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電子書籍『隣には、あなたが ―ベーチェット病により19歳で失明したぼくと誘導者の方々―』 菱沼亮 著

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表 紙

左:菱沼 亮(著者)
右:新田明臣(株式会社バンゲリングベイ 代表取締役)

第53回 NHK障害福祉賞(2018年)授賞式の際のNHKのスタジオにて

※本書の原稿は、両目の見えない菱沼亮さんご本人が、パソコンの「音声読み上げ機能」(キーボードで入力した文字を自動で読み上げてくれる機能)を利用して執筆しました。



ベーチェット病とは

ベーチェット病(Behçet’s disease)は、口腔粘膜のアフタ性潰瘍、外陰部潰瘍、皮膚症状、眼症状の4つの症状を主症状とする慢性再発性の全身性炎症性疾患です。

1972年当時の厚生省がもっとも早く難病に指定した疾患で、以来、研究班が組織され、病因、病態について探求されてきましたが、未だに原因は不明です。現在の病因の有力な仮説として、「何らかの遺伝素因(体質)が基盤にあって、そこに病原微生物(細菌やウイルス)の感染が関与して、白血球をはじめとした免疫系の異常活性化が生じ、強い炎症が起こって症状の出現に至る」という考えがあります。

眼症状は、この病気でもっとも重要な症状です。ほとんど両眼が侵されます。前眼部病変として虹彩毛様体炎が起こり、眼痛、羞明、霧視、瞳孔不整などがみられます。これに引き続き、炎症が後眼部病変に及ぶと、網膜絡膜炎となり視力低下や視野異常が生じます。発作性に悪くなり、その後回復することが多いのですが、発作を繰り返すうち、そのたびに徐々に障害が蓄積し、視力が低下していき、ついには失明に至ることがあります。

※参考文献

厚生労働省ホームページ
https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-10900000-Kenkoukyoku/0000089968.pdf

厚生労働省科学研究費補助金 難治性疾患政策研究事業「ベーチェット病研究班」
http://www-user.yokohama-cu.ac.jp/~behcet/patient/behcet/care.html


菱沼 亮 略歴

1981年 
神奈川県横須賀市で3人兄弟(兄、姉)の末子として生まれる

1995年 
中学2年生(14歳)のときに目に違和感を覚え、大学病院へ行ったところ、ベーチェット病と診断され、医師から「いずれ失明するだろう」と宣告を受ける。両目の視力は1.0から0.5に

1996年
中学3年生(15歳)。左目が完全に見えなくなる。右目の視力は0.1に

1997年
高校1年生(16歳)。盲学校へ入学

1999年
高校3年生(18歳)。右目の視力が0.05に

2000年
19歳で盲学校専攻科理療科へ入学し、あん摩マッサージ指圧師鍼師灸師を目指す

―在学中の夏休みに、両目ともに失明する―

2001年
20歳で盲学校専攻科理療科を一度退学し、日常生活訓練を受けるため、七沢ライトホームへ入所

2002年
21歳で七沢ライトホームを退所し、盲学校専攻科理療科へ復学

2005年
24歳でヘルスキーパー(企業内マッサージ師)として企業に就職。社会人1年生を迎える。その後、恵比寿、横浜、品川、赤坂など、さまざまな場所の企業で働く

2018年
街中で出会った誘導者とのエピソードを執筆し、「第53回 NHK障害福祉賞 優秀賞」を受賞


はじめに―19歳で受け入れた失明の運命―


自然の中でのびのびと育つ

ぼくは神奈川県南東部の三浦半島に位置する横須賀市で、1981年4月6日に生まれました。

海や山、野菜畑など、緑豊かな自然に囲まれた静かな農村地でした。

庭では飼い猫や野良猫がどこからか集まり、のんびり日向ぼっこ。

輪の中にぼくも入って一緒にじゃれようとしたらひっかかれ、よく声を上げて泣いていました。

8歳上の姉の美帆と自転車に乗って外出した帰り、自宅目前で突然、野良犬が現れたことがありました。

ぼくは怖くて、自転車を乗り捨て、自宅へ必死に猛ダッシュ。

気が付くと、息を切らせながら居間に立っていました。

ほっと安心し、ふーっと一息つきながら、なんとなく窓の向こうを見てみると、額にしわをよせ、ヨロヨロしながら大変そうに2台の自転車を押している姉の姿がありました。


幼稚園に入ると、4歳上の兄・隆の影響で、サッカーをして遊んでいました。

ゲームやおもちゃには興味がなく、買ってもらった『キャプテン翼』のサッカーボールを庭で一日蹴っていました。

小学校に入学すると、兄が入っていた少年サッカーチームに入り、キャプテンを任されました。

ポジションはFWで、1試合で3得点をするハットトリックを初めてしたのは2年生の頃でした。

試合開始のホイッスルが鳴ると、試合会場の学校に遊びに来ていたクラスメイトの女の子数人が遊具に座り、試合を見ているのがわかりました。

子どもながらに良いところを見せようと、ひたすら走って、シュートを打ってと、無我夢中で繰り返しました。

気が付いたら4点も1人で取っていました!


