ボードゲームのゲームデザイン:第2の柱「進行」
この記事は、ボードゲームのゲームデザインにおける「進行」についてお話するものです。
第2の柱「進行」
おはようございます。I was game の上杉です。
このnoteでは、「ボードゲームのゲームデザイン」という名目で、現代的なボードゲームのゲームデザインについてお話します。
現代的なボードゲームに興味のある方、あるいは、ボードゲームを作ってみたい方向けの内容となっています。
ここでは、ゲームデザインの巡礼ということで、僕の考えるボードゲームのゲームデザインにおける12個の柱というものを、順に一つずつ巡っていく巡礼の旅、というのをやっています。
今回のテーマは、そのうちの第2の柱、「進行」についてです。
全体とは、始まりと中間と終わりを持つものである
本題に入る前に、ちょっとアリストテレスの話をさせてください。
アリストテレスと言えば、古代ギリシャの哲学の大巨人ですが、『詩学』という文学理論に関する著作も残しています。その中でアリストテレスは悲劇の構造について述べていて、「悲劇」という形式について、アリストテレスはこう定義しています。
「悲劇とは、一定の大きさを持つ、完結した全体としての行いの表現である」。それに続けて、こうも述べています。「全体とは、始まりと中間と終わりを持つものである」。
とにかく、劇というのは、「最初から最後までを一つのパッケージとして物語るものである」ということが、ここでは(一部として)述べられているわけです。
劇ってプレイと言いますよね。で、ゲームもプレイすると言うわけですけど、その辺りの関連も今回――これは単なる言葉遊びですけど、お話していこうかなと思っています。
「進行」の定義
これから本題に入るんですが、まず、ゲームプレイにおける進行とは何なのかを定義したいと思います。
ここでは、ゲームに始まりと終わりがあって、その「最初から最後まで進んでいくこと」を、進行と定義してお話ししていきます。
一般的なよくあるボードゲームで言えば、始まりとしてゲームのセットアップがあり、その終わりとして勝者の決定があって、その間に実際のゲームプレイが中間として存在していると。それを最初から最後まで通して進んでいくことを進行である、といった感じですね。
もしゲームに進行がなければ
ちょっと仮定の話をしたいと思います。
もし仮に、ゲームに進行がなければどうなるか。始まりがなければゲームが始まらないし、終わりがなければゲームが終わらない。そして、ゲームプレイが回廊を周り続けるように、ずーっとどこまでも永遠に続いていってしまいます。どこにも辿りつかずに、無限に続いてしまうことになりますね。
ボードゲームの美点の一つに、「限られた時間でパッケージングされた体験ができる」ということがあると思います。どのボードゲームでも、たいてい箱にプレイ時間が書いてあって、その時間で楽しい体験ができるだろうなという予測をもとに――それを約束として、プレイヤーがボードゲームに取り組むことが多いんじゃないかと思います。
しかし、もし進行が上手く機能していなければ、プレイヤーとゲームデザイナーとの間のその約束も失われることになってしまいますね。
収束性が悪い
「どんなゲームでも進行はするでしょう。始まりと終わりがあって、終わらないゲームなんて普通ないでしょう」と思われるかもしれないんですが、ボードゲームの界隈では、「収束性が悪い」という言葉が使われることがよくあります。
戦争を扱ったゲームで例えると、「他のプレイヤーをすべてマップ上から駆逐したら勝ち」というゲームで、勝利に近いプレイヤーを勝たせるわけにはいかないので、他のプレイヤーが足を引っ張ったりして、いつまでたっても勝利条件が満たされないといった状況が起こったりします。そういった、なかなか終わりに向かって収束していかないゲームが、「収束性が悪い」と語られたりするわけです。
そういう、うまく終わってくれないゲームというのがしばしばあるわけですが、何が問題の根本なのかと言うと、ゲームが終わらない可能性を内包していることがすでに問題なんですよね。
当然のことを言うようですが、「終わらない可能性があるゲーム」というのは、「終わらない可能性がある」んですよね。
一つのゲームって、発売されたら、いろんなグループによって、ときには何度もプレイされることになりますよね。もしわずか1パーセントの確率でも終わらないゲームがあるとしたら、100回プレイされたら、期待値的には、1度はゲームが終わらない事態に陥ってしまうわけです。
なので、ゲームが終わらない可能性というのは、デザインのうちに摘んでおかなければならないと考えています。
ゴールを遠ざけない
