『Sapporo1876』と『Otaru1899』からゲームデザイナーが学べる3つのこと
『Sapporo1876』というボードゲームがあります。
このゲームは Takeo Yamada 氏によってデザインされ、うちばこやさんから発売されました。
そしてその続編が、同じく北海道を舞台として共通のルールを持つ『Otaru1899』です。10月1日の発売に向けて事前登録キャンペーンが行われているとのことです。
『Sapporo1876』と『Otaru1899』は、シンプルであると同時にリッチな2人用の中量級ゲームです。高い完成度を持つこの姉妹作から、多少なりとも我々が学べることがないかを探してみようと思います。
1. 副作用にゲームを左右させる
対戦ゲームでは、プレイヤー同士の間に差が生じることによって勝者と敗者が分かれます。
もしプレイヤー同士の間に一切の差がつかなければ、勝敗が生まれず、対戦が成立しません。そのためすべての対戦ゲームは、何らかの要素によってプレイヤー同士の間に差が生じるようにしています。
たとえば、ダイスの出目やカードの引きなど、プレイヤーの運によって差を生むゲームがあります。しかし、そういったゲームは「運ゲー」と非難されてしまいがちです。
あるいは、交渉や取引や個人攻撃など、プレイヤー間の政治によって差を生むゲームがあります。しかし、そういったゲームには、1人のプレイヤーの行動によってゲーム全体が瓦解する危険がつきまといます。
また、戦略や戦術におけるプレイヤーの選択によって差を生むゲームがあります。しかし、そういったゲームでは勝敗を運のせいにも他のプレイヤーのせいにもできないので、劣勢の側は苦しい思いをしがちです。
『Sapporo1876』と『Otaru1899』では、ゲーム中の運要素はありませんし、2人用なので多数が結託して少数を攻めるような政治もありません。また、ゲームプレイはシンプルであり、大きく差がつくような失敗の選択をすることもほとんどありません。
ではこのゲームがどのようにしてプレイヤー同士の間に差を生んでいるかというと、それは選択の副作用によってです。
このゲームでは、プレイヤーが手番に4種類のアクションから1つを選んで実行するたびに、相手も同じアクションを実行するという副作用のメカニズムがあります(このメカニズムは一般に「アクションフォロー」と呼ばれます)。
さらにそれと同時に、プレイヤーがアクションを実行するたびに対応する「収穫」や「決算」が近づくという副作用のメカニズムもあります。
これらのメカニズムにより、各プレイヤーが自分のやりたいことをするためにアクションを選択するたびに、その際に起こるわずかな副作用でじわじわと差がついていくようになっています。
副作用のよいところは、ゲームに慣れていないプレイヤーがその存在に気づくことなく楽しくプレイできるという点です。
主要な選択が難しすぎるとプレイヤーは失敗を恐れて途方に暮れてしまいますが、このゲームではやりたいことをのびのびとやって「結果的には負けてしまったけど結構うまくやれたな」という感覚を得ることができます。
一方でゲームに慣れたプレイヤーは、その副作用さえも利用することを楽しめます。
相手の足元を見て効率的でないアクションを実行させたり、相手が次に選ぶアクションを予期して自分も最大の利益を得られるよう準備したり、次の「収穫」のタイミングをコントロールしたり、「決算」の一歩手前で止めて相手の選択を縛ったりすることで、一見では気づかないようなこのゲームの奥深さを探検することができます。
2. メカニズムとデータがゲームプレイを生む
上で述べたとおり『Sapporo1876』は、アクションを選択した結果として起こる副次的な作用により目立たないところでじわじわと差がついていくゲームでした。
両プレイヤーがアクションによって10の利益を得るたびに、副作用によって0.1ずつの差が生まれていくような、まったりとして落ち着いたプレイ感です。
『Sapporo1876』はまるで、完成度の高いバニラアイスのようなゲームでした。美しくて隙がなく、万人が楽しめる味です。しかしひょっとすると、落ち着きすぎていて驚きが足りないと感じるような人もいるかもしれません。
続編の『Otaru1899』では、そこに変化が生まれました。お互いがほとんど同じ状況で始まるため差のつけようがない『Sapporo1876』と異なり、異なる初期資源と初期能力を持ってゲームを開始するようになったため、「アクションフォロー」の副作用によって大きな差をつけられるようになりました。
一手目から「じゃあまずはワーカーを4人雇って…」というような激しいアクションが飛び交う『Otaru1899』は、まるで華やかなストロベリーアイスです。鏡写しの中で相手との差を見つけ出すような前作と比べて、今作は自分の長所を突き抜けさせて相手の隙を攻める鮮やかなプレイ感になっています。
