ボードゲームのゲームデザイン:第3の柱「選択」
この記事は、ボードゲームのゲームデザインにおける「選択」についてお話するものです。
第3の柱「選択」
おはようございます。I was game の上杉です。
このnoteでは、「ボードゲームのゲームデザイン」という名目で、現代的なボードゲームのゲームデザインについてお話します。
第3回目の今回は、ゲームデザインの12の柱のうち第3の柱である「選択」についてお話します。
ゲームというのは、単に数字の詰まった長方形のマトリクスにすぎない
本題に入る前に、ジョン・フォン・ノイマンについて話をさせてください。
フォン・ノイマンというのは、コンピュータの基礎を築いた、20世紀でもっとも高名な数学者ですが、彼の功績の中にゲーム理論というものがあります。
ミニマックス定理、ナッシュ均衡、パレート効率性、囚人のジレンマといった言葉を聞いたことがあると思いますが、ゲーム理論というのは、「戦略的な状況における意思決定を数学的にモデル化して説明する理論」といったところです。
ウィリアム・パウンドストーンという人が書いたフォン・ノイマンの伝記に、このゲーム理論というものを端的に一言で表した言葉があるので、紹介させてください。
「ゲームというのは、単に数字の詰まった長方形のマトリクスにすぎない」という言葉です。
マトリクスというのは、縦と横に広がった表のことですね。九九の100マス計算表のような、そういったものをマトリクスと言います。
たとえばジャンケンで言えば、自分が出す手が、左側にグー・チョキ・パーと並んでいて、相手が出す手が同様にグー・チョキ・パーと上に並んでいると。そのそれぞれの交点がお互いの勝敗になっていて、たとえば自分がグーで相手がチョキだったら、その結果として交点には「自分の勝ち」と書かれているような、そういった表こそがゲームの本質である、そういう言葉です。
実際のゲームは、ジャンケンよりも複雑なものが多いので、この縦横にはゲーム中に取ることのできるすべての手が載ることになり、非常に長大なマトリクスになります。また、3人用のゲームでは、縦横に広がるだけでなくX軸・Y軸に加えてZ軸ができて、3次元のマトリクスになります。4人用であれば、さらに4次元のマトリクスになります。
ゲーム理論というのはその名前のわりにあくまで数学上の問題であって、我々の言葉で言う「ゲーム」とはむしろあまり関係がありません。しかしその中で、「ゲームの構造のモデルというのは、各プレイヤーの選択とその結果の関係性である」という視点は非常に重要かなと思っています。
今回の話は、その考え方に関連した内容です。
「選択」の定義
まず、今回お話する「選択」というものの定義についてです。
この話の中では、「選択」というのは、「ゲームの中でプレイヤーが何かを選ぶこと」という定義でお話していきます。
もしゲームに選択がなかったら
いつも通り、まずゲームに選択がなかったらどうなるかというのを考えたいと思います。
選択のないゲームというのは、プレイヤーが実行はするけど、何も選ばないようなゲームの場合ですね。もっとも単純な形式の『すごろく』や、『坊主めくり』などが該当します。
単純な『すごろく』であれば、プレイヤーはサイコロを振ってコマを動かすだけ。『坊主めくり』も、プレイヤーは山からカードを引いてそのカードに応じた処理が起こるだけであって、特に何かを選んだりするわけではないですよね。
つまり、その場合、プレイヤーはあくまでゲームに定義された手順にしたがって処理を行っているだけなので、あるプレイヤーが他のプレイヤーと入れ替わったとしても、結果は同じになるわけです。
坊主めくりでは、各プレイヤーが山からカードを順番に取っていくわけですが、それを僕がプレイしようがあなたがプレイしようが、同じ場所に座っていたら全く同じ結果が出ます。なんなら、プレイヤーが座っていなくても、その自動的な処理さえ他のプレイヤーや機械がやってくれるなら、同じことになります。
つまり、ゲームに選択がなければ、プレイヤーはいてもいなくても同じになり、プレイヤーがゲームに対して持つ意味が失われてしまう、ということです。