そのために、ゲームデザイン上で何ができるかということなんですが、まず前提として二つ、「ゴールを遠ざけない」ということと、「プレイヤーを後退させない」ということがありますね。
「ゴールを遠ざける」というのは、例えば、最初は「勝利点を10点取ったら勝ちですよ」というルールで始めて、それがゲーム中に、12点、14点、16点と、どんどん伸びていって、いつまでたってもゴールに辿りつけない、というような状況ですね。
ボードゲームでそういう例はほとんどないかなと思うんですけど、ソロプレイや協力プレイのゲームで、敵が無限に湧いてきて全滅させられないとか、そういった場合に起こる可能性があるかなと思います。
あとは、点差が50点開いたら終わり、というような終了条件の場合にも、お互いが競り合って実質的にゴールが伸びていく、ということがあると思います。
プレイヤーを後退させない
もう一つ、「プレイヤーを後退させない」というのは、10点で終わりのゲームだとしたら、例えば9点入ったときに、他のプレイヤーからの妨害で8点にされてしまって、お互い足を引っ張り合って終わらないとか、そういった状態ですね。
これは、そういうプラス方向の進行を後戻りさせてはいけないというだけではありません。例えば、HPが0になったら終わりのゲームだとしたら、HPを回復する手段があると無限に延命できてしまうので、受けたダメージが巻き戻るという場合も問題になる可能性があります。なので、ポジティブな進行の場合もネガティブな進行の場合も、どちらの場合でも問題になり得るということですね。
例えば『パンデミック』だと、「4種類のウィルスに対するワクチンを作成することでゲームに勝利する」という終了条件はずっと一定です。ただ、それに対する進行は、ワクチンを作るためにはその種類のカードを5枚集めなければいけなくて、1度獲得しても移動のために手放さざるを得なかったりするので、進行が後退してしまうことがありますよね。
しかし、それと同時に、「カードを引けなくなったらゲームに敗北する」という終了条件もあって、カードは山札から引かれていく一方で、山札に戻っていくことはないので、こちらは後戻りすることなく、最初から最後まで必ず進み続けるという進行の担保になっているわけですね。
ゲームの終了条件の2パターン
この「ゴールを遠ざけない」「プレイヤーを後退させない」という二つを前提として、その上で、ゲームデザイン上どんな手法があるのか。
ゲームの終了条件というのは大きく2パターンに分けらます。一つは、「ゴールの方から強制的に近づいてくるパターン」。もう一つは、「プレイヤーが自主的にゴールに向かっていくパターン」です。
「ゴールが強制的に近づいてくるパターン」は、例えば『アグリコラ』です。『アグリコラ』は必ず14ラウンドで終わるようになっていて、その進行をプレイヤーは決して止めることはできなくて、必ずそのゴールが毎ラウンド一つずつ近づいてきて、ゲームが終わるようになっています。これが一番安全なパターンかなと思います。
もう一方で、「プレイヤーが自主的にゴールに向かっていくパターン」もあります。例えば『カタン』であれば、プレイヤーが得点を得ることでゴールに近づいていって、10点たまったらゲームが終了する。『ドミニオン』でも、「通常の山札が三つ切れる」もしくは「属州の山札が一つ切れる」が終了条件になっていて、プレイヤーが自分でそれらのカードを買うことでゲームが終了するようになっています。
ゴールの設定における危険性
注意しなければならないのは、「ゴールが強制的に近づいてくるパターン」はゲームデザイナーが制御できるけれど、「プレイヤーが自主的にゴールに向かっていくパターン」はゲームデザイナーが制御できない、ということなんですよね。
ゲームデザイナーは、ルールは支配下に置けますが、プレイヤーは支配下に置けません。
結局、実際のゲームプレイでは、プレイヤーは自分にとってのインセンティブによって動くので、もしプレイヤーがゴールに向かう決定的なインセンティブを用意できなければ、プレイヤーはゴールには向かわずに他のことをしてしまうかもしれません。
さっき挙げた『カタン』と『ドミニオン』は、その点で対照的な例で、『カタン』の場合、ゴールに最初に入ることで必ず勝利できるという、ゲーム上で非常に決定的なインセンティブがあるんですよね。だから前に進まないと勝てないので、基本的にプレイヤーは前に進むようになっている。
一方で『ドミニオン』は、その終了条件を満たしてもゲームに勝てない可能性があります。特に、拡張セットから出てきた勝利点トークンという新しいメカニズムのおかげで、カードを買うことなく――ゲームをゴールに近づけることなく、自分の勝利点を増やすことが可能になってしまって、プレイヤーがゲームを終わらせることに対するインセンティブが弱くなってしまう場合があるんですよね。
