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天才ゆえの苦悩と葛藤に心打たれる『ダイヤモンドの功罪』の魅力を伝えたい!
普段の生活の中で、辛いことや嫌なことで落ち込んだり、気分が乗らないときに少しでも気持ちを前向きにする“きっかけ”がほしいときはありませんか?
僕はマンガを読んでいると、「こんなふうに考えることができなかった!」ということや「こんな捉え方があるんだ!」と、自分を見つめ直す“きっかけ”になる言葉に出会うことがあります。
今回はマンガが好きすぎて、貯蔵量が70,000冊を越えながらも毎月新マンガを買い漁っている僕が、続巻が出るたびにいまも読み返している『ダイヤモンドの功罪』より、僕自身の価値観や経験を通して心に刺さった言葉を厳選して紹介したいと思います!
本作は2025年2月現在、単行本は7巻発行&連載中、次にくるマンガ大賞2023:コミックス部門第7位、このマンガがすごい!2024:オトコ編第1位、マンガ大賞2024:第5位を受賞した作品です。
ダイヤモンドの功罪 概要・感想
『ダイヤモンドの功罪』は小学5年生にして169cmという恵まれた体格を持ち、どのスポーツをやっても圧倒的な才能を発揮する天才・綾瀬川次郎が、どんなスポーツに挑戦しても周囲の子どもたちが挫折し、才能があるがゆえに大人たちの期待を一身に背負わされ、自身の才能が引き起こす負の連鎖やポーツの本来の楽しさを味わえない苦しさが描かれた作品です。
次郎はどんなスポーツをしても初心者ながらに無双してしまい、彼が登場することで努力を重ねてきた仲間たちは「絶対に勝てない存在」に直面して挫折していきます。
小学生の世界において「努力すれば報われる」という希望は大切なものだと感じますが、水泳やテニス、体操などで自分が数年培ってきた得意分野が体格とセンスですぐに抜かされてしまうことでモチベーションが保てなくなりますし、次郎自身もスポーツを通じて仲間と楽しみたい気持ちや打ち込みたい熱意が奪われてしまい、「誰よりも優れた資質を持つことが、必ずしも恵まれているわけではない」ということを感じさせられます。
そんな中で次郎は「野球」と出会い、所属したチームは地元でも弱小の「足立バンビーズ」というチームだったこともあり、ここでは初めて「楽しく野球をする」ことができ、メンバーたちは次郎の才能を評価しつつも純粋にスポーツを楽しむ環境がありました。
しかし次郎の野球・そして才能に対する価値観・運命は、監督の独断によるU12日本代表選考会へのエントリーによって狂っていくことになります。
次郎はU12日本代表選考会でもその才能を見せつけ、結果としてエースナンバーを与えられますが、そこにはチーム内の対立が待っており、次郎の意識の低さや周囲との温度差が問題となり、「勝ちたい」と願う仲間たちとの摩擦が生まれていきます。
特に次郎の本質である「純粋に楽しむために野球をしていて勝ち負けの価値観に重きを置いていないこと」が、試合中に「負けている相手がかわいそうだから打たせよう」という発言につながったことで、競技スポーツの勝ち負け・結果の世界を求めてきた仲間たちとの溝はさらに深まり、チームメンバー同士でもいざこざが起こります。
その後の台湾遠征でも次郎の活躍によってチームは勝利し、次郎は仲間に歩み寄る努力をはじめた少しずつ関係は改善していくも、U12世界大会の決勝戦では延長戦の末、デッドボールによる決着という皮肉な結末を迎えたことで、次郎の才能がもたらす問題は依然として続いていきます。
U12日本代表は世界大会で初優勝を果たしますが、次郎の力による勝利はチームメイトに複雑な感情を抱かせ、嬉しさと虚しさの狭間で揺れる仲間たちに対して次郎は、「足立バンビーズ」を辞めて「野球塾」に入るという新たな道を選びます。
U12の監督は彼の将来を考えて野球塾への入団を支持しますが、自身の息子と共存させることには躊躇してしまうほどであり、次郎の圧倒的な能力は大人たちにとっても「扱いきれないもの」になりつつありました。
そうして一度野球から距離を置いた次郎でしたが、「足立バンビーズ」の頃からの親友だったイガが「足立フェニックス」に入団したことで再びグラウンドに戻ことになり、次郎は成長痛を理由に雑用を続けながら自らを戦力外に追いやろうとします。
しかし、イガをはじめとする仲間たちとの関わりの中で「自分が野球をすることは本当に誰かを不幸にするのか?」と疑問を抱き始めますが、かつてU12の日本代表メンバーで一緒に世界を戦った奈津緒との再会を経て、次郎は少しずつ「野球を楽しむこと」と「自分の才能を活かすこと」のバランスを模索しはじめ、完全試合という圧倒的な結果を残した後も仲間との間に不和は生じず、自分が考えすぎていたことに気づいたところまでが現時点のストーリーとなっています。
この作品のタイトルにある「功罪」という言葉が示すように、才能は「功績」と「罪」の両方を生み出してしまうのかもしれません。
一般的には、才能があることは喜ばしいことのはずですが、次郎の才能は彼が望んでいないのに周囲を傷つけてしまいますし、ても、周囲の同世代の子どもたちは絶望し、時には直接的・間接的に彼を傷つける…。
また善意の裏に潜む「特別扱い」の問題がテーマになっていて、次郎の圧倒的な才能に対して周囲の大人たちは彼を“特別扱い”せざるを得なくなったり、本人が望んでいなくても「彼の才能を活かさなければならない」という強迫観念のようなものが大人たちを動かし、結果として彼をよりプロの道へと追いやってしまいます。
この特別扱いは、他の子どもたちにとっては「自分たちは選ばれなかった」という敗北感を植え付けることになり、次郎自身にも「周囲と同じように楽しみたいだけなのに、そうさせてもらえない」という孤独を与えてしまう…。
そしてこの状況の厄介なところは、大人たちが決して悪意を持って動いているわけではなく、むしろ彼らは「才能を埋もれさせるのはもったいない」、「彼のために最良の環境を整えたい」という善意の考えが次郎たちをより不幸にしてしまうのです。
スポーツにおける才能の残酷さとそれに伴う人間関係の軋轢のリアル、そして「才能とは何か?」、「努力とは何か?」、「スポーツの本質とは何か?」というシンプルでありながら答えの出ない問いを投げかけてくる「才能の持つ光と影」が描かれた作品ですので、ぜひ興味のある方は読んでみて損はないと思います!
