広告代理店からスタートアップへ転職して見えてきたデザイナーの半生
こんにちは、YOUTRUSTのクリエイティブディレクター、根本です。
前職の後輩である福田 将人 | KitchHike Creative Directorくんのnoteがすごく良かったので、自分もどなたかのキャリア展望の参考に少しでもなれたら幸いと思い、半生を振り返りつつ、書いてみることにしました。
どんな話?
美術系の学校、特に平面の視覚伝達を学んできた人間が、社会の中でどういうキャリアを歩んでいくのか。
私自身、高校生の時から自分に当てはまる先人のロールモデルを見つけられなかった中で、20年歩んできた半生をお話ししたいと思います。
非常〜に長文になってしまったので、
お時間無い方は目次をご利用くださいませ🙇
20年前の美術系学生の現状[学生時代]
当時はスマホも無ければGoogleも無く、片田舎の書店にはデザイン関連のコーナーすら無く。美大やデザイン業界のことなど何の知識も無かった小中高時代の中で、ぼんやりと「将来どうする?」を考え始めたのが高校2年生でした。
勉強で周りに勝てないと思ったのも要因だったと思いますが、いつも美術の成績が良かった私は「どうやら自分は絵を描いたりモノを作る事が、周りより得意そうだぞ」と自己分析(完全に井の中の蛙です)。専門学校や大学など美術学科のある進学先を調べ始めました。
周りには「美術系に進学しても仕事が無いぞ」と言われ続けていましたが、
半ば強引に、AO入試が可能な都内の美術学部のある大学に進学しました。
※通常、美術系大学に受かるためには、高校一年生から美術系予備校へ通い、鉛筆デッサンや絵の具を使った色面構成などを学ぶ必要があります。ほとんどの大学がそういった実技試験を設けており、倍率も5〜15倍と非常に狭き門となっています。高校2年生で気づいてもすでに刻すでに遅し、でした。
当時、商業や工業デザインに全く興味が湧かなかった私は、結局4年間ずっと絵を描き続ける事に。
あとは友人と徹夜でゲームをしたり、飲み会にいったり、バンドをしたり。「インターン」という言葉すら知らぬまま、あっという間に3年生になっていました。
当然ながら都内の就職活動は全敗。ここでやっと、自分は何者でも無いし、いわゆる美術系学生の就活戦争に参加すら出来なかった事を理解しました。
(いくつか進んだ二次選考会場で、有名美大の方々が同級生同士で選考対策話に花を咲かせているのを見て「事前対策して無いのだからそりゃ受からないわ」と悔しい思いをしたのを覚えています。)
Uターン就職と展望変化[1社目]
最終的に新卒でお世話になったのは、地元に本社がある大規模店舗出店で有名だったホームセンター。
そこで偶然に店頭受付型のDTPデザインショップに配属され、初めてadobeに触れる事になりました。
毎晩勝手に居残って先輩方のデザインをトレースしたり、自社店舗の販促POPを勝手に作ってみたり、印刷や加工関連の専門書、HOWTO本を読み漁り、必死で知識とスキルを身につけていきました。
この時に思っていたのは、自分は何者でも無い事が分かったけれど、努力を続ければまだ挽回できる!と思っていました。
※DTPショップとは、印鑑、表札、贈答品、看板、名刺や封筒などの各種印刷&サインディスプレイを請け負う店舗サービスです。
そんなある日、名刺のデザインをお客様に店頭でご確認頂いた時でした。
お客様から「心を込めて、デザインしてくれてありがとう。」と感謝のお言葉を頂きました。何気無い一言だと思いますが、実はその名刺はお客様が見本を持参し「どうやって作ったのか調べて欲しい」とご依頼頂いた特殊な加工が施された用紙。
何週間か掛けて調べた結果、やっと出来上がったモノでした。
その一連の経験こそが、私の今後の人生を大きく変える事となりました。
大学生の時には全く興味の無かった「デザインの力」を、図らずとも実体験として感じることになったのです。
「もっとスケールする、もっと大きな視野で社会を変える、社会に影響を与えられるデザイナーになりたい!」
やっと私が自分のやりたい仕事を見つけた瞬間でした。
そこからすぐにデザイナーになるための情報収集を始め、貯金で学費が払えつつ、最も有名なデザインの学校ということで、桑沢デザイン研究所へ入学する事にしました。同時に学校の講師の元でのアルバイトも始めました。
広告業界へ飛び込む[2社目/2012]
2年間の学校生活はあっという間に過ぎていきましたが、今度は背水の陣です。絶対に失敗できません。
大学とは打って変わって真面目で意識高く過ごしたおかげか、二度目の就活戦争には一応参加する事ができ、最終的に大手広告代理店のデザインをお手伝いする広告制作会社への入社が決まりました。
会社を選ぶ時に最も大事にしたのが
「大手広告代理店の仕事ができること」
「師匠を見つけること」
「厳しい修行ができること」
の3点でした。
大きな視野で社会に影響を与えられるデザイナーに最短でなるために自分に課した条件だったのですが、幸運なことに、デザイナーとして代理店内へ出向できるチャンスを掴むこともできました。