意味のある選択
「子ども向けのゲームを除けば、現代のゲームに選択のないものなんてないでしょ? どんなゲームでもプレイヤーが選択して、その選択によって結果が決まるようになっているでしょ?」とは言えるんですが、選択にもいろいろありますよね。
まず、「意味のある選択」と「無意味な選択」というものがあります。
ここで言う「意味」というのは、選択がゲームに対して持つ意味のことです。つまり、その選択に応じてゲーム全体に影響が出るなら、その選択には意味があると言えます。
たとえば、多くのゲームで見られる「どのアイテムを購入するか」「どのカードを使うか」「どのプレイヤーを指定するか」といった選択は、おおむねの場合意味のある選択です。
意味のない選択
それとは対照的に、ゲーム全体に影響を及ぼさない、無意味な選択もあります。
その無意味な選択の中にもさらに種類があって、一つは「根本的に無意味な選択」です。
たとえばプレイヤーカラーの選択で、青のコマを使うか赤のコマを使うかといった色の選択です。あるいは、『モノポリー』でどの形のコマを使うかとか、キャラクターにどんな名前をつけるかといった選択は、根本的にゲームに影響することを意図されていない無意味な選択ですよね。
他にも、「結果的に無意味な選択」というのもあります。
一見意味がありそうなんだけど、結果的に等価値な選択――たとえば、Aを選ぼうがBを選ぼうが、計算してみると数字的には価値が同じというような場合があります。
さっき『坊主めくり』の話をしましたけど、たとえば『坊主めくり』の山札が1つじゃなくて5つに分かれていて、どこからめくってもいいよというルールだったとします。そうであっても、プレイヤーはその山札の中を全く予想できず、どれを選ぼうが結果は完全にランダムなのだから、これも結果的に等価値で無意味な選択ですよね。
また、「結果的に目的に影響しない選択」というのもあります。
たとえば、あるアクションだと木が2個もらえて、もう一つのアクションだと木が3個もらえるという状況があったとします。この状況は、2と3で等価値ではないように見えるんですが、その木をゲーム中一切使う手段がなくてただ持つだけだとしたら、結局は目的に何も影響しないので無意味な選択ですよね。
「そんな無意味な資源をプレイヤーに渡すゲームなんてないだろう」と思われるかもしれません。けれども、たとえば最終ラウンドで、すでに勝利点がこれ以上増えないことが分かっているものの、何らかの資源が増えるアクションを選ばなければならない…というような無意味な状況に立たされることはしばしばあるんじゃないかと思います。
ゲームの構造上、無意味な選択はあろうがなかろうが同じなんですよね。何を選んでもゲームに影響がないので、最初から選択自体が存在しなくても困らない。取り除けるなら取り除いてしまってもいい。
ただ、ゲームにとって無意味でも、プレイヤーにとって意味がある場合もあります。
たとえば、僕はプレイヤーカラーでは青を選ぶのが好きです。たとえゲームの結果に何の影響もおよぼさないとしても、その選択は自分を楽しい気分にさせてくれます。そういった、ゲームにとって無意味な選択が楽しさを生む可能性もあると言えばあります。
ただ、冒頭で話したように、「ゲームというのは意味のある選択に主軸を置いたものである」という立場に立つと、ゲームのおもしろさというのはそこに詰まっていて、単位時間あたりの意味のある選択の質や量がゲームのおもしろさを生み出します。ある選択が無意味であり、かつそれを用意しておくことに明確な目的がないのであれば、基本的には取り除いてしまった方がいいだろうと思います。
ジレンマ
ボードゲームでは、「ジレンマがおもしろい」と言われることがよくあります。
「ボードゲームのおもしろさはジレンマのおもしろさだ」とか、「このゲームはジレンマが豊富でおもしろい」とか。
「ジレンマ」というのは、どっちも選びたくないような板挟みの状態を指します。つまりそれは、プレイヤーがその選択に大きな意味を感じている状態のことなわけですよね。
なのでこの件も、選択の意味というものがゲームのおもしろさに寄与しているということの一つの例ではないかなと思います。
