幸せの瞬間
明るく静かに澄んで懐しい文体、
少しは甘えてゐるやうでありながら、
きびしく深いものを湛へてゐる文体、
夢のやうに美しいが現実のやうにたしかな文体……
私はこんな文体に憧れてゐる。
だが結局、文体はそれをつくりだす心の反映でしかないのだらう。
私には四、五人の読者があればいゝと考えてゐる。
だが、はたして私自身は私の読者なのだらうか、
さう思ひながら、以前書いた作品を読み返してみた。
心をこめて書いたものはやはり自分を感動させることができるやうだつた。私は自分で自分に感動できる人間になりたい。
原民喜(1905年11月15日~1951年3月13日)
「沙漠の花」より
原民喜さんのこの文章がとても好きです。
何度読んでも心に染みるように広がってゆきます。
”だが結局、文体はそれをつくりだす心の反映でしかないのだらう。”
原民喜さんのこの言葉は普遍的なメッセージを投げかけているように感じます。
今はAIというものがあるから、自分の心の中にないものでも書けてしまう。
でもAIに依存するかしないかもその人の心の反映によるものなのですよね。
今はどんどん新しいものが生まれあっという間に消えてゆく時代です。
記憶にさえ残らないもので溢れています。
人間は進化しているのではなく退化しているのではないか?
感じる力、考える力、想像力が弱くなっているのでは?
そんな風に思うことがあります。
ショパンやベートーベンやモーツァルト・・・・・
偉大な音楽を聴くとそんな風に感じます。
ゲーテやシェイクスピア
キーツを想う時
文学においても。
過去の偉人たちは自分を超越する力を強力なシックスセンスから得ていたように感じます。
宇宙の力や神の力、目に見えない力をも味方につけていたのでしょう。
だからこそ何百年経った現在も多くの人の心に感動を与えることができるのだと想います。
長編戯曲「ファウスト」
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ ゲーテ
ゲーテはこの大作を24歳で書きはじめて、82歳で書き終え、83歳で天国に帰りました。
詩の天才をもってしても完成に殆ど全生涯を要しました 。
天才は生み出すことと生きることが同義なのでしょう。
偉人たちの作品に触れることは、そのエネルギーを感じること。
それは幸せの瞬間です。
今日もショパンを聴きながら点描画を描いています。