魂と身体
自分に優しく。自分を優先に。
私はこれまでの人生において、自分に厳しくしてきた。
元々、好奇心が強かったからなんでも自分でやりたかったため、早いうちから色んな事を習得していった。
母は、私はなんでも自分で出来る子だから、私が母に頼んでもしてくれない事が多くあった。
母は周りの人の役に立たないといけないと思っていた。
だから、義父母、親戚の頼みまで聞いて余裕はなかったのだ。
私は母の子供なので後回しにされた。
そのおかげで、ますますなんでも自分でするようになった。
ここから、自分を蔑ろにする人生が始まった。
人に頼れず、自分に余裕がなくても無理してこなした。
私はアレルギーや喘息があったが、それは身体に無理を強いていたからだった。
全ての人が同じスキル、スペックがある訳では無い。
なのにみんなできるのに、貴方はなぜ出来ないのが始まってしまう。
人それぞれなのだ能力は。
私の魂は過去の記憶を持っていた、と言うより覚えていた。
だから、色んな知識を持ち、その知識から学んだ事を繋ぎ合わせて世界観を作っていった。
私の魂は、とても身体に取って高いスキルを強いてしまうのだった。
身体は悲鳴をあげて、私に病気を現していた。
結婚しても、この習慣は続いた。
しかし、働きに出た時、とうとう身体が限界を訴えてきた。
魂の私は慌てた。
これは、結婚生活の終わりを迎えなければと。
そして、別居して一人で暮らし始めて、やっと身体の声に真摯に向き合い始めたのだった。
少しずつ身体の欲する事を増やしていった。
しかし、制限をかけてしまう自分がいた。
お金がこれだけしかないから、これは出来ない。
やったことない事は時間がかかるし、大変そうだからやれない。
そう言ったら何も出来なくなるのだった。
でも、自分が目的とすることに対して計画して行動すれば、出来ない事などないのだ。
魂の私は分かっている。
身体は過去の経験からできる事を無難にこなす方を選択しようとする。
これでは変わらない。
魂の私は変わり続けたい。
身体は休みたくなる。
だから、今までの労いを身体に心がけることにした。
毎日、寝る前に「ありがとう」「愛してる」と身体に伝えた。
すると、心地よく楽な方へとシフトしてきた。
この世を生きるのは、魂の精神性がいくら高くても、身体が動いてくれなくては、楽しめないのだった。
今までの経験は学びだったのだと、最近気がついた。
気がつくと同時に、母や父、周りの私を思ってくれてきた人にも感謝するようになった。
今の現実がシンクロニシティばかりが起き始めると、日々楽しい。
ようやく魂と身体の意見が一致したのだろう。
そんな自分の人生がリスタートする。
それは突然に。
いつなのか、ニヤニヤして丁寧に過ごす。