意味のない選択肢
そして、もう少し話を進めると、意味のある選択であったとしても、その中に無意味な選択肢が含まれることもありますよね。
たとえば、ゲームに支配戦略(dominant strategy)が存在する場合、つまり明らかに優位な最高の選択肢が存在してしまっている場合は、それ以外の選択肢は意味がなくなってしまいます。
『三目並べ』、いわゆる『マルバツゲーム』は、ほとんどの人が最適解を知っています。最適解以外の無意味な選択肢を選ぶことは基本的にないので、そのどこにマルやバツを置くかというのは、本来であればゲームに大きく影響する意味のある選択なのですが、実質的に選択肢がなくなってしまっています。そのため、もはや選択とは呼べなくなってしまっています。
他にも、たとえば、「レベルを上げて物理で殴れ」とか、『ツォルキン』の開幕のウズマル0・1・2置きとか、特定の支配戦略が存在すると、その選択はもはや選択とは呼べなくなってしまうわけです。
また、明らかに他より優れた選択肢とは逆に、明らかに他より劣った選択肢がある場合もその選択肢には意味がなくなります。
たとえば、「Aを選ぶと100万円がもらえて、Bを選ぶと宝石がもらえて、Cを選ぶとタワシがもらえますよ」という選択肢が現実にあったとして、Cのタワシを選ぶ人は基本的にはいないですよね。100万円をもらったらタワシも買えてしまうわけですから。だからこの選択においてはタワシは無意味な選択肢で、あってもなくても同じになってしまうわけです。
選択肢の価値
ここまでいくつか話をしてきましたが、つまり何を言いたいのかと言うと、「ゲームというものにおいては、選択肢は等価であってはいけないし、かと言って明確に差がついていてもいけない」ということなんですよね。
各選択肢に差をつけつつ、その差がプレイヤーにははっきりとは分からないような隠匿をしなければいけないわけです。
そしてもちろん、完全に隠匿してしまってもいけなくて、プレイヤーがどれを選ぶかの手がかりを何らかの方法で渡してあげなければいけません。そうしないと、プレイヤーが暗闇の中にいるかのような感覚になり、何も選べなくなってしまうからです。
この「各選択肢が等価であること」と「各選択肢に差がついていること」の両極の間にスイートスポットがあって、そのスイートスポットを探すことこそがゲームデザインにおける選択のデザインのもっとも重要な部分だと考えています。
現実的には、デザイナーやデベロッパーが、「ほぼ均等に見えるが、かと言って完全に均等であると言い切ることもできない」というような辺りまで調整して世に出すというのが一般的じゃないかなと思います。
そして、結果的にはプレイヤーがそのゲームをプレイして、同じ一つのゲームであっても、均等であると感じる人も出てくるし、大きな差がついていると感じる人も出てくることになります。さらには、大きな差がついてると感じている人の中であってさえ、あるAという戦略が強いと感じる人が出たり、別のBという戦略が強いと感じる人が出たりします。
なので、誰かが研究して明確な解を証明しない限り、結局はプレイヤーの感覚に委ねられてしまうことになります。それはある面では難しいとも言えるし、ある面では、「プレイヤーがどう感じるかをこそ考えて、そこを重視してデザインしなければならない」とも言えます。
ゲームデザインにおける3つのキーワード
ここまで選択について話す中で、「意味」「スイートスポット」そして「プレイヤーの感覚」という三つの単語が出てきました。
僕が考える「ゲームデザインにおける3つのキーワード」というものがあって、それがこの「意味」「スイートスポット」「プレイヤーの感覚」の3つです。
この3つは、つまり、「何事にも意味がなければならず、意味こそが問われる」ということと、「すべてにスイートスポットがあり、単純な正解はなく、各ゲームに応じた最高の中間点を見つけ出さなければならない」ということと、「ゲームがどのように作られたとしても、結局は受け取り手であるプレイヤーの感覚次第である」ということです。
