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母親業って大変過ぎる!!-3ヶ月入院したことで改めて気付いたこと

「全部一人で頑張らなくてもいい」
「もっといろいろ使って、頼ったらいい」
退院してから約1ヵ月。
3ヶ月も入院生活をしていたために、なかなか入院前のように私の体力が回復せず、日常生活をすることも難しい中で、とても家事がこなせない。
そんな毎日で、これから先、私1人で日中の家事をこなせるようになる気がしなくて不安になり、涙が出てくる時もあった。
そんな時に、旦那さんに言われて嬉しかった言葉。
肩の荷がおりたような気持ちがした。

そうだよね。
入院前のように元通りになる必要はない。
入院をきっかけに、逆に今までの生活スタイルを見直して、より良いものに変えていこう!とそう思った。

この旦那さんの言葉も、私が3ヶ月入院するというきっかけがなければ、おそらく出てこなかった言葉だろう。
うちは現在小学5年長男、小学3年、幼稚園に通う3歳の娘の3人の小さい子供がおり、入院当時はさらに1学年下だったわけだが、私は毎日子ども達のお世話や家事、習い事の送迎、その時間の合間を縫って、家でできる縫製の仕事をしており、かなりバタバタした毎日を送ってた。
入院前の旦那さんは家事の手伝いを私が思うに十分にしてくれていたし、旦那さんも十分にやっている自覚があったと思う。
だから、旦那さんが手伝ってくれている家事以外の家事は私が全部頑張らなければという気持ちだった。
私が基本的に家にいるのだから、自分が頑張らなければ申し訳ないという気持ちもあったと思う。
そんな十分に家事を手伝っていると自覚している旦那さんから、入院前だったら「1人でそんなに頑張らなくてもいい。もっと頼ったらいい。」という言葉は出てこなかったと思う。
それに対して旦那さんに責める気持ちもない。

主婦の仕事は見えない部分が多いし、給料で評価できるものでもないから、どれぐらいの価値がある仕事なのかも分かりにくいし、しょうがないだろうと思っていた。
家事や育児は、その時に必要なタイミングで出来ないと意味がない仕事も多いので、後回しにできることばかりでもない。
更に旦那さんに分担してもらうことは難しいだろうと思っていた。
また、私が今日どんなことをしているのか?を説明するのも細かいことを言い出したら切りがないくらいで、毎日忙しくてもどんなにモヤモヤしていても、家事や育児について夫婦でゆっくり話し合ったり共有することもなかなか出来ず、また分担を相談することすらももう毎日疲れていて面倒になっていたのも背景にあった。

でも、私が3ヶ月入院したことで、旦那さんの気持ちが変わったように思う。
旦那さんも私と同じ主婦の気持ちを味わったのだろうと思う。
私が入院したことをきっかけに、旦那さんが子ども達3人を見て朝から晩の寝かしつけまでワンオペする日がたくさんあったからだ。

意外と旦那さんが丸一日子ども達3人を見るということは今までなかなか無かった。
子ども達3人を旦那さんが一人でお出かけに連れて行ってくれたり、休みの日を家族で過ごすということは何度もあった。
でも、旦那さんが休日家で過ごす時は私が料理を作っていたり、お出かけに子供たちを連れて行ってくれる時は、私が家で家事をしていたり、旦那さんは子育てに専念すれば良かったわけだ。
つまり、振り返ってみると、旦那さんが子育てをしながら家事も両方をするという長時間のワンオペを経験する機会が今までほぼなかったのだと思う。

私が考える母親業の大変さは、育児をしながら、家事もこなしていかないといけないことだと思う。
時間を気にせず、育児だけに専念できるなら、子ども中心に進めればいいし、親も雑念無く一緒に楽しめるからいい。
子どもが「ママ来て!」と呼んだら見に行ってあげたいし、「一緒に遊ぼう」と言われたらちょっとは遊んであげたいし、「絵本読んで!」と言われたら1冊は読んであげたい。
でも、子どもの相手をしながらも母親の頭の中は、洗濯物溜まってる、まだアレが出来てない、何時に習い事の送迎ある、兄達の宿題させないと、娘が眠くなり始めた、晩ご飯まだ作れてない、とかいろんな段取りで頭がフル回転している状態なのだ。
そして、そのタスクが片付いていかないとものすごいストレスが溜まってくる。
イライラが溜まると、どうしても子ども達にその矛先が向きがちになり、子ども達の機嫌が悪くなり、よりタスクが片付かなくなるという悪循環に陥るのだ。

旦那さんが私の入院中にワンオペを何日も頑張ってくれたことで、名もなき家事の数々…とにかく家事が膨大にあるということ、育児をしながら家事をすることの大変さ、そして私が何に対してこれだけ毎日イライラしてしまうのか?に旦那さんが初めて実感として気づいてくれたのだと思う。
この母親業の大変さを実感として旦那さんとシェア出来たことはとても大きな変化だ。

そして、母親業の大変さには、10年母親業をやってきた私自身も、自分の入院生活を経て改めて気付くことになった。
長男が生まれて10年が経ち、10年も母親業をしているとそれが当たり前の毎日になるので、私自身が異常に疲労している状態に麻痺していたのだ。
頭の中が段取りで忙しいのは当たり前。
バタバタしている毎日は当たり前。
名もなき家事に追われている自分は当たり前。
イライラして、夜寝る前に、子ども達に「宿題しなさい!」「早く寝なさい!」と怒鳴り散らすのは当たり前。
毎日、何かに対して漠然とモヤモヤしていて、子ども達に対してうっすらいつもイライラしている自分が母親だから当たり前。
全てが当たり前の状態になって、本来の自分を見失って麻痺していた。
そんな麻痺していた私が、入院生活で、10年ぶりに自分のことだけに専念できる時間を過ごしてみると、当たり前だった毎日のイライラやモヤモヤが嘘みたいにすっかり溶けてなくなったような感覚を味わった。
当たり前は恐ろしいものだ。

そして、客観的な視点で自分の生活を見直してみると、入院生活での自分一人の生活だけでもいろいろやらなければいけないことややることがたくさんあるのに、さらに子育てと家事と仕事をこなす母親業は、本当に仕事量が膨大すぎて大変すぎるということがよくよく理解できた。

そりゃあ、人間誰でもキャパオーバーになったら、イライラもするし、心の余裕もなくなるだろうなと思った。
イライラせずに過ごすには、心の余裕が必要だし、心の余裕を作るためには、自分に専念できる時間を作ることが必要だということが本当によく分かった。
そして、それをちゃんと実行すれば、結果的には、自分のためだけではなく、子どものため旦那さんのため家族みんなのためにもなるということ。

まずは当たり前に麻痺していることに気付き、頑張りすぎて自分がキャパオーバーになっていることを認めることから始めなくては。

私は、とりあえず、買い物が今は一番の負担なので、ネットスーパーに登録することから始めてみる!
さあ、これからどのように生活が変化していくだろうか。

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