マウントを取られたことに気が付かなかった話


いまこの本を読んでいて思い出したことがあった。

マウントの回。
182ページから185ページの部分です。



私はちょっと前に某メガネ屋で働いていたことがある。
私自身は視力がそこそこ悪いくせに、メガネをかけることへの強い抵抗感があって頑なに拒否してきた。
お洒落のためにメガネをかけることもなければ、物をくっきり見えるようにという本来の使い方もしないまま、日差しの強い夏の日にサングラスをかける程度の人生を過ごしてきた。
そんなメガネへの思い入れ最弱の私が、なぜかメガネ屋で働くことになり不思議な数年間を過ごしたことがある。


ある日、イカついサングラスを持ったお客さんがやってきた。
その方はやはり似たようなイカついサングラスを選んで、それでメガネを作るように仰った。
その話の流れで、お客さん自前のサングラスの話になった。

レイバンだとか、何だとか、メガネの有名ブランドの名前を連ねて、俺はそれを何本も持ってて、これがお気に入りで、などとお話され、
私はと言うと、メガネの有名ブランドはレイバンしか知らなかったので、「はあ、そうなんですか。凄いですね。」と話を合わせるしかなかった。

そのお客さんが帰られた後、一緒に働いていた店員から言われた一言に心底驚いた。


「あれ、マウント取られたんだよ」


私の人生でマウントを取られる、マウントを取るという経験が薄すぎて、マウントを取られたことに気付きもしなかった。
なんと、メガネが好きで、ある程度ブランドの名前や情報を知っている人からすると、有名ブランドのメガネを知っているor持っていることはマウントを取れることになるらしい。驚愕。

当時の私は、そのお客さんが言っていたブランドの名前はレイバンしか分からなかったし、
話を聞いている最中は
(この方はメガネ、もしくはブランドモノのメガネがすごく好きなんだなぁ)
くらいしか思わなかった。
それが自慢だとは露ほども思わなかった。
だって、好きな物についてって語りたくなるじゃん?


マウントを取る、取られる行為がネット上やママ友との会話などでよく行なわれているらしい、という浅はかなイメージがある。
マウントを取る側は、相手よりも自分が優位であると示したい、そうしないと自分を保てないほど精神が不安定な状態にあるのだろうし、
マウントを取られて落ち込む人は、きっとマウントを取られなくても常日頃から周りの目を気にして、ある分野での劣等感が大きいんだろう。

マウントは、特定の分野において自分が他社よりも秀でていることをあえて公の場で見せつける行為だから、
受け手がその分野に関して何にも思うところがなければ、成立しない行為になるのだ。
今回の私のメガネマウントのように。
(メガネマウント…)


そんなことを言う私だが、単にマウントだと認識していないだけかもしれない。
急にそんな思いが浮上してきた。
だって、身近な人の年収が高ければ気にするし、相手がそれを自慢してきたらムキィとなるからだ。
とはいえ、やっぱり実生活の中で「ほ〜らほら、私(俺)はこんなに凄いんだぞ」と面と向かって言われたことは、記憶にない。

単に私に考える力が無いのか、マウントに気付く能力が鈍いのか知らないが、そもそもそんなあからさまに自慢して他人をこき下ろそうとする人との出会いが無い。


そんな私のマウントを取られたことに気づかなかった過去話でした。


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