この「選択」というテーマには、この3つのキーワードがすべて詰まっています。だから自分としては、「選択」というのはゲームデザインにおける非常に重要な側面の一つだと感じています。
選択肢の提示の仕方
ここからは、選択についてもう少し掘り下げて考えていきます。
ボードゲームにおける選択というものは、基本的にはプレイヤーのアクションという形であらわれます。
アクションというのは、プレイヤーがゲームに対して働きかけることです。ゲームの中では、一般的にプレイヤーがアクションによってゲームに働きかけ、ゲームが内部処理によってその結果を返したり、新たな状況を提示したりします。そして、またプレイヤーがその新しい盤面に対して新たにアクションを返していくというループで進んでいきます。
だから、『ウノ』でカードを1枚出すのもアクションだし、カードを1枚引くのもアクションです。『カタン』で言えば、サイコロを振るのも建物を作るのも交渉を行うのもアクションである、といった具合ですね。
そこで、ゲームのアクションにおける選択肢の用意の仕方として、4つのパターンがあると思っています。
1つ目は、単一の選択肢。あるアクションとして一つの種類だけがあって、それしか選べない形式。
たとえば、すごろくだったらサイコロを振るしかない。チェスだったらどれかのピースを一つ動かすしかない。そういった、非常に原始的でシンプルな構造のパターンですね。
2つ目は、すべての選択肢が常に提示されているパターンです。「メニュー式」のアクション選択と言ったりもします。
たとえば『パンデミック』では、プレイヤーの手元にサマリーカードがあって、そこに書かれたアクションをどれでも常に実行することができます。『テラミスティカ』なんかも、一部の例外はありますが、概ねそうです。つまり、ルールが規定しているすべての可能なアクションが、プレイヤーにとっても常に可能になっている形式です。
昔のゲームでは、「ルールを読んできっちり選択肢を把握してプレイしてね」というパターンもあったかなと思います。しかし現代では、プレイヤーにサマリーを渡して、「プレイヤーエイドを見て何ができるか確認してね」という形式になっていることが多いと思います。
3つ目は、これが多分今のモダンなやり方じゃないかなと思うんですが、限られた選択肢をプレイヤーに渡すパターンですね。
たとえば、ゲーム中に10の可能なアクションがあるとしたら、ゲーム中のあるタイミングではプレイヤーはそのうちの3つしかできないとか。
例として、『プエルトリコ』のような役割選択とか、『トワイライトストラグル』や『ハンニバル』といったウォーゲームのカードドリブンシステムだったり、もちろん、『アグリコラ』や『ケイラス』といったワーカープレイスメントが挙げられます。
あとは、マック・ゲルツが『コンコルディア』や『ナヴェガドール』といったゲームで使っているロンデルのような、プレイヤーの可能なアクションをタイミングによって特定のものだけに制限するという手法もあります。
この方法が今評価されているのにはいくつか理由があります。一つは当然ながら、選択肢を絞って少ないものだけ提示することで、プレイヤーの思考時間を抑制できることです。
また、同じ盤面であっても、その瞬間にプレイヤーができるアクションの選択肢が変わればゲーム全体の状況が変わってくるので、様々な状況を生むことができ、ゲームプレイに多様性をもたらすこともできます。
あとは、特定のアクションだけを繰り返すような反復的なゲームプレイを防いでくれて、これもゲームプレイを多様化することにつながっていますね。
「プレイヤーの選択肢を制限して選択肢を減らす」ことが結果的にはゲームの多様性を増やすことにつながるというのは、ちょっとおもしろいところかなと思いますね。
あとは、プレイヤーの選択肢を制限するということは、今どれが可能でどれが不可能なのかをプレイヤーに明示する必要が出てくるので、それをユーザーインターフェイス上で表示することによって、結果的にプレイアビリティが上がるということもありえます。