ときには会社に泊まり込み、ときには土日も働き、それでも飲み会には必ず参加する。そんな広告業界クリエイティブの真っ只中で翻弄されまくった6年間を過ごしました。
その時に出会った親愛なる師匠には大事な言葉をいくつかもらいました。
①「人の気持ちを察する事」
仕事やデザインする上で、人の心や感情を先読みし、快くもてなすこと。
②「無視力」
偉大なクリエイティブを世に出すには、様々な大人の事情を分かっていながらもあえて無視する強さを持たなければならない。
③「悔し泣きできる姿勢」
コンペで負けて、自分のアイデアが採用されないで、悔しくて怒れるのか。涙が出るのか。強い感情は次の行動への原動力になります。
デジタル広告の世界へ[3社目/2018]
2社目では主にマス広告を基軸としたIMC(統合マーケティングコミュニケーション)に則ったデザインを行っていましたが、6年も続けると飽き性の私はデザインだけでは無く、他の分野の事が知りたくなってしまいました。
例えばマーケティングであったりストラテジーだったりです。
6年間の中で、自分という人間には作家性のあるデザイナーになるための強い衝動が無く、あくまで社会貢献が大事であることを感じていて、それならデザイン以外の広告全体のことをもっと知って、学んで、経験しないと成長が止まってしまうと考えました。師匠や同僚との別れは非常に辛い選択でしたが、自分がもっと前に進むために、2回目の転職を決意しました。
しかしながら、当時は広告業界のクリエイター中途採用数が非常に少なく、私の経験とこれからやりたい要望にマッチする会社を少ない求人の中から探し出すのは、可処分時間の無かった私には不可能でした。
そこで色々とリサーチした結果たどり着いたのが、ハイキャリア以外ではまだ目新しかったエージェントサービスでした。1社1社、専用に履歴書や作品集を作って自分で応募するのでは無く、客観的なキャリアのまとめと作品を各社の人事ご担当者様や現場担当者様にご確認頂き、スカウトを頂くような形で活動をしていました。
おかげさまでなんとか複数社から内定を頂く事ができ、その中でも当時最も勢いがあり、面白そうなリリースを連発していたデジタル広告No.1の代理店がとても魅力的に映り、承諾させていただく事に。
グラフィックデザインのスキル自体は高いレベルで習得できた自負がありましたし(偉そうにすみません)、それ以外の自分に最も足りない知識が学べ、新しい経験ができると確信があったからです。
当時の社内では、丁度エンタープライズ企業様のブランド広告予算を勝ち取りに行こう!というミッションを掲げており、私の経験が活かせるのでは?とも思いました。
実際に働き始めて感じたこと
私のこれまでの経験は「ほとんど通用しなかった」です。
もちろん、デザインという実務の作業スピードやクオリティは存分に活かせましたが、大手広告代理店と違う所が多すぎて、自分の価値が発揮できなかったのです。
・違うところ①
大手広告代理店は大手企業様がお客様なのが当たり前です。会社やプロジェクトの規模で進め方やご要望が全く変わってくることを知りませんでした。
・違うところ②
電車広告やTVCM起点の企画は全く意味を成しません。「数字がどう動くか」がマーケティングの大原則だからです。数字が動く企画、クリエイティブを作らないといけないのです。
・違うところ③
「クリエイティブ至高主義」は存在しません。全員野球で全員が連携し、フルコミットすることで初めてコンペに勝てる事を知りました。
様々な売上規模の会社と商材がある中で、的確な勝ち筋を見極めて戦うこと。クライアントが期待する要望に応えること。私が最も学んだのはこの2点です。
どんなにカッコイイポスターを作ったとしても、コンペでは勝てません。オリエン与件を深く読み込み、最も解決すべき点を見つけ、デジタル広告ならではのメディアプランを作り、統合プランニングを考え、全てのタッチポイントに合わせたクリエイティブを作る。
そこまでやって初めて、クライアントのご期待に沿える結果を出せることを身をもって体験させて頂きました。
6年後の今[4社目/2024]
1社目で印刷やサイン加工の技術、2社目で大手広告代理店のクリエイティブの真髄、3社目でデジタル広告の戦略の思慮深さを学んできました。
私は広告が大好きですし、自分を広告に携わるクリエイターとして自認しています。そんな私がもう一つ、自分の限られた人生の中で経験できていなかったのが、クライアントサイド、つまり事業会社側のクリエイティブです。
この気付きと違和感は、前職の猛スピードで移り変わる案件の多さから来るモノでした。もっと永くお客様や商材とお付き合いし、パートナーとして一緒にグロースしていく。そうしなければ、本当の意味で事業やサービス、商品の売上を伸ばしていく事は難しいのでは?と考えるようになりました。
そして、これはあくまで現業との比較の話であり、自分を形作る事になった広告業界と関係者の皆様には深い尊敬を持っている上ではありますが、代理店は作ったクリエイティブやプロモーション施策が、例え失敗したとしても責任を取れない立場。そこにいる限りは、グロースの真髄に触れる事が出来ないのだと感じていました。
(逆を言えば、だからこそ勇気のある企画を思いつけるという、相対的な話でもあります。)
