ツリー 2023/11/01

対話する中で、同じ「組織から出て自由になった」という状況を語るにおいてでも 心を占めるものが大まかに「これで自由に行動できる!」が大きい人と「これで誰かに支配されなくて済む」が大きい人、という逆方向の自由の意味があるのかもしれないと昨日気付いた。

同じ事について話しているはずなのに、何故か少しずつ噛み合わないような違和感の正体はもしかしたらこれかもしれない。

どんどん進んで次々手に入れ新しい居場所を見つけたい人、解放された安堵とただ何でもない今を味わいたくて居る場所こそが居場所な人。 瞬間的な爆発とゆっくりな熱伝導。自分の心は何製で、どちらが自分のこころを温めてくれるのか、みたいな話。

上下優劣でなくて方向のちがいであり、必ずどちらかではなく比重としてどちら寄りなのか、程度。 方向は同じでも比重が違えば、それもまた小さなズレなんだよね。

ぴったり重ならなければならないわけではなくて、 なるべく近づけることで相互理解を図るのでもなくて、 そのズレに気付いて理解できなくてもいいからその存在自体を認めることが、受け入れること寄り添うことなのかも。

そんな当たり前のことすら書き留めておかなきゃ気が済まない位には、全部が宝物のような言葉と時間たちなんだよな。

こうやっていろんな断片が繋がった瞬間の心地よさがあるから 時系列とツリーと引用で関連付けして記録せずにはいられない。

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