐ろしさを感じた。
晩餐まで少し時間があったので、持ち込んだ南アフリカの安ワインを3人で飲んでいた。
部屋はキレイに改装されている。
白い漆喰風の壁紙に、天井はサクラの樹皮付き小径木があしらわれている。
窓から外を眺めると、連なる建物の屋根には申し訳程度の雪が乗っかっており、夕暮れ時の春の日差しが今シーズンも最後なのだという侘しさを醸し出していた。

クーロワール髙田が落ち込んでいた。
聞けば切り忘れた足の親指のツメが剥がれかけており、焼いて赤黒くなった鉄線をツメに刺し込む拷問状態である。見れば紫色に変色しているツメはもはやパカパカしているのだが思い切って千切るほど離脱はしていない。そういえば宿に到着する前、もじもじしながらコンビニに寄ってくれとかドラッグストアーでもいいとか、この男は生理にでもなったのかと思ったのだが、実は爪切りを入手して爪を切りたかっただけなのである。宿に着くと、すぐに「ご自由にお使いください」という文言の下に爪切りが常備してあるのが確認できた。髙田家には思いがけず新しい爪切りの導入と相なった。

温泉はカタルシスであった。
渋温泉は以前にも訪れたことがあったのだが、とにかく熱くて、うめると地元の爺様にうめるなべらんめえ的にガンつけられるので、どうしようかと思っていたのだが、極めて常識的な温度に管理され、透明だが比較的強い泉質のそれは今日一日のモモモ、モモモ等々数々の出来事をまあそんなこともあったなあと水に流す力に満ち溢れていた。

食事はバイキング形式であったが、旨かった。
鍋は味が選択出来、俺様は信州リンゴ味でどうかと提案したものの、二人に却下されて普通の味になってしまったことを除けば、大いに満足のゆくものであった。
内容はいわゆる和・洋・中折衷であるのだがしかし、日本酒の選択が何と「水尾」と「縁喜」であった。「縁喜」(えんぎ)は呑ったことがなかったのだが、長野県らしい端正でしっかりとした造りの酒であることを後に確認した。つまり、確かな舌をもった料理人がいるという証明である。髙田は調子に乗りすぎてデカいを魚三匹も残していた。
石見堂はその後、「クルマ壊し系ユーチューバー」の霊柩車飛行距離記録更新等の動画に横隔膜筋を破壊され、私は卓球台に向かった後、「行け、稲中卓球部」を鑑賞し、奈落の底のような深い眠りについた。

4 鬼人となった髙田


翌日、クーロワール髙田はやはり爪が気になるようで、落ち込んだままであった。
石見堂が「降ったのか?」と外を確認するものの、それは単なる願望に過ぎず、煮え切らない太陽が部屋を何となく暖めにかかっていた。
諌山の「翌日は結局滑らずに観光先を探し、それなりに楽しかった」という悪態がいよいよ現実味を帯びてきた。
「髙田よお、調子はどうよ?」
「いやー、1、2本滑ったらもうダメかもしれない」
「まあ、せっかく来たんだから様子を見に行こうぜ」
そりゃ脚の親指のツメが剥がれかかっていたら、足の先っちょが折れ曲がるテレマークブーツなんか見ただけで背筋がゾビゾビする気持ちはよく分かる。足を入れるだけで拷問状態間違いなしだろう。私も石見堂も、もう観光でいっかみたいな気持ちに傾きかかっていた。
そんな超ローテンションなまま朝風呂を浴び、朝食を喰らい、昨日ケチリンを喰らった横手山に性懲りもなく向かった。
横手山はやはり我々を受け止めてはくれなかった。
昨日同様、行ったり来たりしたものの、駐車スペースが無く、結局その下の熊の湯スキー場の少し下ったところに路駐して、覚悟を決めた。
実を言うと熊の湯は、事前調査で気になっていたところで、パウダー狙いならここが穴場だ的な情報があったのだ。板をかついでゲレンデに向かう。
暑い。
まだ雪はガリガリだが、ほどなくしてザラメの春スキー日和になるであろう。恐ろしく高価なリフト券を購入し、ドロップイン。