たとえば、さっき言ったようにプレイヤーにアクションがたくさん書かれたサマリーカードを渡すよりも、ボード上にワーカーのアクションスペースとして各アクションが表示されていたり、ロンデルとして各アクションが表示されている方が、結果的にインターフェイスとしては分かりやすくなりえるわけです。
そして最後の4つ目として、少し例外的ですが、開かれた選択肢というパターンがあります。
これは、ルール上、プレイヤーが取れるアクションの選択肢を全く規定していないということです。
たとえば、大喜利のゲームで「どんな回答をしてもいい」「何を言ってもいい」ということであったり、あとは、『ハグル』のようにかなりオープンなゲームで「どんな手を使ってもいい」「どんな交渉の仕方をしてもいい」みたいな形式ですね。
当然ながら、この形式ではプレイヤーのアクションを制御することが難しくなるので、本質的にゲームというよりもいわゆるアクティビティに寄った構造になると思います。
選択・実行・解決
次の話に移りますが、アクションを選択したら、それで終わりというわけではありません。
アクションというのは、3層に分かれています。「選択」を行い、それを「実行」して、最後にそれが「解決」されます。
選択というのはアクションのフロントエンドで、プレイヤーはそこに働きかけることができます。解決というのはアクションのバックエンドで、基本的にはゲーム内の、プレイヤーは触れることができない自動的な処理によって結果が返ってきます。そして、実行はその二つの中間層で、フロントエンドとバックエンドの仲立ちをするものですね。
ゲームというのは、この選択・実行・解決という3層構造からなるアクションを繰り返して進行していくというのが本質ではないかなと思います。そしてこの実行や解決といった部分も、選択のデザインに利用することができます。
たとえば実行の側面から考えると、あるアクションを選択したとして、自分が本当にそのアクションをちゃんと実行できるかどうか不安であれば、選択がより自明なものではなくなりますよね。
例として、『ジェンガ』で「このピースを抜くのが一番いい選択なんだけど、はたして自分にそれができるだけの器用さがあるか分からない。崩してしまうかもしれないから、むしろ次善の手であるこっちを選択した方がいいんじゃないか」とか。
あるいは、解決においても同様です。常に不変の結果が返ってくる固定の解決であれば選択は容易ですが、どんな結果が返ってくるか分からない不定の解決だと、選択がより複雑になります。
つまり、たとえば、木材1個が必ず手に入る「伐採」というアクションがあったら、その結果は常に固定だから簡単な選択になりますよね。しかし、未来に木材がランダムで2個から5個手に入るという、「植林」というアクションがあったとしたら、それに対する選択はより複雑なものになりますよね。
なので、アクションにおける実行や解決といった他の層を利用することで、各アクションの価値づけを単純なものではなくして、よりその選択のデザインのスイートスポットを探るのに使える可能性がある、ということです。
この、「各アクションの価値や何らかの要素が不定である」といったことについては、今回のテーマで語るにはちょっと領域が広いので、また別の機会でお話することになると思います。
分析麻痺
今回はあともう何点かについてお話するつもりなんですけど、一つは「分析麻痺」についてです。
分析麻痺というのは英語で言う analysis paralysis の訳語で、状況を分析しすぎるあまり動けなくなってしまう状態を指します。
特にボードゲームのゲームデザインでは、「ある選択の分析に費やすコストが、その選択から得られるリターンよりも大きくなってしまう」状態を指します。
たとえば、あるゲームの中で「ほとんど勝敗に関係しないような1金分の差しか生まれないのに、こっちの商品を売ろうか、それともこっちの商品を売ろうかと何分間も考え続けてしまう」といった状態のことですね。
もっと大きな視点で言えば、ゲームに勝って賞金がもらえるわけでもなくて、結局のところある程度の量の楽しさを得ることこそが目的のはずなのに、その中で10分も20分も悩むことに時間を費やしてしまって、自分も楽しめないし他のプレイヤーにも不快な思いをさせてしまうというような、そういった問題を「分析麻痺」といいます。
