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2020振り返りnote
本当は2020年終わる前に書いて整理したかったけど、時間がとれなかったので元旦に書く。みなさまあけましておめでとうございます。
2020年は人生で一番なんにもした感じがしない年だった気がする。だけど、いま大学最後の年を迎え、書かないと本当になにもしてない年になりそうな気がするので書いておく。
①就活
結論から言うと結局広告、PR業界に行かなかった。浪人してから「企業選びでは失敗しないように」と思ってとにかく大学1年生から行動範囲を限定せずに情報をたくさん得てきて、大学2年生くらいで「世の中の当たり前を変えていく」というPRの概念が好きになり、嶋浩一郎さんのセミナーに何回か足を運んで感化され、休学して海外でビジネスをやるのも一流のPRパーソンになるため!と意気込んでいたにもかかわらず、結局就職先でいかないことに自分でも拍子抜けした(他人事感すごい笑)
結局webのディレクターになることになったのだけれど、なんであれだけうるさくPR!PR!って言ってたのにそうなったのか書いておこうと思う。
まず前提として「他業界に関われる」という楽しさがあった。飽き性だったし、いろんな業界構造や、そこに関わる人のことを考えながらする仕事っていいな!と思っていた。
1.ユーザー目線に立てる
webがいいなと思ったところとして、圧倒的なユーザー目線をもって仕事ができるところだった。もともと人と人の想いを自分の力で繋げることにハピネスを感じる人間だったので、webディレクターはクライアントの悩みを聞いて、どうやったらそれが見る人に届けられるかみたいなコミュニケーション設計できそうだったのがよかった。
2.チーム戦
自分が大1の時にやってたイベントでは、それぞれ一人ひとりに役割があって、その役割は完全に任せてもらえるみたいな体制があった。バトル漫画でいう、「背中は任せた」みたいな感じ(笑) その信頼関係と、お互いにいい仕事をして、最終的に一つのいいモノを作り上げようっていう感じが似てる気がした。
webをつくるには、エンジニア、デザイナー、ディレクターがいて、お互いがちゃんと自分の仕事をしないと作れない。しかも内定先の会社の理念は「good is good.」でそれに共感して入ってくる人が多いらしいのでたぶん根本的価値観は似ているだろうという予想。笑
3.パソコン一つでどこでも働けそう
私はいまから3年以内に絶対に海外で働いていたいという強い気持ちがあった。この気持ちが私の就職活動を複雑にした要因だった。大手、総合職で入ってしまうとどこに飛ばされるか分からないし怖かった。webは見る人を限定しないし、他の対面じゃないと仕事ができない仕事に比べたらまだパソコン1つでできそうだった。
大学入学直後、塾の就活無双した先輩にどうやったら就活うまくいきますか?と質問した時に「今はそんなこと考えなくていいから自分の好きなものを見つけてなんでそれが好きなのかを考えてみな。あと本物のこと、本物の人に会うといい」と言われた言葉。
また、広告業界志望してた時にその業界の何人かが同じように言ってた「自分の興味の方向性はどこにあるのか、それを言語化できるといい」と言われた言葉。
この2つはよく覚えている。
「自分がどういう世の中にしたいか?」かみ砕いて「いまの世の中でちょっといやなところがあるとしたらどこ?」
いざ就活の面接などが始まって投げかけられる質問はどれも難しかった。自分でも納得のできる答えは出てないけど、いま思ってるのは「もっと多様性を認められる社会」にしたいなあと思ってる。理由はそういう社会の方が私が生きやすくなるから。
大学1年から将来のことについて考えてたわりには、就活は全然うまくいかなくてウケる!って感じだったけど、その4年分の思考量をがんばって就活の内定先に落とし込めたからわりと自分におつかれ!って言いたい。
お疲れ!自分!わりとがんばったよ!こっから3年以内に海外で働くためにがんばっていこうな!