面白い。

何故かって?
そう、ここは非圧雪の急斜面があるのだ。
これはまるで、地元平湯スキー場のジャイアントコースのようだ。
見ればクーロワール髙田がリフト下でブッ飛んでいる。
1本2本滑ったらもうダメとか言ってたくせに、まるで水を得た魚のように何本も何本も滑りまくりコケまくりブッ飛びまくりで完全に錯乱状態なのである。
ドン引きしたのは我々ももとより、リフト上から観察している赤の他人が、
「うお」
「やべ」
とか口々に何か得体の知れないものが乗り移った狂戦士のようなテレマーカーを凝視し、眼下を疾風怒濤の如くスッ飛んで行く野獣を振り返り、どこまでも目で追っていた。
剥がれかかったツメは一体どうしたというのであろうか。
恐らくは加水分解によって劣化し白濁しボロボロになり溶け出してベトベトになろうとしているスカルパ・ターミネーター2(テレマーク用ブーツ)と、剥がれかかってそこだけテレマークブーツのように折れ曲がる親指の爪が一体となり、シナジー効果を生み出したと思われる。つまり、山足を折り曲げてターンをする際、先に剥がれかかった親指の爪が起きて数ミリ前進する。前進した爪がインナーに突き刺さりブーツと一体化する。その直後ブーツの爪先が曲がり、旋回に入る。想像するだけで恐ろしく痛そうだが、より足裏感覚、否、爪先感覚が研ぎ澄まされる。そればまるで人肉に食い込んで真価を発揮、その後暴走する呪いのかかったヨロイの如く、激痛と引き換えに得られる禁断の悪魔的滑降なのだ。
クーロワール髙田のターミネーター2・チリ・バンディットは年月とともに劣化していったのだが、それと同時に彼の苦痛を受け止め続け、ついには呪いのかかった三種の神器と化していた。私も石見堂も、それに続けと渾身の滑りを試みるものの、クーロワール髙田の鬼人のような滑りに圧倒され、彼の肉体が呪いに全てを蝕まれ、遂にヒットポイントゼロになったタイミングを見計らって追い抜くという卑怯な手を使わざるを得なかった。
 

5 ひなびたラーメン屋


帰りの道中、私は石見堂から貸してもらい、試乗した最新のNTNニューテレマークノームの道具について感じたことを彼らに伝えた。私の道具は一世代古いものなのだ。
ブーツを履いた時、あまりの柔らかさにこりゃやべえと思った。革靴とまでは言わないが、こんなヘニャヘニャ靴でまともに滑れる気がしなかった。歩きやすいことこの上ない。ところが滑り出してみると、意のままに操ることのできる感覚、あり得ない滑らかさに戸惑った。ブーツの固さなんて関係ない。ブーツと板の一体感が一世代前の75mmとは完全に別次元で、たかがそれだけのことが滑りにここまで影響するもののかと我をも疑った。しかもセンター100mmのゴータマなのに。あり得ないのはその価格もだが。
道具の進化は果たして凄まじかった。こんな道具を、あのバランス感覚天才肌の髙田に与えてしまったらどうなってしまうのか。
道中、石見堂と私は途中でコンビニに寄って現金を下ろそうとか、クレジットは使えるのかとか、何とかしてブンリン(松本の山スキー専門店)でNTNを買わせるよう仕向けたのだが、結局髙田は買わなかった。
いや、それで良かったのかもしれない。
クーロワール髙田には、いつまでも三種の神器で滑っていてほしい。
そうでなければ、彼が彼でなくなってしまうかもしれないのだ。

別れ際、石見堂がおもむろに言った。
「渋温泉のラーメン屋、来々軒に行けなかったこと。それが今回最大の失態である」
そう、あの、やっているのかやってないのか全く分からない、ひなびたラーメン屋、来々軒。気になる。何か惹かれるものがあった。
後から調べたところによれば、おばあちゃんが1人で切り盛りしているという、知る人ぞ知る名店ということではないか。
ああ、またこれで志賀高原くんだりまで行く屁理屈ができてしまった。

2024~2025シーズンも先が思いやられる。

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