ダイヤモンドの功罪 名言5選&共感ポイント
この記事は『ダイヤモンドの功罪』©平井大橋/集英社 の内容を引用しています。
この人たちって、オレのためになることだったら、オレがどうしたいとか、オレがなにいうかとか、全然、どうでもいい…。関係ないんだ…。
大人やチームメイトが本気で自分に向き合ってくれない苦しみが痛いほど伝わってきますね。
天才と呼ばれる人が直面する孤独の本質なのかもしれませんが、周囲を圧倒して大人をも翻弄してしまう才能が「○○さんのため」という周囲の都合に左右される言葉に置き換えられ、自分自身の意思や気持ちを無視が無視されて、いつの間にか「都合のいい駒」として扱われてしまう状況を生んでいく…。
周囲の人たちも本人の成功を願っているも、それが本人にとって望ましいもではなく孤独を感じさせるこの言葉は、自分の意思が通じない虚しさも表れていて、こんな気持ちにさせないように気をつけないといけないなと思わせてくれる言葉でした。
今のわしらに、チーム勝たせるより大切なことあるんけ。今は取られた背番号気ぃしとるヒマない。背番号何番でも、こんチーム勝たせること以外考えたらアカン。
チームスポーツにおける「個人」と「組織」の関係性を考えさせられる言葉ですよね。
僕は個人競技のスポーツをしてきたので、チームワークやチームとしての勝利みたいなものをあまり考えてきませんでしたが、チームスポーツの世界では個人のプライドや立場よりも、チームとしての勝利が最優先されることが多いと思います。
自分の実績や目に見える形として誇れる背番号やポジションを気にせず、目の前の勝利のために全力を尽くすべきだと仲間を鼓舞するこの言葉は、個人の感情を超えてチーム全体の成功を優先する姿勢の大切さを教えてくれているように感じます。
期待することをやめないでほしい。自分に対しても、他人に対しても。
シンプルですが、とても非常に深い意味を持っているように感じる言葉ですよね。
特に「自分に対しても」という部分が印象的で、他者に対して期待することに挫折することもあれば、自分にとっても失敗して挫折することもあると思うんです。
そんなときって自分自身に対しては甘くなりがちで「やっぱり自分には無理だ」と諦めてしまいやすいですが、そこで自分を信じることをやめず、どんな状況でも前を向いて努力し続けることの大切さを思い出させてくれる言葉だと思います。
あのさ、チームの為の役割って理由で自分の事納得させなくていいよ。わかる?別に1番付ける事だけが野球じゃないと思う。ないと思うけど、巴に少しでも1番が欲しいって気持ちがあるなら、ずっと自分が1番つけてたい、1番譲りたくないって思ってていいと思う。
この言葉には、チームプレーと個人の感情のバランスが反映されている言葉ですよね。
スポーツにおいては、「チームのため」という考えが重要なときもありますが、それが必ずしも「個人の感情を押し殺すこと」とイコールである必要はないと思うんですよね。
チームのために動くことを否定しているわけではなく、「自分の気持ちも大切にしていい」と伝えているこの言葉には、「本当の意味でのチームワークとは何か?」という問いも含まれていて、深く考えさせてくれる言葉のように思います。
どんなおうちに生まれたとか、練習でどんなけマメ作ったとか、そんなん関係ない。試合で出した結果でぜんぶ決まんねやろ。せやから野球は公平でええねや!
スポーツの世界の厳しさと魅力をめちゃくちゃ端的に表している言葉だと思います。
どれだけ努力したか、どんな環境で育ったかは最終的には試合の結果には関係がなく、「結果がすべて」という考え方はスポーツの持つ平等性を強調しているように感じます。
またこの考え方は厳しさも伴うと思いますし、努力しても報われないことがあるという現実を突きつける言葉でもあるので、圧倒的な才能の前では努力が無力に思えてしまうこともあるかと思いますが、それでも「チャンスは誰にでもある」という意味も込められていると感じますね。
まとめ
いかがだったでしょうか。
『ダイヤモンドの功罪』の魅力&自分を見つめ直すきっかけになりそうな言葉は伝わったでしょうか?
学校や会社、いろんな組織、団体などに所属していて、「落ち込んでいるとき、疲れているとき、悩んでいるとき、そして、少しでもあなたが夢に向かって突き進むとき、壁が現れたとき、壁を乗り越えるとき」に、物事の見え方が変わるヒントを見つけてもらえたら嬉しいです。
それでは今回はここまでです。
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最後まで読んでいただきありがとうございました。