
推しへの想いと行動に共感できるマンガ『わたしって害悪ですか?~お花畑声優厨の場合~』の魅力を伝えたい!
普段の生活の中で、辛いことや嫌なことで落ち込んだり、気分が乗らないときに少しでも気持ちを前向きにする“きっかけ”がほしいときはありませんか?
僕はマンガを読んでいると、「こんなふうに考えることができなかった!」ということや「こんな捉え方があるんだ!」と、自分を見つめ直す“きっかけ”になる言葉に出会うことがあります。
今回はマンガが好きすぎて、貯蔵量が70,000冊を越えながらも毎月新マンガを買い漁っている僕が、昨年2024年に思わず表紙買いしてしまった『わたしって害悪ですか?~お花畑声優厨の場合~(以下、わたしって害悪ですか?)』より、僕自身の価値観や経験を通して心に刺さった言葉を厳選して紹介したいと思います!
本作は2025年2月現在、単行本は1巻発行&連載中の作品です。
わたしって害悪ですか? 概要・感想
『わたしって害悪ですか?』は主人公の津々見美花(26歳・会社員)が、イケメン声優を応援することを生き甲斐としている推し活の中で、純粋に推しを想い、守りたいと思うあまりにアンチに対して行動する正義感が自らの人生をも壊していく様子が描かれた物語です。
端的に訳すなら「声優オタクが推しに群がるアンチの駆除に正義感を燃やす物語」でしょうか。
美花は推している若手声優の土岐野カエデが大好きで、カエデが出演するアニメや配信番組を熱心に観てグッズやチケットを買い、SNSでファンのコメントを読みながら、さらにカエデのことが好きになっていきます。
そして、真面目できちんとしたルールに則って応援する美花は、カエデが注目され、有名になっていくに連れて増えるSNSのアンチコメントにモヤモヤし、カエデにとって害悪となるファンの存在が許せなくなっていきます。
「カエデくんは私が守る!」と、美花の真面目でカエデに一直線の想いは大好きな推しを守るための正義感となり、美花はSNS上でアンチを潰す行動をとるように…。
イベントに行っても撮影禁止のルールを無視するファンを運営にチクってファンと揉めて周囲をざわつかせたり、カエデの悪口を言うファンを注意したことから言い争いなって警備員から会場を退出させられたりと、害悪と戦ってたはずなのに、いつの間にか自分が周囲のファンたちから害悪と呼ばれる存在になっていきます。
ひたむきに応援する姿やカエデの活躍に歓喜する姿には、こんなふうに応援してくれるファンがいることのありがたみは最高だろうなと思わせてくれる反面、そのファンが裏でこんなふうに動いているのを知ったら怖いだろうなとも思いました。
何が怖いって、誹謗中傷する人に仕返しをするような行動にではなく、好きになった人(好きになったこと)に思い入れがあって、それは普通の感情であって、その感情に働く正義感は自分の思い込みが表面化して周りが見えなくなっていくことが怖いです。
また、それでも周りが見えなくなるその正義感って本当に悪なんだろうかとも考えさせられますし、「誰かの想いを受け入れることは、違う誰かの想いを拒絶してしまうこと」という言葉に出会った学生時代の記憶が僕の中で蘇りました。
この1巻の終わりは、実花がイベントでファン同士のケンカとなり退場させられる場面までですが、美花の害悪度というかこんなファンの方もいるかなって視点で捉えると、害悪というより厄介という印象です。
今後の展開でどんな害悪になっていくのだろうか?という怖いもの見たさのような感と、賛否両論がほぼ必ず起こるSNSコメントの在り方ってどうなんだろう?、ファンとしてのあり方ってなんだろう?という最終的には哲学のような深い思考になってしまう作品ですので、ぜひ興味のある方は読んでみて損はないと思います!