一応『ドミニオン』は、各プレイヤーがどの勝利点カードを持っているかということがゲーム中に確認できないので、そうやって誰が実際に勝っているのかを秘匿することで、負けているプレイヤーでもゲームの終了のトリガーを引きやすくするという手法が取られてはいますけどね。
ここでの結論としては、「ゴールが強制的に近づいてくるパターン」が一番安全であり、次に、「プレイヤーが自主的にゴールに向かわなければならないんだけれど、そのための決定的なインセンティブがあるパターン」が安全で、「プレイヤーが自主的にゴールに向かわなければならないうえに、進むかどうかはプレイヤーの判断に委ねられているパターン」が一番危険、ということになります。
一応もう一つ、「プレイヤーに進む意思があっても、能力的に進めなくてゲームを終わらせられないパターン」もあるにはあります。特に、デクスタリティ系のゲーム――アクション系のゲームにありうるかなと思うんですが、その場合はさらに危険ですね。
ゲーム終了の適切なタイミング
ここまで、「ゲームがちゃんと終了するのか」という点について話してきたんですけど、じゃあ、ゲームが終了することが保証されたとして、それが本当に最高のタイミングで終わるのか――ゲームにとって一番適切なタイミングで終わるのか、というのも気にしなければならないと思います。
あまりにゲームが終わるのが遅いと、プレイヤーは飽きてしまう。あまりにゲームが終わるのが早いと、プレイヤーは物足りなくなってしまう。
その間にスイートスポットがあって、満足感がありつつ、飽きる前に終われる――そういうタイミングで終われるようにコントロールしたいですよね。
それがいつなのかというのはゲームによって変わってくるわけですが、基本的に、プレイヤーの感情の動きをゲームデザイナーが完全に設計して、その通りにプレイさせるのは、現実には難しいですよね。
なので、そのスイートスポットにピッタリはめるのが難しくて、気持ち「早めに終わらせる」か「遅めに終わらせる」かのどちらかしか考えられないということであれば、僕の個人的な考えとしては、早めに終わらせる方が、遅めに終わらせるよりは安全かなと思いますね。
もしゲームが終わるのが遅くて、プレイヤーが楽しめる分量よりも1ラウンド長かったとしたら、その間、プレイヤーはつまらない時間を過ごさなければならないですよね。逆に、最適なラウンド数よりも1ラウンド早く終わるんだったら、プレイヤーは楽しんだままゲームを終えられるし、むしろもっとプレイしたいという気持ちを持って、ポジティブな感覚で終われるんじゃないかなと思うんですね。
もちろん、一番いいタイミングで終わるのが最高なんですけど、どちらかしか選べないとしたら、早めに終わる方が楽しい気分で終われるし、もう1回プレイしたいと思ってくれる可能性もあるんじゃないかなと思います。
三幕構成
さて、ここまでゲームの終わりについてお話してきました。
ボードゲームの場合は、いきなり途中から始まったりすることも基本的にはないですし、ルールがしっかり書かれてさえいればちゃんと始まるものです。なので、終わりをしっかりさせることができれば、基本的には始まりと中間と終わりが自動的に揃って、冒頭で述べた、アリストテレスの言う「全体」の要件を満たすことになります。
このアリストテレスの定義をもとに、シド・フィールドという脚本家が、「三幕構成」という概念を作りました。この三幕構成について、ちょっと話をさせてください。
これは映画の脚本の構成の理論なんですけど、120分の映画を三つのパートに分けて、最初の30分を「設定」、次の60分を「対立」、最後の30分を「解決」と3幕に分割して、そのそれぞれをプロットポイント――物語上のターニングポイントでつなぐという構成を理論化しました。
これは今のハリウッドでもスタンダードとなっているという話もあって――作家や漫画家が映画館にストップウォッチを持っていって、映画を見ながら30分の時点で第1幕が終わったなと確認したりして、物語の構成を勉強するという話を聞いたりもしますね。
例えば、『スター・ウォーズ』の第1作目、エピソード4では、最初の30分を第1幕「設定」として、舞台全体の説明をして、主人公のルーク・スカイウォーカーが登場して、他の主要な登場人物も顔を見せます。30分たった時点で、最初のプロットポイントとして、主人公の両親が帝国軍に殺されてしまい、主人公が帝国に立ち向かうという決意を固めて、本当の意味での物語の主人公になります。
そこから始まる第2幕「対立」は60分あって、主人公の成長や様々なアクションシーンが描かれるんですけど、その中間地点ではミッドポイントとして、デス・スターに主人公たちが囚われてしまうという最大の山場が描かれます。