②卒業制作
さて、卒業制作。映像身体学科という美大でも、専門学校でもない学科で学んできたことを作品制作という形に落とし込まなければいけなかった。
所属ゼミの教授はあいちトリエンナーレでキュレーターを行う相馬教授であり、そこで求められたのが「問い」の発見とドラマトゥルギーの構築。
ドラマトゥルギーとは、主に演劇で使われる言葉で、「誰が」「どんな役割で」「なぜそれをするのか」を組み立てていく作業だと学んだ。(いまだに難しいけど私の解釈ではそんな感じ…)
基本的にうちの学科は演劇系、ダンス系、映像系に強い興味関心を持ってる人が入ってくるんだけど、どれもしっくりこない人は哲学に行ったりする。で、私は演技もできない、踊れない、映画つくらない、考えるのはすきかもって感じで哲学系に流れ着いた。笑
相馬ゼミに戻ると、日常にある違和感を問いに落とし込んで作品化するということが課題だった。今年はコロナの影響もあって、1個下のほぼ初対面のゼミ生とはzoomで授業を受けることになったし、本当に外に出歩く機会が少なかった。当たり前の日常が崩れ去った中で日常の違和感を発見することはかなり難しかった。
結局テーマを生まれ育った「横浜」というテーマにし、いま横浜に対して多くの人が抱いてるイメージと忘れ去られそうになっている戦後すぐの横浜をクロスさせる作品をインスタレーションとしてつくった。
作品を全て作り終えて思ったのは
・個人を掘り下げていくことで、大勢が共感できるものが生まれるということ(ただしそのレベルの深さまで掘り下げるこおは孤独で手さぐり状態でかなりつらい)
・「問い」はリサーチをすればするほど深くなり、共感を呼ぶものになる
問いが見つからない、もしくは見つかってもいまいちなのはリサーチが足りていないから
ということ。
物語をつくるには、問いが必要で、それによってどんな役割が必要か?その役割をやる人は誰か?なぜそれをその人がやるべきなのか?という道筋をたてていくことができる。
その上でそれを伝える手段がなにか、という話になってくる。動画なのか、写真なのか、文章なのか、インスタレーションなのか。
私は小さい頃からファンタジー小説がすきだったり、漫画がすきだったり物語があるものにとても強く惹かれていた。いま物語性があるかどうかは、企業の価値にも結び付いてくる時代になっている。なぜその商品はその企業が作る意味があるのか?それは社会にどんな役割を果たしているのか?生活者はそのことが知りたい。私は企業(ブランド)と生活者がより身近になるような仕事をしていきたいし、このゼミでやったことを活かせたらいいなあとぼんやり思ってる。
③続けたこと
1.英会話
オーストラリアから2月末に帰ってきて、案の定英語を話す機会は減った。
9月22日からレアジョブで毎日25分英語を話す機会をつくり、ときどきさぼりつつもほぼほぼ毎日続けた。
オーストラリアを出国するときに決めた目標は、ケンブリッジのテストでC1レベルに行くこと。ここまで行けば、世界中の大学、企業で英語を使える照明になると語学学校の先生に言われた。
レアジョブのスピーキングテストでいま私はB1くらい。英語中の中くらいだ。わりと話せるし、リスニングもできるけど、初歩的な文法の三単現のsとか時制とか自分があやふやな文法になるととたんに話せなくなる。
なので2月末にうける予定のTOEICまでに文法基礎と、英語の基礎例文を口ずさんで考えずにスッと口から出るまでのレベルにしたい。
ちなみに私の英語の目標は007のcasino royaleで出てきたvesper!
シェアハウスで見ていた時は字幕ですら追いつくの難しかったし、めっちゃ気品のある英語だったからうわ~~~こんな風に話せるようになりたひ~~!!!って思ってあとで調べたらvesper役のEva Greenお姉さまフランス人だったという。。。
自分がイギリスの秘密情報部でジェームズボンドと仕事してるのを妄想しながら英語勉強しよっと。
2.ほぼ日5年手帳
11月23日から12月31日までは毎日書けた。夜寝る前に書く習慣ができると、スッととってパッと開いてサッと書くことができる。
3日坊主な私にしてはあっぱれ!とりあえず2月末まで続けたら3か月継続したことになるから目標は2月末まで毎日書くこと!
みなさま2020年はお疲れさまでした。
うまくいったことも、うまくいかなかったこともあった年だけど、生きてるだけでがんばっているので褒めたたえながら食べて寝て運動して2021も良き年にしましょう。
紅白の星野源のうちで踊ろう(大晦日ver.)がよかったのでのせておくね
「飯を作ろう ひとり作ろう 風呂を磨いて ただ浸かろう」
「愛が足りないこんな馬鹿な世界になっても まだ動く まだ生きている」
「生きて踊ろう 僕らずっと独りだと 諦め進もう」
「生きて抱き合おう いつかそれぞれの愛を重ねられるように」
あと2年前、自分がいろいろ頑張ってたことが全然うまくいかなくて個人的に辛い年でさぶちゃんがまつりを歌ってパッと明るくしてくれて号泣した覚えがあるんだけど今回はリモート参加だった。
「我々がうたっていた時は、日本のために、この国のために歌っていた。でもいまの若い人たちは世界に向けて歌っている」
時間が押してたのかMCにカットされそうになりながらも言ってたこの言葉友達と中継しながら見ていた紅白でみんなでさぶちゃん~~ってなった。
時代のスピードも速くなってるし、どんどん世界と日本の垣根がなくなっている。けっこう真剣に、これからの日本を作っていけるようになりたいなあと思う。でもやっぱりまだ明確にやりたいことなんてイメージできてないから目の前のことをがんばっていく。
2021年も自分のペースで健康第一で楽しんでいきたい!
今年もよろしくお願いいします。