わたしって害悪ですか? 名言3選&共感ポイント
この記事は『わたしって害悪ですか?~お花畑声優厨の場合~』©岩城そよご(著)・科丈ひとな(セブンデイズウォー)(脚本)/KADOKAWA の内容を引用しています。
そうだね、大変かも。でもそのぶん何倍も毎日が楽しいよ。カエデくんさえいればいやなことも全部忘れられるし、苦手なことも克服できるかもって思えるんだよ。わたしにはカエデくんが必要なの。カエデくんはわたしのすべてなんだから。
嫌なことを忘れさせてくれたり、苦手なことも頑張れるかもって、気持ちを前向きにしたり安定させてくれる存在はとてもありがたいです。
僕は「人」ではなく「物やものごと」に対して推し活に似た気持ちになることがよくありますし、時間やお金を含めて、何かに取り憑かれたようにものすごい熱量を注いでしまいます。
この何かにとても夢中になっているときって、少しばかり視野は狭くなってしまっているかもしれませんが、それでも自分にとっては心から楽しめている感覚だからこそ、その状態に持っていける存在は改めて大切だと気づかせてくれる言葉でした。
ファンとしてわたしにできること。いや…、ただ通報するだけじゃダメかも。もっと…、理由がほしい…。こいつらを確実に黙らせる「理由」がーー…。
この相手を否定したり押し付けたりしてしまう言葉は本来、他者に向けて使うべきではないと思います。
ただ僕は仕事の中で、やりたい企画や夢中になっている案件での提案などではこの思想が頭によぎることがあります。
「もっと良くしたい!」、「まだやれることがあるだろ!」と、自分のエゴがあるかもしれませんが、こだわりが強いと絶対にこの意見を通したいと思ってしまうんですよね…。
この思想を行動に移した結果、周囲の人たちが離れていってしまった経験は僕の中で学生時代から社会人になった今でも多くあり、自分中心で突き進むと人間関係を悪化させたり、その場の雰囲気を悪くしてしまうと思います。
特にグイグイ引っ張っていくリーダー気質の人だと、責任感やチーム・自分の評価、なによりこのこだわりをわかってほしいと思うがためにと、考えてしまうのではないかと僕は思います。
ビジネスだけではないかもしれませんが、自分の意思・意見をしっかり持って伝えられることはとても大切だと思いますが、伝え方には気をつけないといけないなと振り返られせくれる言葉でした。
しっかりしてるし良い子だから、ヤバイかもって言ってんの。
真面目とか、正義感があるとか、責任感が強いとか、ルールをちゃんも守るとかって、ありきたりかもしれないですがモラルとして、信頼関係を築く上ではめちゃくちゃ大事なことだと思うんですよね。
いまある常識の世界で生活していくには必要不可欠に近いものですし、しっかりしてて良い子というのはその本人ではなく問題を起こさなそうという違った立場の人からの視点でもあります。
そうなると、共通認識であったはずの常識がズレたり、そもそもの常識が通じない状況になったときに臨機応変に柔軟な考えや行動ができなりますし、自分が正しいと思っていることが周囲が望んでいた良いことではなくなっていくのかもしれませんね。
僕の中でこの感覚は、毎年新入社員を受け入れて研修をしているときに強く感じます。
もちろん採用の選考段階のときに考慮していますが、配属になる職場の人とやっていけるかな?とか、研修期間中に意識づけして送り出してあげられるかな?とか、正解のないものに立ち向かっていくときの足枷を少しでも軽くしたり、外してあげられたらいいなと思っています。
逆に僕自身は「ムダなところに細かいこだわりがあるくせに、それ以外は勢いだけで適当すぎる」とよく言われるので、僕の常識が通じる環境はどこだろう?とか考えてしまいます。(どことか探すんじゃなくて、自分でつくれよって感じなんですけどね…。)
話がズレちゃいましたが、常識や特性の捉え方について考えてさせられる言葉でした。
まとめ
いかがだったでしょうか。
『わたしって害悪ですか?』の魅力&自分を見つめ直すきっかけになりそうな言葉は伝わったでしょうか?
学校や会社、いろんな組織、団体などに所属していて、「落ち込んでいるとき、疲れているとき、悩んでいるとき、そして、少しでもあなたが夢に向かって突き進むとき、壁が現れたとき、壁を乗り越えるとき」に、物事の見え方が変わるヒントを見つけてもらえたら嬉しいです。
それでは今回はここまでです。
スキやフォローをいただけると励みになりますし、記事への感想や紹介してほしい作品の要望などのコメントも大歓迎です!
最後まで読んでいただきありがとうございました。