90分たった時点で、第2のプロットポイントとして、主人公はレイア姫を助けると同時に、師であったオビ=ワン・ケノービを失ってしまう。そのあと最後の30分では、第3幕の「解決」として、主人公のこれまでの行動と決意に対する答えが描かれて、エンディングを迎える、という構成になっています。
展開と起伏
このように、最初のアリストテレスの言葉で引用した、「始まりと中間と終わりがある」というだけではなくて、全体の構成に起伏を作ってペーシングをしているんですね。
こういった構成についての考え方は、ボードゲームでも考えなければならないんじゃないかと思うんですよ。
例えば、4ラウンドプレイするゲームがあるとしたら、なぜ4ラウンドなのかというのを説明できなければならない。1ラウンド目で各プレイヤーの方針が決まって、2ラウンド目で内政を整えて、3ラウンド目でお互いに競り合って、4ラウンド目では、これまでの行動の結果があらわれるとか。
もし4ラウンドあって、全く何の展開もなく、同じことを繰り返すだけだったら、本当にそれだけのラウンドが必要なのかということを考えないといけないですよね。
これはもちろん、そういうラウンド制のゲームに限った話ではありません。例えば『カタン』は、ラウンドに分かれてはいなくて、各プレイヤーがターンを順に行うというイテレーションを繰り返すゲームですけど、序盤・中盤・終盤はしっかりとペーシングされています。
序盤はまだ島も埋まりきっていなくて、各プレイヤーが自分の陣地を道を伸ばして確定させていく。中盤は、お互い自分の陣地から生まれる差が多少出てきて、交渉なども行いつつ、開拓地を都市に変えて成長していく。そして終盤は、最後の1点を誰が取るのかというところに焦点が当たって、ダイスロールとカードドローのランダム性に興奮が集まるという構成になっていますよね。
こういった構成には一つの正解があるとは思っていません。
例えば『カタン』一つをとってみても、『カタン』って、ゲームのセットアップの段階から、誰がどこに開拓地を置くかという重要な選択が始まっていて、言ってみればセットアップとゲームプレイが一部溶け合っているんですよね。
これは少し特殊な構造で、この一つをとっても、進行の構成というのが画一的ではないということの証左ではないかなと思いますね。
ただ、どんな構成にするにせよ、1時間以上プレイするようなある程度の大きさを持ったゲームであれば、全く同じ状態がずーっと続くというのは、現代のゲームデザインでは正直許されないんじゃないかなと感じますね。
ある程度の長さを持ったゲームを作るのであれば、同じことを延々と繰り返すゲームではなくて、その中で展開や起伏のあるものにしなければならないんじゃないかなと思います。
成長
そのために便利な道具が、「成長」という要素で、どんなゲームでも成長を組み込むと、本能的にも成長する時点で楽しいと感じられるし、進行の面でも簡単に段階や起伏を生み出すことができます。
なので、ある程度の大きさのゲームであれば、とりあえず成長要素を入れておけば間違いない、というところはありますね。
成長のあるゲームの代表例は、『カタン』や『アグリコラ』のような、建物を作っていくゲーム――ビルディングゲームですね。
ただもちろん、そういったビルディングゲーム以外のゲームにも起伏や展開はあります。例として挙げると、チェスのようなアブストラクトなゲームにも、序盤・中盤・終盤はあります。
もっと言えば、マルバツゲームでも展開はあります。序盤はどのマスも空いていて広い選択が取れる、その最初の行った選択によって盤面の状況が変わって、中盤はその状況に応じて手を打たなければならない。そして、終盤はすでにほぼ選択肢がなくなって、これまでの積み重ねの答えとしてゲームが収束するという。
連続性
要は、マルバツゲームであっても、ある選択が状況を作って、その状況が次の選択を迫るという、フィードバックのループの連続性があるんですね。
ここで「連続性」という言葉が出ましたが、この「連続性」というのも、展開や起伏と並んで、進行における重要なキーワードです。
プレイヤーの選択と次の選択に連続性があることによって、ゲーム全体が一つの地続きのものとして感じられて、それによって、ゲームプレイ全体が一つのつながった物語になるんですよね。
自分の選択によって新しい状況が生まれて、その新しい状況に対して新たな選択をして、また次の状況が生まれる。このループがあることによって、ゲームが1ラウンド、2ラウンド、あるいは1ターン、2ターンと進んでいくことの意味が生まれるし、ゲームの結果としての勝敗の納得感にもつながるんですよね。