このプレイ感の変化は、「アクションフォロー」や「収穫と決算のタイミング」といったメカニズムに手が加えられたことによってもたらされたものではありません。この変化の大部分は、お互いの初期資源の数が非対称になったというほんの一点から生まれています。
この初期資源の数の変化は、「麦1個・稲俵1個・ヒツジ1個・ウシ1個」が「麦2個・稲俵1個・ヒツジ1個・ウシ0個」になるようなわずかな数字の違いに過ぎません。
しかしそうやって数字をほんの少しずらすだけで、互いが最初に取るべき選択に差が現れ、互いの成長の方向性に差が現れ、互いがやりたいことにゲームのどの段階でも差が現れるようになりました。
メカニズムに大きな手を入れずとも、数字というデータを少し動かすだけでプレイ感が大きく変化するという事実は、メカニズムとデータが組み合わさることで初めてゲームプレイが生まれるということを教えてくれます。
3. 続編にはゲームを爆発させる権利がある
前作の『Sapporo1876』に比べて、続編の『Otaru1899』ではさらにいくつかの変更点があります。
まず、「決算」のたびにマジョリティを集計して得点が発生する要素だった「市議会」が、新たに「中央小樽駅」としてパワーアップしました。ゲーム中に得点を生む縦のマジョリティはそのままに、ゲーム終了時に特定の要素で競う横のマジョリティが追加され、縦横ニ軸のマジョリティ勝負が始まりました。
さらに、ゲーム終了時に条件を満たしていれば大量の得点を与えてくれる「有力者タイル」が、ゲーム中に獲得した瞬間に条件をチェックする「即時有力者タイル」になりました。中には序盤から条件を満たせるものもあり、「いつ得点行動をするか?」の判断がより重要になりました。
加えて、「建物タイル」がないときでもワーカーを働かせられる「漁船タイル」が追加されました。このゲームでは建物は概ね2~3回しか起動できず、獲得のコストを回収するのが困難です。漁船によって建物の相対的な価値が下がり、即時有力者によって序盤から購入権を得点に使うのが正当化された結果、建物タイルから十分な利益を取り出すにはより技量が求められるようになりました。
プレイヤーに困難な選択を投げかける『Otaru1899』は、まるで大人向けのチョコレートアイスです。新たな要素はいずれも、ゲームに新たな花を添えると同時に、プレイヤーに挑戦するかのように複雑な判断を要求します。
そして、この続編で新たにもたらされるものはこれだけではありません。なんと、『Sapporo1876』と『Otaru1899』を合体させることで、もともと2人用だったゲームを「北海道開拓史」として2~4人用としてプレイできるようになるのです。
一般的に、2人用の作品と3人以上用の作品ではゲームの構造自体が全く異なります。もともと2人用だったゲームを3~4人でも全く見劣りすることなくプレイ可能にした作者の手腕には舌を巻きます。
2人用という枠から飛び出した『Otaru1899』は、まるで爽やかなオレンジソルベです。2人では相手の足元を見続ける必要がありますが、3~4人では自分だけが得をする選択を取り続けることはできないので、そこまで相手の手を読み込んでプレイする必要はなく、こちらの方がプレイしやすくて気に入る人も多いでしょう。
あれ? おかしいな…。
『Otaru1899』は華やかなストロベリーアイスであると同時に、
大人向けのチョコレートアイスでもあり、
そして爽やかなオレンジソルベでもある…。
おまえ…よくばりモリモリてんこもりセットじゃねーか!!
ゲームの続編というのは難しいもので、物語の続編のように単に続きを描けばよいというものではありません。「前作を踏襲しつつ、十分に新しいことを行い、かつ前作と市場に共存する意味がなければならない」という複雑な課題を背負っています。
『Otaru1899』は、完成度の高いバニラアイスのようだった『Sapporo1876』に対して、自身を爆発させてよくばりモリモリてんこもりセットになることを選びました。
単により完成度の高いものを目指すだけなら、『Sapporo1876』を超えられるかはわかりませんし、超えてしまえば前作が市場に存在する意味がなくなってしまいます。同じ骨子を備えながらも爆発した存在になることは、この続編が持つ権利であり、課せられた義務だったと言えるでしょう。
そして結果的に、『Otaru1899』はその権利を行使してその義務を果たしました。前作と今作のどちらもが誰かのお気に入りになるはずですし、多くの人々が合体させたバージョンを楽しむでしょう。
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