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二つの勝利

第一章「蕾」

10歳の春。少し暖かくなってきたが桜が咲くにはまだ早かった。
手をつないで下校するのが日課だった僕たちは決まってこの道を通っていた。黒くて長い髪が綺麗なキミは吸い込まれそうな大きな目を見開いて言った。
「大きくなったら結婚しよう。先に好きじゃなくなった方が負けだからね」

12歳の冬。両親に僕たちの関係を問い詰められた。僕は居ても立っても居られず、24時過ぎにも関わらずキミを無理やり連れ出した。
キミはとても驚いていて、お母さんが許してくれない、とか、帰ろう?とか言っていた。でも手を離したらキミを好きでいられる自信がなかった。すると最後にはキミが優しく笑って言った。
「親たちが何を言っても私はあなたが好き。誰にも私たちを引き離せないよ」

15歳の夏。君は遠い街へ引っ越してしまった。親たちは僕たちが一緒にいることを許さなかったようだった。
離れ離れになる前夜、公園の池の前で僕たちは別れの挨拶をした。汗ばんだキミはとても色っぽく、見慣れたはずの唇は艶っぽく僕たちが男と女であることを気付かせた。
そして僕たちは初めてのキスをした。本当なら嬉しくて仕方ないはずなのに、僕はキミがいなくなる不安に押しつぶされそうになっていた。
夜が明けるころ、キミは手を握ったまま言った。
「二人なら例えどこにいても、何をしてても、絶対に再会できる」

その言葉だけは絶対に真実になる、そう思った。


第二章「花」

22歳の秋。僕たちは再会した。以心伝心か、この日ここにいる、という場所にキミも来ていた。大人になった君は相変わらず美しく、黒くて長い髪と大きな目はあの頃とちっとも変わっていなかった。
互いになんとか社会人になったことを労いつつも、その会話が上辺だけのものであることは二人とも分かっていた。

22歳の秋の夜。この街に二人を引き裂く大人は誰もいない。君の手を引いて月明かりが差し込む僕の部屋へ連れて帰った。シングルベッドでどちらからともなく身体を重ね始めた時、君が耳元で囁いた。
「このまま溶けて一つの生き物に生まれ変わりたい」
肌の感触も、少し笑った表情も、落ち着く匂いも、比較対象がいたわけでもないのに、誰よりも相性がよかった。

27歳の春。満開の桜が咲いていた。控室に入ると真っ白なウェディングドレスを着た君がいた。鏡越しに僕を見る表情はどこか誇らしげだった。
改めて大きな鏡の前で二人並んで立ってみる。不思議な感覚に自然と笑みがこぼれた。17年前、桜の木の下で愛を誓った頃と何も変わらない君はやっぱり大きな目を輝かせて言った。
「あの日からずっとずっと好きなまま。この勝負、負ける気がしないよ」

第三章「落」

65歳の初夏。病室で君は涙を流していた。僕は運命を呪い血が出るほどに拳を握りしめていた。
「余命は3ヶ月です。身辺整理をして家族と別れの準備を」
と淡々と説明されたが何一つ現実味を持たず、急に視界から色がなくなったようだった。
ずっと二人で生きてきた。君を失うなんて考えられなかった。

66歳の春。君はまだ病室にいた。でも身体はほとんど動かせず、声もほとんど出せなくなっていた。別れの時が確実に近づいていた。僕はもう、それこそ付きっきりで君の手を握り続けた。離れたくないと何百回も呪文のように唱え続けた。
君は最後の力を振り絞るように僕の手を握り返すとかすれた声でこう言った。
「あの日言ったよね、誰にも私たちを引き離せないよ」

66歳の夏。余命とされた3ヶ月を大きく超え、1年近く生きた君もとうとう天に召されてしまった。小さな葬儀場で棺桶に入った君の顔は安らかで、僕もいつかこんな顔になるのだろうと思った。
見上げると笑顔の君の写真が遺影となり、たくさんの花によって飾られていた。それを見て僕は君に話しかけた。
「この年じゃ男も女もわかんねえな。まるで僕が死んだみたいじゃないか。いっそ先に死にたかったよ。」

いつかキミが言った言葉が頭をよぎった。
「二人なら例えどこにいても、何をしてても、絶対に再会できる」

その言葉だけは絶対に真実になる、そう思った。


第四章「朽」

88歳の冬。積もった雪があらゆる音を吸い込み、静寂な世界が広がっていた。僕は助かる見込みがないと診断され、病室のベッドでゆっくりと死が訪れるのを待っていた。
気づけばキミを見送ってから22年も経ってしまった。でも一日として寂しいと思った日はなかった。なぜなら鏡を覗き込めばいつでも君に会えたから。
鏡の中の僕は君で、君は僕だった。あの日君が言った言葉を思い出す。
「このまま溶けて一つの生き物に生まれ変わりたい」

89歳の春。とうとう君に会えた。
目がくらむような光に包まれたと思ったら僕は満開の桜並木にいた。そして隣を見ると君が相変わらず大きな目でこちらを見ていた。
「待ってたよ。私は今でもあなたが好き。これからもずっと。だから勝負は私の勝ちでいいよね?」
そこだけは譲るわけにはいかなかった。
「僕もキミのことが今でも好きで、これからもずっと好きだ。だから僕も勝ちだ」

キミはクスリと笑い、僕もクスリと笑った。まるで鏡写しだ。
「次に生まれ変わる時は一人で生まれたいね」
手をつないだ僕たちは桜吹雪の中へ歩き出した。

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