今回、選択のデザインの話をする中で、選択肢の価値というのは完全に均質であってもいけないし、また、一部が突出してよかったり悪かったりしてもいけないという話をしてきました。しかしそれを実現すると、今度は逆に分析麻痺が起こってしまうという問題もはらむことになります。
上手く価値が隠匿されているがゆえに、それを解明しようとゲーム中に延々と計算してしまうということがありえるわけです。それを防ぐには、プレイヤーにどこかでその分析を諦めさせないといけません。
特に、不確定要素がない完全情報ゲームではこの問題が顕著です。分析したら分析した分だけ必ず正解に近づいていくことになるので、分析することに対するインセンティブが大きくなってしまうからです。
なので、チェスのような完全情報ゲームでは、実際の対戦の際には持ち時間が各プレイヤーに用意されています。その持ち時間を使うことにリスクがあるので、分析することによるインセンティブをそのリスクで相殺してゲームを成り立たせているわけです。
もしチェスに持ち時間がなければ――たとえば「持ち時間は永遠で、仮にあなたが死んでも、何世代に渡ってもプレイを続けて最終的に勝てばオッケーです」というルールだったら、最初のピースを一つ動かすことすらせずに、完全に明確な解が出るまで延々と分析をするのが正しい選択になってしまいます。
分析麻痺が起こる条件は3つあると考えています。
「解を出すのに相当な量の分析を出すのが必要であること」「リターンを確実に得られること」「コストやリスクがかからないこと」の3つです。
この3つが揃うと分析麻痺が起こる可能性が出てきてしまうので、それを防ぐのであれば、この3つのうちのどれかに該当しないようにしなければなりません。
たとえば、リアルタイムのゲームでは、思考に時間を費やすことがコストになるので、それによって分析麻痺に対する対策ができていると言えます。
また、各プレイヤーの選択が逐次選択ではなく同時選択の場合は、どこかでジャンケン的に「自分がグーを出すとチョキには勝てるけど、もし相手がパーを出すと負けてしまう」というような構造になっていたりして、突き詰めて分析しても結局は相手の選択次第になるから、これ以上考えても仕方ないなと分析を打ち切るタイミングがあったりします。
あるいは、『ロレンツォ・イル・マニーフィコ』や『パルサー2849』のように、あるラウンドで起こることは完全情報であり突き詰めて考えられるけど、ラウンドとラウンドの合間に乱数の発生するタイミングがあって、そのタイミングよりも未来のことは現時点では考えてもしょうがないという設計であれば、その区切りで分析を打ち切らせることもできます。ただもちろん、本当に分析をするのが好きなプレイヤーは、乱数に対しても期待値で考えて、より複雑な計算を始めてしまう可能性がありますが。
このように、分析麻痺はプレイヤー依存の部分もあるので難しい問題ではあります。しかし基本的には、できるだけ発生を防ぐようにした方がよいだろうと考えています。
何事にも例外はある
次の話です。「ゲームの選択肢には意味がなければならない」というのはよく言われることで、今回もそういう話をしてきました。しかし、もちろん何事にも例外はあって、それが常に真とは限りません。
基本的には、全体に対する意味のある選択の比率が多いゲームの方が、おもしろさの密度が高く、プレイするコストに対するパフォーマンスがよいゲームだと言えます。
ところが、そういった難しい選択の合間に、「これ一択だろう」と思えるような自明な選択をあえて入れることで、かえって全体の緩急がついてプレイヤーの得る体験がよくなるということもあります。
ひとつの例として、各プレイヤーがそれぞれ一つの戦略に特化していくような拡大再生産型のゲームで、終盤になるとプレイヤーが一つの方向性に特化しきったがゆえに、選択の幅がどんどん狭くなっていくという状況が挙げられます。