しかし、そんなに好きなサッカーでしたが、小学校3、4年生になると、友達と駄菓子屋で集まるようになり、さぼりがちになってしまいました。

運動せずに、お菓子やジュースの毎日。

それに加え、父親の謙一は畜産関係の商社で仕事をしていたので、サンプルで肉やソーセージをよくもって帰ってきました。

うれしいことに毎晩のように焼肉。

その結果、クラスで一番の丸々と太った体に!

クラスではというと、一言で言えば目立ちたがり屋でした。

その体形をも生かし、みんなの前で踊ったり、替え歌をつくって歌ったり。

失笑されることも少なくなかったですが、誰とでもすぐに打ち解け合い、笑い合っていました。

わんぱくなガキ大将に

小学校5、6年生になると、再びサッカーに目覚めました。

成長期も重なり、身長は伸び、体形もシュッとなりました。

体力もつき、リレーや騎馬戦など、唯一活躍できる場が運動会でした。

しかし、この頃は、サッカーと同時にガキ大将にも目覚め、少々わんぱくがすぎることが多く、先生やクラストメイトの保護者など、毎晩いろいろなところからお叱りの電話がくるようになってしまいました。

電話を取る度に専業主婦であった母・栄美子は、神妙な面持ちで謝罪を繰り返す日々でした。

もう電話が鳴る度に母は「またか」とドキッとし、胃を痛める日々でもありました。

一度、姉が公衆電話から自宅へ連絡した際、母が出たのでふざけて、

「私、〇〇小学校の〇〇の母ですけれども」

と伝えると、すぐに謝罪の言葉が返ってきたとのことでした。

あまりにも母が落ち込んでいるので、ぼくもジョーダンで、

「毎回毎回そんなに深刻に捉えていると身がもたないよ」

と伝えてみると、母の唇はプルプルと震えだし、般若のような顔で大激怒。


また、この時期は人生で唯一のモテ期を迎えた時期でもありました。

卒業アルバムの中に「なんでもベスト3」というコーナーがクラスでありました。

「字がきれいな人ベスト3」だとか、「頭がいい人ベスト3」だとか。

その中に「もてる人ベスト3」というものがあったんですが、見事ぼくが1位に輝きました!

うれしくて、口元をにやつかせながら何度も何度もアルバムを開いていたのを覚えています。

しかし、あの頃は顔の良しあしはあまり関係なく、運動神経さえよければもてていましたね。

その証拠に、年を重ね、見た目も重視されるようになってくると、運動神経は変わらずいいのにもかかわらず、全くといっていいほど女性との縁がありません……。

中学ではサッカー部で活躍

中学でもサッカーは続け、6年間積み重ねた成果もあり、レギュラーで先輩の試合に出場していました。

チームのユニホームは、Jリーグ開幕当初大人気だったヴェルディ川崎の緑のユニホーム。

憧れだった三浦知良選手と同じ11番を着けたときは胸がいっぱいになりました。

また、チームメイトのお父さんがサンフレッチェ広島のチームスタッフをやっていました。

その関係で、当時は日本代表の選手で、現在は代表を指揮する森保監督を連れて来てくれたときは感動しました。

クラスでも小学校の頃と同様、目立ちたがり屋は変わらず、みんなの前に出て笑いを誘っていました。


楽しい中学校生活を日々送っていましたが、じつは入学式は打って変わって最悪の気分で迎えていました。

小学校6年生の頃、前田玲美ちゃんという女の子がクラスにいました。

頭もよくって、楽器も演奏できて、ちょっと気は強いところはあったけど、それもかわいくって。

いわゆる、ぼくの初恋相手です。

クラスメイトはみんな同じ中学に進学するのですが、なんと玲美ちゃんは引っ越しをするので他の中学に入学するらしい、と誰からか伝わってきました。

大ショック!でしたが、恋心を誰にも悟られないよう、気になっている素振りは見せられません。

本当なのかどうなのか、結局、卒業式でも誰にも確認できませんでした。

そして中学の入学式当日、校門をくぐり、生徒たちをかきわけて、受付に貼り出されているクラス割りを確認しに行きました。

自分の名前よりも先に玲美ちゃんの名前をまずは探しました。

4組にぼくの名前がありましたが、そんなのどうでもよく探し続けました。

しかし、何度読み返しても名前はありません。

そこで初めて玲美ちゃんが他校に入学したことを実感しました。

ぼくはトボトボと入学式の会場である体育館へ向かいました。

みんなキラキラ輝く眼差しで校長先生の話を聞いているのに、ぼくの目だけは1人どんより澱んでいました。

中学2年生で突然の「失明宣告」

中学2年生を迎える前の春休み、何の前触れもなくその日は突然やってきました。

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