自分に圧倒的に足りていない経験は「自分の会社のモノを自分で広告する」という、よく考えれば、何百年前から世界中で行われていた当たり前のこ
と。商売を成功させてきた幾千の経営者が当然に行っていたことです。
事業会社で事業グロースと向き合うデザイナーになる。
そんな訳で今年2024年4月から、YOUTRUSTでお世話になっております。
その時の経緯については、前回書かせて頂いたnoteがございますのでご興味ある方はぜひお読み頂けますと嬉しいです。
事業会社に来て変わったこと
1.ブランドは中から滲み出るモノ
入社して初めて取り組んだのが、会社のVISIONクリエイティブの刷新でした。以前のクリエイティブは「東京の空」という普遍的で安心感のあるクリエイティブ。これを「今」のYOUTRUSTらしいモノに刷新するというモノ。
私がこの「日本のモメンタムを上げる」という言葉を噛み砕いた時に思いついた絵は、この東京の空に「生きている人の温かさ」を感じさせられないかというアイデアでした。
ですが、最終的に採用されたクリエイティブは以下です。「宇宙から見た日本の視点」という事でスケールが大きく変わっています。
この2つのクリエイティブの大きな違いは「伝わりやすさ」だと私は考えます。前者のアイデアは哲学的なアプローチになっていますが、後者は誰が見ても分かりやすく、スケールの大きな取り組みをしようとしているのが伝わってくると思います。
ブランドとは、外から第三者に定義されるモノでは無く、会社の経営者や仲間たち、プロダクトなど、すべての日々の取り組みが積み重なってカタチ作られ、ジワッと滲み出るモノなのだと思います。
それを手触り感強く把握するためには、事業会社サイドにいないと到底理解できないと、今では強く自覚しています。
2.プレスリリースから考える
まだ中身が具体的に決まっていないサービスや事業をプレスリリースしたり、プロモーションする事が往々としてあるのですが、これは代理店側としては非常に頭を悩ませる課題でした。
具体的にそのサービスが叶えることを明確に訴求できないからです。なのでどうしても先の未来の理想話で具体性の無いふわっとした説明になってしまいがちで、私たちはそうなってしまうことをみんな、恐れていたように思います。
今の立場で考えると、まず大事なのが事業戦略であるという事です。
数年先ー10年先ー100年先の会社やプロダクト、市場感を想像し、どうあるべきか、どのポジションにいるべきか。大いなる目標を達成するために、今、どう動くかの連続なのが、事業会社の中身だと知りました。
こういったリリースをまず社会に対して宣言する事で「YOUTRUSTはこういう方向に向かっている、こう考えている」を感じてもらえるのだ、と今は理解しています。
今までのように待ちの姿勢でいても、整然整理された与件やオリエンは降って来ません。チームでゼロから与件もアウトプットも、その結果も作り出すのが、今の仕事です。
3.ものすごい物量と速さ
私が最も、今までと違うと感じている点です。
広告業界では、代理店側から密度の濃い自主提案をする事は、事業のフェーズと内容理解度の点で中々難しく、基本的には受注型になってしまいがちです。
そして、ほとんどの案件が競合コンペになっているので、自分が関わったプロモーションが世の中にアウトプット出来るのは、良くて月に1〜2件だったように思います。
デザイナー視点から見るスタートアップの事業会社の最も良い点は「自分で事業戦略を理解し、自分で考え、それをそのまま世の中に発信できる」というところだと思います。
最後に
片田舎生まれの何も知らない高校生が、大学で絵を描き、Adobeや印刷技術に触れ、デザインが何なのかを理解し、広告業界へキャリアチェンジし、さらに事業会社へ転職する、という短く説明すると普遍的なエピソードでしたが、自らを振り返って思うことは「何事も遅いは無い」という事です。
そこにただ必要なのは、大いなる目標に対する強い熱意と、変化を恐れずに進化し続けようとする姿勢だと思います。
私はいわゆるエリートではありません。自分のやりたいことと生活基盤も一致せず、そのため、やりがいや生きがいを見出せず、相当な遠回りと紆余曲折を経てデザイナーになる事を決めましたが、それでも進む道にはどうやって登ったら良いのかすら分からない高い壁がいくつもそびえ立ち、心折れることも何度もありました。
だけど、私は今もデザイナーとして生きています。
そしてさらには、まだ幼い自分の子供たちやその孫たちが生きる未来を見据え、一日一日、出来る事を考えて生きています。
自分のキャリアと未来は、自分でつくるモノだと私は信じます。
弊社YOUTRUSTは、働く人、生きる人を全力で賞賛し、日本の人材流動性を加速させ、日本経済を盛り返し、偉大な会社が生まれる土壌作りに貢献し、自らも偉大な会社となるために活動しています。
YOUTRUSTを偉大な会社に
最後の最後になりますが、少しでも弊社にご興味を持って頂けましたら、YOUTRUSTへの登録、弊社求人のチェックをお願いします。
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