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自分に優しくするタイプ

 常に最悪のことを考えてしまうタイプの人間は一定数存在する。かくいう私もその一人なのではないだろうかと最近思い始めた。小さいころから高所恐怖症であり、これも高いところから落ちて死を想像しているから感覚的な恐怖がやってくるのではないかと考えているし、自分がこのタイプではないかと思い始めた時から、思考の節々にその色を感じる。つまり最初から最悪のことを想像しているということね。
 さて本題は自分に優しくすることの難しさである。私の行動の節々には自分を大切にしていない前提があると感じられる。何もしなかった一日は怠惰に過ごしてしまったと落ち込み、悩みがない自分や今のめぐまれすぎた環境に嫌気がさす。怠惰な自分は許せないし、それは意味のある生活をしたいという思考の前提があるんだろうなということが感じられる。なぜなら頑張っていない自分に価値がないと思っているからである。これは自分に優しくないよねー。
 自分に優しくない思考には、同じような思考を他人に押し付けてしまうという危険性をはらんでいるとも思う。過去にバイト先のコンビニにてこんなことがあった。先輩と二人で勤務していた時のこと。朝のコンビニは掃除や納品、レジに期限チェックなどやることがたくさんある。その先輩はレジに立っているだけでレジ外のことは何もせず立っているだけの時があった。そんなとき私は何を思うか。腹が立った。自分が勝手にその人に頼ることも相談することもなしに、勝手に仕事をすべて背負い込んでいると思い込み、何もしていないと思ってしまっていたその先輩に腹を立てていた。第一感情としてのその怒りの原因は、俺だけ仕事やりすぎだろ!である。しかし今思うとそれは自分の思考を他人に強要していることの表れであったなと。今は肩の力を抜いて、ほどほどに二人で協力して、バイトを楽しもうという志向になりましたがね。
 この体験から自分に優しくできないと他人にも優しくできないのではないかということを考えた。よくないよね。勝手に気張って、同じテンションでいないからと、勝手に他人にきれるって。カスだわ。(←こういうとこ自分に優しくないよね)そこで私は自分に優しくできないかと、もっと気楽に生きていいんじゃないかと考え、自分に優しくできる方法を考えた。
 電車の中で頭をこねくり回し、ついに自分に優しくできる方法ではないかというものが見つかった。それは自分が無条件にやさしくできる人に自分を置き換えるということである。どう?
 ここでいう自分が無条件にやさしくできる人というのは、人それぞれであるが、私の場合、尊敬していた(お別れがあったので過去形に。もちろん今でも尊敬しています)同級生や先輩。さらには欅坂46並びに櫻坂46のメンバーとOGさんたちである。人によっては恋人であったり、二次元の存在、家族や友達などなどに当たるかもしれない。
 無条件にやさしくできるというか、単にその人の人生の幸せを願っていると考えていいかもしれない。そこには自分がその人の人生にかかわらないとしてもという前提もあります。つまり自分が彼らもしくは彼女たちに今後一切かかわらなくても、そのひとたちの人生の幸せを本気で思える人たち。そんな人たちに自分を置き換えて思考してしてみる。そうすることで自分にも一時的でその場しのぎでもあるかもしれないが優しくできるのだ。
 例は各自で思い浮かべてみてください。その効果が体験できるかもしれません。少なくとも私は自分に優しくいきたいときやそれ以外でもふとした時にこの思考法を実践しています。これを繰り返すことで、将来自分を代入しなくても自分に優しくできるようになっていくんじゃない?とも思います。
 人には優しくいようと思うのに、自分に優しくするのには罪悪感が芽生えてしまう。そんなも人もいるかもしれない。私もそのタイプです。ただ怠惰の言い訳じゃないか。とか、恵まれているのに甘えすぎだ。とか様々な理由で自分に優しくすることに罪悪感が生まれてきてしまいます。人に優しくすることと自分に優しくすることの最も大きな違いは、醜悪さを知っている点ではないかと考えています。自分に関しては今までの人生を主観的にすべて体験してきた。その中で自分の醜悪さを感じない人のほうが少ないのではないだろうか。自分に優しくしようとするとき、常に最悪を想像してしまうことと同様に、醜悪な自分をやさしさという言葉を使って甘やかしてしまっている。そう考えてしまう。
 しかしここで私が主張したいやさしさは自分を認めてあげられる優しさである。醜悪な自分については反省して、大いに後悔して、罵詈雑言を浴びさせろ。しかしそこだけにとらわれてはいけない。自分の最悪にだけ目を向けるのではない。自分のここまでで生きてきた人生において頑張ったことや苦しかったけど乗り越えたこと、何とかやりすごして来たこと。そんなことを認めて少しは自分に優しくしてもいいんじゃない?そんな優しさもあるんだよということを主張したい。
 とはいえ、醜悪な自分なんかが…のような思考の前提というものは非常に見えにくくはがれにくい。まるで呪いだ。この呪いが解けるとき、自分に優しくできる時だと思う。そう信じている。だからその一歩目として、自分が無条件にやさしくなれる人に自分を置き換えて、少しづつ自分に優しくしていくことになれよう。その練習をしよう!こんなマインドです。
 最後に私には無条件に幸福を願える人の存在がいるのだということに感謝したくなる。自分の人生にそんな存在ができたことはすごくめぐまれていることではないだろうか。なかなかできないよ、そんな人達。これからも心の中でその人たちを大事にしていこうと思います。
 帰路につく電車に揺られながらそう考えた。

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