たとえば、あるプレイヤーが鉱石を集める戦略を選んで、「鉱石を獲得するたびに2金もらえて、しかもゲーム終了時に持っている鉱石1個につき3点になる」というような能力を揃えて、その鉱石を獲得するアクションを繰り返しまくるような場合です。そういった状況は、「ゲームの終盤に選択肢がなくなって、取るアクションが単調なものになっている」と批判的に見ることもできますが、一方で別の見方をすることもできます。
つまり、それは「既にゲームのステージがプレイヤーがこれまでの選択によって積み重ねてきたことに対する報酬を与える段階になっている」とも言えます。プレイヤーがそのような単調な繰り返しによっても楽しさを得られるのであれば、そういった構造は正当化されうるわけです。
結局、「選択に意味がなければならない」というのは、プレイヤーが自分の行いに意味を感じられなければならない――言うなれば「やってる感」をプレイヤーが感じられなければならないということです。なので、あくまでその状況がプレイヤー自身の行動による結果だと感じられるのであれば、実質的に無意味な選択が現れる状況というのも正当化されうるんじゃないかと思います。
選択以外の要素
さて、今回は「選択」についてお話してきました。
選択というのは、ゲームに対して意味を持つ――ゲームの結果を左右する要素の一つですよね。最後に、選択以外にどのような要素がゲームの結果を左右しうるのか、ということについて少し話そうかなと思います。
自分は全部で4つあると思っています。「選択」「実行」「運」「政治」の4つです。
「選択」については今回話した通りで、自分の考えでは、現代的なボードゲームは、この選択に重点を置いたものだと思っています。
「実行」というのは、「プレイヤーが実際にそれを行えるか」ということです。たとえば、格闘ゲームにおける反射や入力とか、ボードゲームで言えば『ジェンガ』のようなバランスゲームにおける操作とかですね。一般的なスポーツは、この実行により焦点を当てたものが多いと思います。100メートル走とか。
「運」というのは、そのままランダム性のことです。ダイス、カードドロー、ルーレットなど、より古典的なゲームでは運によって勝敗が決まるということが比較的多かったかなと思います。現代のボードゲームでは、単純な運の勝負というのはどちらかと言うと忌避されがちだと感じます。
最後に、「政治」というのは politics の訳語として使っていて、日本語では上手い言い方がないので単に政治と呼んでいます。これはプレイヤー間の関係性によって結果が決まってくるというものです。たとえば、同盟・直接攻撃・交渉・協力などです。よく言われるキングメーカーの問題もここに入ってきます。
先ほど言った通り、現代的なボードゲームは基本的には選択に主眼を置いていると思いますが、選択と実行というのはプレイヤー個人のスキルであって、そこだけで決まってしまうと、どうしても結果の明白なソリティアになってしまいます。
なので、実際には、運や政治といった、個人では操作できない要素を組み込んで、この4者のバランスを取ることによってゲームが設計されていく、ということになっているんじゃないかと考えています。
選択に寄りすぎるとソリティアになってしまいますし、実行に寄りすぎるとゲームというよりスポーツになってしまう。一方で、運に寄りすぎても運ゲーと批判されることもあるし、政治に寄りすぎるとキングメーカーの問題が大きくなってしまうということがあって、このバランスは難しいものです。
今回は選択について話したんですが、他の3つの要素についても、別の柱で取り上げる機会があるんじゃないかなと思います。
また次回
ということで、選択についての話はこれで終わりです。
次回はまた、12の柱のうちの4本目についてのお話をしたいと思います。
もし内容についてのコメントやご指摘等ありましたら、twitterのアカウントの方までご連絡頂ければと思います。@dbs_curryでやっておりますので、よろしくお願いします。
じゃあ、今日はここまでで。ありがとうございました。
* この記事は、Podcast「ボードゲームのゲームデザイン」の内容を書き起こしたものです。
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