デリダ(1)錯綜
アイデンティティ
デリダは、フランス領アルジェリアのユダヤ系家庭に生まれた。
アルジェリアの歴史は複雑である。かつて北アフリカはベルベル人が住んでおり、またイスラーム教の国が支配していた歴史も長い。
しかし、フランスはアラブ語もベルベル語も国語としての教育はせず、外国語として扱った。またユダヤ人に対しては、フランス文化に従うように指示し、ユダヤ人にとってユダヤ文化が異質なものになっていた。
デリダには「同一性」や「共同体」という語に対する警戒心があったが、それは以上のような境遇から生じているのかもしれない。
デリダは、自分の語る唯一の言語(フランス語)が自分のものではないという状況を、自分自身だけの例外的なものとして考えるのではなく、「普遍的構造を備えた範例的なもの」として捉えている。
また初期のデリダは、フッサールの現象学と対峙するとき、弁証法的な綜合という概念を使用していた。
これは、物事の基盤の根源性がアプリオリな綜合であり、すべては錯綜から始まることを示した概念である。
デリダは、「超越論的と内世界的」「能動的と受動的」「現前的と非現前的」「根源的と派生的」など、現象学的な言説の依拠する二項対立の中に、両項の絡み合いや混淆が必然的に含まれていることを指摘したのだ。
この弁証法的な綜合という発想は、「差延」「根源の代補」「痕跡」というデリダ独自の概念にとって代わられることになる。
脱構築
デリダの概念の中で最も有名なものは、脱構築であろう。脱構築とは元々ハイデガーの「解体」をフランス語に翻訳したものである。しかし、この概念は哲学の領域だけではなく、文芸批評や建築といったものにまで影響を与えた。
脱構築とは一体どういうことであるか。デリダ自身の説明によれば以下のようになる。
哲学的な二項対立はつねに一方が他方を暴力的に支配するヒエラルヒーをなしている。よって、これを逆転させるとともに、古い体制に収まらない新たな概念を生み出す必要がある。
そして、その新たな概念は、哲学的対立の内に住まいながら、その秩序に抵抗し、混乱させる「決定不可能なもの」である。
簡単に言ってしまえば、これまでの哲学を支配してきた二項対立を解体して、新たな視点を得ることが脱構築と考えればいいだろう。
他者と現象学
デリダの哲学の根底にあるものは何であろうか。
フッサールの現象学において最も重要だとされたものが、「自己への直接現前」という直観主義である。
これは要するに、目の前に現れているものを、現れている状態そのままで受け取るということである。まさに現象学の根幹とも言える発想である。
しかしデリダによれば、この直観主義的原理は、時間や他者について語るとき挫折せざるをえないとする。
彼はフッサールの他者論を高く評価しているが、それはフッサールが自らの現象学の根幹である直観主義的原理に背いて、他者が絶対的に到達不可能であること、私と他者の根底的な分離を尊重しているからである。
デリダの哲学には、この現前不可能性という概念がつねにあることを忘れてはならないだろう。
〈参考文献〉
『哲学の歴史12巻 実存・構造・他者』中央公論新社、2008年