再度『カタン』で例えると、「最初の開拓地を羊の出る土地に置く」という選択をしたとします。そうすると、その選択から、「羊がたくさん手札に来る」という状況がが生まれる。そうしたら、今度はその状況を見て、「羊の港を取る」という選択をしたりする。また一方では、「自分が羊を取った分、他のプレイヤーが羊を取れなくなって羊を欲しがる」という状況が生まれたりもする。それに対してまた、「自分が羊を交換してあげる」という選択をすることもできる。そして終盤になると、羊はだんだん不要になってきて、「開拓地を都市にするための鉄が欲しい」という状況になったりもしますよね。それで、「羊の港を建てる」という選択をもししていれば、その港を使って羊を鉄にすることもできるし、そうじゃなかったなら、「他のプレイヤーとどうにかして鉄を交換してもらう」という選択をしなければならなくなるかもしれない。
ここでいくつかの選択と状況を挙げたんですけど、このそれぞれは、ゲームの中で独立した存在ではなくて、ある一つが別の一つの原因になって、また結果にもなっているという、連続性があります。
ジャンケンを5回やるような、独立し分断されたゲームではなくて、ちゃんと前後が互いに影響する――連続性のあるゲームにしないと、ある程度の時間をプレイヤーに費やしてもらうことの正当化ができないと思います。
体験
ここまで、連続性によってゲームが一続きのものになって物語になる、という話をしてきたんですけど、物語と言えば劇ということで、ここで少し冒頭の劇の話に立ち戻らせてください。
劇もゲームも、プレイすると言いますよね。
劇の脚本も、ゲームのルールも、作者はそれを作るんですけど、実際に受け手が体験するのは、それじゃないんですよね。劇だったら上演されるとき、ゲームだったらプレイされるときに、形のない抽象的な体験として、プレイヤーはそれを味わうんですよね。
どんなに良いルールのゲームがあったとしても、それが実際に再生されたとき――プレイされたとき、その体験が素晴らしいものでなければ、結局は意味がない。
なので、ゲームデザイナーは静的なルールを作ればいいわけじゃなくて、それが最終的にどんな体験を生むかというところに焦点を当てて作らないといけないんですよね。
ただ、それは形のない、しかも自分は基本的にはそこには立ち会うことのできないものなので、非常に難しいところではあるんですけど。自分の中で最高の体験をデザインして、それを真空パックする形で、ルールという形のあるものに落とし込むということをしなければいけないんですね。
サブプロット
ということで、本日は、「ゲームは収束しなきゃいけないですよね」という話と、進行における重要な二つのキーワードである、「展開」と「連続性」というものについてお話しました。
最後にもう一つ、サブプロットという考え方について話をさせてください。
例えば『スター・ウォーズ』だと、メインのプロットは、お話した通り、主人公と帝国軍との戦いなんですが、それが本流としてあって、同時に、主人公のルーク・スカイウォーカーとレイア姫のちょっとしたロマンスが話の中で描かれたりするんですよね。
そうやって話の本筋と並行する、もう一つの進行を用意することもできます。
ボードゲームで言えば、『テラミスティカ』の教団トラックがいい例として挙げられます。
『テラミスティカ』は、「大きな地図上で互いに陣取りをしながら自分の文明を発展させていく」というのがメインの進行になっているんですが、それと並行して、脇に教団トラックという小さなボードがあって、そこに司祭を派遣することによって、マスを進めてパワーを得たり、勝利点を得たりすることができます。
この地図の大きなボードと教団の小さなボードは、完全に切り離されていて、ゲームの本筋を複雑化させることなくゲームプレイ全体を豊かにすることができているんですよね。
これは、全体の大きなゲームの中で、独立した小さなミニゲームをやるようなもので、互いが調和しない危険性はあるんですけど、ゲームをデザインする上での一つの有効な手法じゃないかなと思います。
また次回
本日の進行についてのお話はこれで終わりです。
次回はまた、12の柱のうちの3本目についてのお話をしたいと思います。
もし内容についてのコメントやご指摘等ありましたら、twitterのアカウントの方までご連絡頂ければと思います。@dbs_curryでやっておりますので、よろしくお願いします。
じゃあ、今日はここまでで。ありがとうございました。
* この記事は、Podcast「ボードゲームのゲームデザイン」の内容を書き起こしたものです。
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