病気になる意味〈1〉〜突然訪れた暗闇〜
2017年8月下旬のある夜、
胸が痛いのと息苦しさというか、痛みで圧迫されて息が上手く吸えない症状が出て、
次の日救急搬送されました。
とりあえず重症心不全ということで、入院となりました。
様々な検査をした結果、2017年9月に
拡張型心筋症
ということがわかりました。
拡張型心筋症とは、心臓の筋肉がなんらかの理由で死んでいって心臓が伸びきってしまう結果、
全身に血液が送れなくなる病気です。
最終的に心臓移植しか治療法が今のところありません。
今まで
心臓の病気の指摘をされたことがなく、入院したことさえなかった私は、自分のこととは思えませんでした。
検査結果の数値などを聞くと、さらに自分のこととは思えませんでした。
かなり進行していて、いつ死んでもおかしくない患者データだったので。
看護師でしたから、先生が言わんとすることは何となく感じ取れました。
悩んでる暇なんてなくて、治療を早急に進めなくてはいけないってことを。
生きたいのであれば、
心臓移植を受けなければいけない。
心臓移植を受けるには、日本では現段階でも5年〜7年程度待機しなければいけなくて、それまでの間補助人工心臓を入れて生きていかなければなりません。
補助人工心臓や心臓移植の治療には、生活に数々の制限がつきまといます。それが一生続くのです。
果たして自分に
誰かの心臓をもらう価値はあるのか?
果たして自分は
これからの治療に耐えられるのか?
耐えた先に見えるものは何なのか…それが必ずしも幸せな事なのだろうか?
思い立ったら勝手に行動しちゃう自由人の私が、乗馬とスノーボードが趣味の私が、
補助人工心臓をつける事で、
家族に24時間付き添ってもらわなければならない生活になってしまう。
自分で車を運転して行きたいところに行くことができなくなってしまう。
乗馬やスノーボードなどの激しい運動ができなくなってしまう。
とにかく出かけたり動いたりするのが好きな私のアイデンティティがまるでなくなってしまうのです。
自分のアイデンティティがなくなった状態で生きて行くことは
死んだも同然じゃないか。
毎晩泣きました。
看護師さんに想いを吐き出しても吐き出しきれない日々が続きました。
私が急に倒れたせいで、
当時、障がいを持っている人たちと進めていた事業が突然ストップしてしまった。みんなの働く幸せを私が奪ってしまった。
死んで償っても償いきれない。
自分を責め続けました。
病気のせいで自分の希望もみんなの希望も絶たれてしまった。
私なんていなければ。
何も行動しなければよかった。
そんなことばかり思っていました。
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